第11話 音楽室の肖像画 後編
先輩の言葉を疑っていたわけじゃないけど、こういうのは自分で見て納得したいと思い、その日の放課後わたしはひとり図書室へとやってきた。ちなみに茉莉は以前マリア先生から言われた補習をやらされている。
これまた何度目かの年鑑本。おそらく在学中にこれだけ年鑑に目を通した人間はわたしくらいなものだろう。もしかすると市井先輩もかもしれないけど……
なんて思いながら棚に目をやると、いつもはきれいに並んでいるはずの年鑑に所々抜けている箇所があった。
――なぜ……?
年鑑は貸し出し禁止だから誰かが借りていったというのはありえない。また、今現在図書室にいる生徒で年鑑を読んでいる生徒はいなさそうだ。
「うぅん?」
考え事をしながら周囲に視線を巡らせると、図書準備室へと繋がる扉が少しだけ開いていて、そこから顔を覗かせる女の人と目が合った。
「うわぁっ!!」
びっくりして思わず声を上げてしまった。当然の如く図書室にいる生徒たちに睨まれて、受付にいる図書委員の人に注意された。
ちなみに顔をのぞかせていた女の人の正体は市井先輩だ。先輩が扉の隙間からこっちへ来いと手招きしている。その姿はまるで冥界へと誘おうとしている死神のようだ。
無視するわけにもいかずわたしは先輩の誘いを受けることにした。さすがに図書委員がいる前で勝手に準備室に入る度胸はなかったので、わたしは一度図書室を出て廊下側の扉から準備室に入った。
市井先輩と2人になるのは初めてのことでちょっとだけ緊張した。
先輩は床に散乱した本をひょいひょいと固めて積み上げわたしが座れるスペースを空けてくれて、ここに座れとペチペチと床を叩く。
「どうも……」
出来上がったスペースに座る。市井先輩のすぐ隣。距離は10センチもない。先輩は相変わらず眼鏡の奥に隈を作っていて髪もボサついている。わたしもどちらかと言えば身だしなみには無頓着な方だがここまでじゃない。
「君が探しているのはこれだろう?」
そう言いながら取り出したのはまさしく年鑑だった。
「先輩が持ってたんですね」
わたしが年鑑に手を伸ばそうとすると先輩はそれをひょいと取り上げてしまう。
「これを貸す前に聞きたいことがある」
先輩は真面目なトーンで話しを切り出した。
「は、はい。なんでしょう?」
先輩の態度にこちらも緊張が走る。
「君の本当の目的はなんだ?」
先輩は“本当”の部分を強調した。
「本当も何もわたしは――」
「ハッキリ言わせてもらうが、どうも君は生徒長に憧れているようには見えないんだよ」
「う……」
そりゃそうだ。実際わたしは生徒長になんてこれっぽっちも興味ないんだから。ででもその先にある例のカギには興味がある。
「本宮のことは騙せても私は騙されないよ。――さあ、早く本当の理由を言え」
眼鏡の奥の隈のできた目を細めてこっちを凝視する。
これはもう……逃げられそうもない……
わたしは観念して本当のことを話すことにした。
「わたしのお父さんは探偵をやってたんですけど2年前に亡くなりました。病気とか事故とかじゃなくて誰かに殺されたんです。それでお父さんの死に関していろいろと調べているうちに、この学校に犯人に繋がる情報があるとわかって、ここに来てみようと思ったんです」
「殺された、か……」先輩は深刻そうな表情を浮かべしばし沈黙する。「だけどそういうのは警察の仕事だろう?」
もっともな意見だ。だがそれにもちゃんとした理由がある。
最初はお父さんの残したメッセージをもとになんとしても自分で犯人を見つけてやるって思ってた。だけど一介の中学生にできることなどたかが知れていて、途中から、きっとわたしよりも先に警察が犯人を探してしまうのだろうと諦めモードになってたし、警察が犯人を明らかにしてくれるなら別にそれでもいいと思うようになっていた。
しかし、現実はそうはならなかった。驚くことに警察は早々に捜査を打ち切ってしまったのだ。わたしやお母さんになんの理由もなしに、ただ一方的に打ち切るとだけ連絡が来た。
それでもう警察はあてにできないと思って決意した。
やっぱりこの謎はわたしが解明しなくてはいけないのだと――
「警察があてにならないから自分で、か。……大したものだ。しかしそうなると、生徒長になりたいという話は嘘だったのか?」
「えっと、まあ……その、成り行きで……」
先輩はやれやれと呆れたような表情を作る。
「だがまあ、これで納得いったよ。君は立派な名探偵の娘だそうだし、残りの謎もよろしく頼むよ」
「そんな! わたしなんてまだまだお父さんの足元にも及ばないですよ!」
「謙遜することはない。現に君はわたしの解けなかった謎を1つ解いたじゃないか」
面と向かって、しかもこの至近距離で褒められたことなどなくて照れくさくなった。わたしは照れくさいのを誤魔化すように話題を変えた。
「えっと、先輩はどうして蔓杜の謎を紐解こうとしてるんですか?」
これは適当に話を振ったわけじゃない。以前から気になっていたことだ。
単純にオカルトが好きなら図書準備室に籠もる必要はないし、1人きりになれる場所なら他にもある。そもそも人付き合いが苦手なのにわざわざ全寮制の高校に入学してくるというのは矛盾しているように思えたのだ。
市井先輩は「君も秘密を打ち明けてくれたのだし」と前置きしてわたしの質問に答えてくれた。
「私の母はこの蔓杜高校に勤める教師だった。教師も生徒同様寮での生活が義務付けられているが、当時は毎週日曜に教師も生徒も自由に外へ出かけることが許されていた。ちょうど私の家が地元にあったこともあって母はその日は必ず家に帰ってきていた」
ちなみに週一で外に出かけるというシステムは今は教師にのみそれが許されている。
「ところがある日、母が家に帰ってこなかった日があって、どうしたのだろうと思っていたところに蔓杜側から連絡が来たんだ。その内容は『母がいなくなった』というものだった。それを聞いた父はすぐに警察に捜索願を出したが結局母は見つからず……未だ行方知れずだ」
先輩はそこで一旦言葉を区切る。何かを思い出すように静かに目を閉じて話を続ける。
「父は蔓杜に抗議した。母が失踪する原因を作ったのは蔓杜だと主張したんだ。私も子どもながらに父の意見は正しいと思っていた。両親の仲はすこぶる良好だったから、こちら側に原因があるなど微塵も疑わなかった。
だがそこは蔓杜側も譲るわけはなく、父の主張に真っ向から対立した。互いの意見は平行線をたどり、最初に痺れを切らしたのは父で、父はあろうことか実力行使に出て、男子禁制のこの蔓杜に無断で乗り込んで騒ぎを起こした。この父の愚行は地元の新聞に大きく取り上げられ、世間からの心証は一気に悪くなった」
市井先輩はハハッと自嘲気味に笑った。
「そして……父は自ら命を絶ったよ。残されていた遺書には自分の愚行を悔やむ言葉が書き連ねてあった。
私は蔓杜を憎んだ。母と父の命を奪ったこの学校が憎くて憎くてたまらなかった! ――だけど、この憎しみは理不尽なものだということもちゃんと理解していた。蔓杜側に原因があるという証拠は1つもないし、父のやっていたことは間違っていることは事実だからな。
それでも私は誰かを憎まずにはいられなかったんだよ。そして、こうなったら自分の手で真実をつかもうと思ってここに来たんだよ」
話が終わると先輩は項垂れて沈黙した。
先輩の話にわたしはちょっとしたシンパシーを感じた。
だけど、今の先輩の話は先輩が蔓杜に入学した理由であって蔓杜に纏わる謎に拘る理由じゃない。
「えっと、今の話がどうして蔓杜の謎を解くことに繋がるんですか?」
「母は毎週家に帰ってくると私に怖い話を聞かせてくれたんだ」
なんとも変わったお母さんだ――と思ったけど口には出さなかった。
「その怖い話っていうのは蔓杜で仕入れたもので、私はその話を聞くのが好きだった。……で、思ったんだ。もしかして母は知ってはいけないことを知ってしまって蔓杜になにかされたんじゃないか?ってね」
「どういうことですか?」
「伝承や噂、怖い話というのは実際に起きた出来事がベースとして語られる場合がある。例えば『夜泣き橋』なんかがそうだ。知ってるかい?」
訊かれて、わたしが首を横に振ると先輩は『夜泣き橋』の説明を始めた。
「『夜泣き橋』というのは、要約すると、古い木造の橋を夜中に通るとそこにいるはずのない赤ん坊の泣き声が聞こえてくるという内容の昔話だ。
実はこの『夜泣き橋』という話は実際に行われていたとある風習が元になっているんだ。それが橋を立てる際にその柱となる部分に生きた人間を埋めるというものだ。いわゆる『人柱』だ。それは名誉あることとされていたが、実際は生き埋めと同じだ。それに選ばれた者の中には当然抵抗した者もいただろう。そうなるとうるさく言ってくる人間はその選考から外されて、いつしかその役目は抵抗しない赤子に回ってくるわけだ。
それから時代が進むに連れその風習は廃れていく。そしてその話だけが残って口伝で伝わるうちに誇張表現が追加されて怖い話へと昇華する」
「つまり先輩は蔓杜には何か裏があって、先輩のお母さんが怖い話を調べているうちにそれを知ってしまったと思ってるってことですか?」
その結果、真実を知ってしまったお母さんが口封じにあったと……
「ああ、そうだ。すべての謎を解き明かしてみれば私も蔓杜の真実にたどり着けるかもしれない。
何もなければ蔓杜は潔白だったと納得できるし、もしもとんでもない事実が明らかになれば私の推論通り母が蔓杜の秘密を知って消されたという説に信憑性が出てくる」
蔓杜には人の命を奪ってでも隠し通したい秘密があるというのは言ってしまえば陰謀論のようなものだ。だが一方でそれを全否定する事ができないのもまた事実。
なぜならわたしがここに来た目的は、蔓杜がお父さんの死に関わっているかもしれないからだ。
親の死が蔓杜に通じているという一点だけ見れば、わたしと先輩は似たような境遇にあるといえる。
もしかして、市井先輩が知りたいこととわたしが知りたいことの終着点は同じ場所にあったりするのだろうか……
「とにかく、私が仕入れた怖い話の真相を追求することで私の目的は達成されるんだ。だからなんとしても卒業までにはすべての謎を解き明かしたい!」
先輩は決意を新たにするようにグッと拳を握る。
話が終わると、「話が長くなったな」と改まって、先ほど取り上げた年鑑をわたしの前に置いた。
「君が探している年鑑はたぶんこれとこれだ――」
床に置いた年鑑の上にもう一冊の年鑑を重ね、計2冊の年鑑が置かれた。
「先日本宮が図書室でブツブツ言いながら年鑑を見ている姿を目撃してもしかしてと思ったんだ。この2冊の年間にはそれぞれの年代の校舎の間取りの写しが掲載されている。見比べてみるといい」
市井先輩に言われたとおりわたしは2冊の年鑑の見取り図のページを開いた。そしてじっくりと見比べてみてあることに気がついた。
年鑑の古い方には2階のトイレと音楽室の間にある壁のところに音楽準備室が存在していた。そして新しい方には音楽準備室がなく一面壁になっていた。
これまで何度か2階の廊下を歩いた事はあるけど、特に意識なんてしていなかった。でも実際に見比べてみると昔と今で2階だけ部屋数が違っていたのだ。
「これは私の予想なんだが。昔の音楽室の壁に肖像画が貼られていて、その肖像画の目の部分に当たる壁にちょうど空いていて隣の部屋の光が漏れたんじゃないかって思ったんだよ」
市井先輩の推論はとんでもない暴論だった。だって、肖像画の目の部分に穴が空いているなんてそんな偶然あるわけない。
しかし先輩はわたしの心情をよそにさらなる年鑑を取り出してこれを見てほしいと言ってきた。
開かれたページには、音楽室で撮影されたと思われる写真で1人の先生と6人の女子生徒が写っている。昔あった部活動の集まりらしく、生徒のうち3人がその手にそれぞれが担当していたと思われる楽器を持っていた。
「楽器を持っていない3人は多分携帯できない大きめの楽器を担当していたんだと思う。でも、今の蔓杜にはピアノ以外に大型の楽器は存在してない」
「だから、昔は大型の楽器を片付ける部屋があったはず、と?」
「そういうこと。――それから注目してほしいのはここだ」
市井先輩が指差したのは生徒たちの後ろの壁。
「あっ!」
そこには確かに肖像画があった。
写真の右側に写る窓からは外の景色が見えていることから、この写真は南の壁を背にして撮影されたものだ。それは昔あった音楽準備室側の壁。
「さっきの私の推理は筋が通ってるだろ?」
たしかに筋書きとしては通っているけど、やはりその穴が偶然空いていたとは思えない。わざと空けられていたのだとしたらそれはいったい誰が何の目的で空けたのかという謎が残る。そしてもうひとつはなぜ音楽準備室をなくさなければいけなかったのかだ。
「えっと……」
そのことを指摘しようとして逡巡。わたしは言葉を飲み込んだ。
「ん? なにか?」
「いいえなんでも」
わたしの目的はあくまで市井先輩をここから追い出すことだ。本宮先輩も言っていたようにそれが真実でなくても市井先輩が納得しているのならそれでいい。だから先輩が自分で組み立ててたどり着いた結論をわざわざ蒸し返す必要はない。
「それにしても先輩ってすごいですね!」
それとなくおだててみると市井先輩は「まあね」と満更でもないような表情になる。
「前回は君に遅れを取ったが、私は去年からいくつかの謎を解き明かしているからな」
こうして『目が光る音楽室の肖像画』の謎は無事(?)解決となった。
事の次第を本宮先輩に報告するために図書準備室を出ようとしたところで市井先輩に呼び止められた。
「さっきの話なんだが他言無用でお願いするよ。もしもわたしの予想通りのことが起きたんだとするならどこに敵が潜んでいるかわかったもんじゃないからね」
逆に言えば市井先輩はわたしを味方だと思ってくれったてことだ。
「はい。わかりました。――えっとわたしの話も誰にも言わないでもらえます?」
「問題ない。私には秘密を共有するような仲のいい友人などいないからな」
先輩は悲しい自虐を言って、乱雑に置かれた本を手に取りそれを読み始めた。
…………
――とまあ先輩を納得させることには成功したわけだけど、わたしはといえば図書準備室での市井先輩とのやり取りの中で感じた疑問をずっと引きずっていた。
すぐにでも頭を切り替えて次の行動に移れないのはわたしの悪いところだ。
「楡金くん。キミの気持ちもわからないでもないが、当初の目的を忘れてないかい? キミには時間がないんだよ」
本宮先輩に言われてわたしの意識は現実へと引き戻される。
わたしは次の謎に関する話を聞くため生徒長室に呼び出されていた。
先輩はやれやれと肩をすくめて言った。
「そんなに気になるならすべてが終わった後に改めて考えればいいじゃないか」
先輩の意見はもっともだ。
今重要なのは次なる謎に挑むこと。
「しかし今回は市井くんが自ら謎を解いてしまったわけか。彼女もさすがにやるもんだね」
と笑顔の先輩。
市井先輩は去年からいくつもの謎を自力で解明している。もともとわたしの力などなくても大丈夫なくらいのポテンシャルはあるんだ。
「それじゃあ次の謎に移ろうか」
先輩は壁にかかっているホワイトボードを叩いた。
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