第15話 彷徨える女生徒の霊 後編

 わたしと市井先輩のペアは1階の東棟にある3年生の教室で話し合いをすることにした。今回の肝試しをどう円滑に進めるかについて……ではなく、『彷徨える女生徒の霊』についての話だ。


「うまくいってよかったよ。他の人から待ったがかかるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」


 教室に入って点灯した懐中電灯を適当な机の上に置いて、市井先輩は言った。


 わたしと市井先輩がチームを組むことは最初から決めていたことだった。本宮先輩を含めたわたしたちの目的はあくまで蔓杜の噂を解明することで、肝試しはその建前に過ぎない。


 調査を円滑に進めるための方法を話し合った結果、チーム分けのとき市井先輩が駄々をこねて無理やりわたしとチームを組むということになった。


 知らない人と組みたくないという市井先輩の主張ならマリア先生と組むという選択肢もあったはずで、それを誰も指摘してこなかったのは幸といえる。


「さて、ちなみに彷徨える女生徒というのは、私はただの見間違いだと思っているんだけど楡金はどう思う?」


 わたしは肯定するように頷いた。先輩の意見にはまったくもって同意だった。おそらく夜の校舎内を徘徊していた生徒を別の生徒が目撃して、それを霊と見間違えたのだろうと思う。


「しかし、去年本宮のルームメイトの内山が霊的なものに遭遇しているのもまた事実だ」


「トイレで遭遇したっていう話ですよね」


 もちろん本当に霊に遭遇したかどうかは定かではない。なにせ夜の学校なのだからそれこそ単なる勘違いの可能性だってある。そして、それが単なる勘違いだった場合去年山内さんが体験したことは何だったのかという謎が残るわけだ。


「それなんだが……1つ思うところがあってね」


「思うところですか?」


「ああ。内山は霊現象に遭うちょっと前から少し様子がおかしかったんだ」


 そう言って先輩は語りだした。


「内山はいわばクラスのムードメーカー的存在だった。とにかくみんな仲良くをモットーに動くやつで、母のことを調べるために図書準備室に引きこもってた私に気さくに話しかけてきたのはクラスメイトの中でもあいつが一番最初だった。だけど去年、内山が霊現象に遭う1週間前くらい前から様子がおかしくなったんだ。どこか上の空って感じでほとんど交流のなかった私でさえそれに気がつくほどだった。その矢先に起きたのが今回の霊現象ってわけだ」


 市井先輩が語った情報は本宮先輩から聞かされた話と少し違っていた。


「――しかも、彼女は今精神的な病を抱え入院しているそうなんだ」


 それはわたしも本宮先輩から教えてもらっていた情報だった。


 つまり、学校を辞めた内山先輩は精神に支障をきたすほどの恐怖体験をしたということにほかならない。学校のトイレでそれほどまでにショッキングな出来事が起こるとは考えにくいけど……


「兎にも角にも、実際にトイレに行ってみるしかないな」


 市井先輩は机の上の懐中電灯を手に取ってついて来いという仕草をした。


 …………


 現場となった西棟の2階に到着。トイレに向かおうとしたところで、階段付近に人影が見えた。

 市井先輩がライトを向けるとそこから小さな悲鳴が上がる。永野さんだった。周囲にはパートナーであるはずの茉莉の姿は見当たらなかった。


「楡金さん」


「ひとり? 茉莉は一緒じゃないの?」


「はい。来米さんは今トイレにいます」


 懐中電灯をそっちに向けると、トイレのある箇所から光が漏れているのがわかった。


 蔓杜高校は無駄に最先端をいっている箇所がある。トイレもそのひとつだ。トイレの電気には人感センサー式のライトが採用されていて、人が入ってくると自動的に点灯するのだ。

 つまり、明かりがついているイコール人がいるということである。わたしもここで初めて人感センサー式のライトを見たので、最初に勝手に電気が点くのを体験したときは軽い感動すら覚えたほどだ。


 このまま茉莉がいるところに押しかけるのもあれなので、わたしと先輩は茉莉がトイレから戻ってくるのを待つことにした。


 3人で無言のままにトイレの方を見ていると、扉から漏れていた光がフッと消えた。しかしそれも一瞬のことで、またすぐに光が灯る。


 そして次の瞬間――


「キャァァァァァァァっ!!」


 ものすごい叫び声がトイレから聞こえてきて、少し遅れて茉莉が飛び出してきた。永野さんと市井先輩が反射的にライトの光を向けると血相を変えた茉莉の顔が浮かび上がった。


「で、ででで……でたでたでた!!!!」


 こっちに駆け寄ってきた茉莉がわたしの両肩をバシバシと力強く叩く。


「ちょ! い、痛いよ! ちょっと落ち着いて!」


「出たんだよ! オバケが! 取り替えてってさ! ……って、なんで楡金ちゃんがここにいるの!? まさか幽霊!?」


「幽霊? わたしまだ死んでな――むぎょっ!」


 相当な恐怖を味わったらしい茉莉はわたしのことを目一杯抱きしめてくる。


「実態がある! 本物だ! よかったぁ!!」


「ぐるじ……」


 このままでは本当に幽霊になってしまう。


「おい。楡金が苦しそうにしてるぞ」


「あ……! ゴメン……!」


 市井先輩のおかげで開放されたわたし。


「それより幽霊が出たというのは本当か?」と市井先輩が訊ねる。


 茉莉の挙動っぷりからわたしたちを騙そうとしているようには思えない。だけど、わたしと同じく幽霊やお化けの類を信じていない茉莉がこれだけの狼狽え方をするということは何かあったのは明白だ。

 そして、奇しくもそこは内山先輩が霊現象を体験した場所と同じだ。


 わたしは早速トイレに向かうことにした。市井先輩も何も言わずについてくる。


「え!? 楡金さんどこいくの!?」


「どこって、トイレを調べにだけど」


「やめたほうがいいよ! ほら、だって……」


 恐怖を隠せない永野さんにわたしはこう宣言してみせた。


「茉莉の勘違いってこともあるでしょ? そうだとわかれば怖くなくなるんだしさ」


 わたしがそう言うと、その場にいた4人でトイレに行くことになった。


 扉を開けて中に入ると、人の気配を感知したライトがひとりでに点灯する。


「で、どこの個室使ってたの?」


 わたしが訊くと、茉莉は1番奥の個室を指差した。


「なんで1番奥にしたの?」というわたしの質問に「だって、なんか一番奥って落ち着かない?」と答える茉莉。


 一番奥の個室にあるのはどこにでもある普通の洋式トイレ。


「それで、幽霊はどこに出たの?」


「上だよ」と言いながら天井を指差す茉莉。


 わたしと茉莉はほぼ同時に上を見上げ、個室の外から中を覗く先輩と永野さんもまた顔を上げる。


 そして、わたしたち4人は「あ……」と同時に声を出して固まった。


 全員の視線は同じ場所に注がれていた。そこには確かに、茉莉の言っていたとおり『とりかえて』という文字が浮かび上がっていた。ただ正確には『とりかえてください』だった。


「換気扇フィルターだね……」


 トイレの換気扇のカバーの上に貼り付ける埃取り用のフィルター。埃が大量に吸着すると取替え次期を知らせてくれる文字が浮かび上がるあれだ。


「えっと……アタシの勘違い……?」


「そうだよ」


「な、なーんだ。あはは……」


 茉莉は恥ずかしさを後頭を掻きながら笑ってごまかした。


「それじゃあ戻ろっか」


「そうだね」


 トイレから出ようとしたとき、永野さんが「待って!」と声を発した。


「どうかしたの?」


「楡金さんも先輩も外で見てたましよね? 一瞬だけトイレの電気が消えましたよね?」


「ああ。そういえばそうだな」


「ですよね? でもそれっておかしいですよね? ここのトイレって人を感知して電気が点くんだから誰かが消すってのは出来ないはずだよね?」


 正確には人感センサー自体のオンオフスイッチは存在する。どうせ自動で消えるのだからそのスイッチは常にオンになっているわけだけど消そうと思えば消すことはできる。

 ただし、わたしたちが外にいたときトイレに誰かが近づいた形跡はなかったし、なによりわたしたちがここに入ってきた時に電気が点いたということは、誰かがスイッチを消したというのはないということだ。


「じゃあ、電気が切れかかってて自然に消えたとか?」


「でも今は普通に点いてますよ」


 消えかかった蛍光灯特有の弱々しい明滅もない。


「もしくは不具合か。人感センサー自体まだ新しい規格のはずだしな」


 3人がやいのやいの話をする中でわたしはひとつの考えに至った。


 重要なのは電気が消えたのは一瞬だということ。人感センサー式の電気は人がいなくなった瞬間に電気が消えるわけでわなく、正確には人の動きを感知できなくなると消えるのだ。


 わたしは天井を見上げた。


 そういう状況を作り出せるとしたら方法はひとつしかない。


「ねえ。ちょっとお願いしたいんだけど?」


 わたしが試してみたいことがあると説明すると、それに素直に応じる3人はトイレの外へと出て行った。ひとりになったわたしはトイレの個室に入って蓋が閉まったままの便座に腰掛けて動きを止める。


 そしてそのまま数分が経過するとフッと音もなくトイレの電気が消えた。わたしが体を左右に動かすと再び電気が点灯する。


「やっぱり……」


 つまりこういうことだ。


「楡金ちゃーん!」


 外にいた3人にが異常を察知して個室へやってくる。


「今電気消えたよ! 一瞬だけ!」


 驚く茉莉たちに、このトイレの中で何が起きていたのか説明する。


「……なるほど。それでセンサーが人がいなくなったと勘違いして電気が消えたわけか」


「そういうことです」


 そして、去年内山先輩が体験したという霊現象もこれと同じことが起きたのだろうと推測できる。市井先輩の方に視線を向けると先輩もわたしと同じことを考えていたのかひとり納得したような表情を浮かべていた。


 ただし――それですべての謎が解明できたわけではない。なぜならさっき市井先輩が話していた、事件が起きる前から内山先輩の様子がおかしくなった理由については何もわかっていないからだ。ほかにもこの恐怖体験が精神を病むほどの出来事かと言われれば疑問が残る。


 もしかすると内山先輩トイレの事件とは別の恐怖体験に遭遇したのではないだろうか? ――とは思ったが、それはまあそれはあえて口にしない。なぜならわたしの目的は市井先輩を納得させることであって蔓杜の謎を完全に解明することじゃないから。


「4人揃って。こんなところで密談でもしていたのかい?」


 不意にトイレの外から声が聞こえてきた。本宮先輩だ。


「なんだ? 持ち場を離れて大丈夫なのか?」


 市井先輩が問うと、本宮先輩はやれやれと首を振って、


「問題ないよ。ついさっきマリア先生のチームが条件を達成したからね。そしたらこっちの方から叫び声が聞こえてきたから何事かと思って来てみたわけさ」


 生徒長室前の廊下の窓からこの場所の電気が点いていたからもしかしてと思いここにやってきたとのことだった。ちなみにマリア先生たちは生徒長室にいるとのことだった。


「で、肝試しの趣旨そっちのけで4人はここで何をしていたのか事情は説明してもらえるのかな?」


 もちろん先輩はわたしの本当の目的を理解している。だからこれはあくまでポーズだ。


 市井先輩が代表して本宮先輩に事の顛末を説明する。こうして肝試し及び彷徨える女生徒の霊の謎の解明は終わった。


 …………


「なるほど。それで市井くんは納得したんだね?」


「はい」


 肝試しを行った翌日わたしは改めて本宮先輩のもとに来て報告を行った。


 だが実際はほとんど何も解決していないのと同じだった。


 彷徨える少女はただの見間違いというのも、たぶんそうだろうというだけで根拠があるわけではないし、トイレで起きた霊現象と少女の霊と関係性もまったく証明できていない。


 わたしが解決したのはあくまで去年本宮先輩のルームメイトが体験した霊現象を解決したに過ぎないのだ。それでも市井先輩はその部分を指摘してくることはなかった。


「ま、いわゆるオカルトなんてのはそんなものさ。オカルトは理屈や科学で証明できないからこそオカルトなのだからね」


 本宮先輩はいつもの調子で片目を瞑ってみせるのだった。

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