第6話 体育館の謎 後編

 夜の体育館の調査は先輩に事前の連絡が必要だ。そのため、なんとかして学内で先輩に声をかける必要があった。だけど、上級生の教室に行くという行為にハードルの高さを感じたわたしは、唯一上級生と下級生が混ざっていても不思議ではない時間を狙って先輩に声をかけることにした。


 それが食事の時間だった。


 蔓杜では基本的に朝昼夜の食事は学生寮の一階にある食堂を利用する。朝と夜は学年によって時間が区切られているけど、昼食時だけは指定がなかった。だからわたしはその時間に先輩に声をかけようと考えた。

 しかし、先輩は食事の際は常に複数の生徒に囲まれて楽しそうに団欒していた。カリスマ性を自負していただけのことはあるなと感心しつつも、生憎とわたしはその輪の中に入って行って声をかける勇気を持ち合わせてはいなかった。


 わたしは昼食時の接触を諦め放課後になってから生徒長室を訪ねることにした。先輩が常にそこにいるとは限らないがそっちのほうが心持ち的に楽だからだ。が、案の定思い立ったその日は先輩に会えず、最終的に先輩に体育館の調査に行きたいと伝えられたのは翌々日の放課後のことだった。そして先輩と日取りの調整を話し合い、調査当日を迎えることとなった。


 時刻は夜の11時。消灯時間はとっくに過ぎていた。外の光も失せ辺りは闇の静けさに包まれていた。


 二段ベッドの上で横になっていたわたしはゆっくりと行動を開始する。ソロリソロリと梯子を降りる。その際に茉莉がちゃんと眠っているか確認した。

 いちいち制服には着替えず、ジャージ姿のまま靴下と靴だけ履いて部屋の外に出た。

 部屋の外は予想以上に真っ暗だった。かろうじて、すぐ隣の非常口扉の上の非常灯だけが淡い光を放っている。廊下の西側に等間隔に並ぶ窓から外が見える。学校の敷地内と校舎の一部に人工灯の光が見えるが数は少ない。


 わたしはなるべく足音を立てないようにして中央の階段へ。時折吹く強い風が廊下の窓を揺らし、風が止めば廊下の軋む音や家鳴りのような音が鮮明に耳につく。普段は気にならないような音でも感覚が研ぎ澄まされればこうも違うものだ。

 ただ恐怖はない。わたしはそれなりにホラー耐性があり、こういう状況は割と平気なのだ――ただしビックリ系は別だけど――が、誰かに見つかったらどうしようという恐怖とは別の緊張感で震えていた。


 階段を降りて2階へ。事前に教えてもらっていた先輩の部屋の前まで来る。合図はノックが3回。


 コン、コン、コン――


 木戸を叩く音は思った以上に廊下に響いた。


 ――これで別の部屋から人が出てきたらわたしはどうなるんだろ……


 たぶんそれが一番最悪のパターンだ。


 ノブが回りガチャリと扉開いて、制服姿の先輩が顔を出す。


「やあ、約束通り来たみたいだね」


 静かな声で、それでもいつものような笑顔で迎えてくれた。


「ところで、後ろの彼女はどうしたんだい?」


 と、とぼけたように言う先輩。


 わたしは深くため息を付いた。


「先輩。そんな手に引っかかったりしませんよ。わたし幽霊とかそういうの信じてませんから」


「いやいや。そうじゃなくてだね」


 先輩はなんとしてもわたしを振り向かせたいようだ。


 こんなところでやいのやいのやっていたらさっき考えていたことが現実になってしまうので、さっさと先輩のノリに付き合うことにする。


「どうせ後ろを向いたら背中をツーってやったりするんでしょ? その手には……」


 ――いた。


 長い髪で顔の隠れた――その姿がはっきりと見えることから生霊か何かの類!?


「ひう――っ!!?」


 ビックリして叫びそうになったわたしは先輩に後ろから口を塞がれた。


「シー!! ここで大声を出したらダメだ。 それより2人とも中に!」


 わたしは口をふさがれたまま先輩に部屋に引きずりこまれる。そして生霊もさも当然のように部屋に入ってきた。


 ――――


 先輩の部屋はわたしたちの部屋と同じ内装をしていた。


 二段ベッドにクローゼット。勉強机はワンセットしかなく、その代わりか、部屋の中央に円形のちゃぶ台が置かれていた。


「とりあえず2人ともそこ座って」


 先輩に従ってわたしと生霊はちゃぶ台に向かって座った。先輩はちゃぶ台の上のカンテラ風のライトに灯をいれた。


 暗かった室内がぼんやりと明るくなった。窓には黒いカーテンがしてあるのでそんなには目立たないはずだ。


 それで……部屋が明るくなって、生霊の正体が判明する。


「茉莉……」


「にゃは! バレた?」


 悪びれた様子のない笑顔。


 顔を隠していた髪は後ろの髪を前に流していただけだったようだ。


 これは完全にわたしのミス。寝ていたと思った茉莉は本当は起きていて、しかも後をつけてきてしまったのだ。


「だってさ、なんか楡金ちゃんてば、ここ最近ずっと上の空っぽかったし、なんか怪しいなって思ってたんだよね。そしたら夜に部屋を抜け出してくじゃん? 気になるでしょふつう」


「どうやら、えっと、茉莉くんだったか。彼女のほうが一枚上手だったようだね」


「それほどでも」


 照れる茉莉。


 先輩は別に褒めてない。


「ま、こちらとしても助手をつけるなとは言わなかったからね」


「助手? 何の話です?」


 先輩は二段ベッドの支柱に背を預けながら茉莉に事情を説明する。


 わたしが次期生徒長になるために先輩に後援をお願いした。それに対して先輩はわたしが次期生徒長に相応しい人間かを見極めるために試練を与えた。今回はそのうちの1つだ――と。


「なになに! 楡金ちゃん生徒長になりたいの!? なんでそんな面白いこと黙ってたの!?」


 茉莉がわたしの肩をつかんでぐわんぐわんと前後に振る。


「ちょ、やめ――」


 別に黙っていたわけじゃない。ただ成り行きでそうなってしまっただけだ。


「はいはい。遊んでる暇はないよ。夜は短いんだ。さっさと行ってさっさと帰ってくる」


 先輩はテーブルの上のカンテラの灯を消して部屋の扉をそろりと開ける。わたしたちは流れるようにして部屋の外に出てそのまま一階に下りて玄関までやってきた。内側からは簡単に扉のカギを開けることができる。


 わたし、茉莉の順に外へ出て、そして最後に先輩も――。


「先輩も?」


「当然じゃないか。ボクがいなくてどうやって体育館の中に入るつもりだい?」


 先輩がカギの束を掲げてジャラジャラと鳴らした。


 言われてみればそうだ。


「それに、キミたちが出ていったあと誰かが寮のカギが開いているのに気づいて締めてしまったらキミたちは戻れなくなるだろ?」


「それ最悪じゃん」


「ね?」


 先輩は玄関を施錠した。


 先輩の持つカギはどれも似たようなデザインをしている。暗い中迷うことなく一発で寮のカギを引き当てたことにちょっと感心した。


「それじゃ、パパッと行くよ」


 玄関は西向き。つまり、外に出て中庭を突っ切るようにして北西に向かえば体育館に着く。


 わたしたちは足早にそこを目指した。


 …………


「じゃ、ボクは外で待つことにするよ」


 先輩はそう言って自身を抱くように腕を回した。5月を目前に控えたこの時期でも、日の出ていない時間帯はそれなりに冷える。


「わかりました。なるべく早く戻ります」


「助かるよ」


 靴を脱いで館内へ入る。茉莉もついてくる。


「で、霊現象なんて起きるの?」


「わたしの予想どおりなら起きるよ」


 外はそれなりに風が出ている。


 図書室には毎朝新聞が届けられ誰でも自由に閲覧できるようになっている。わたしは天気予報欄をチェックしてなるべく風の強そうな日をチョイスしていた。幸いしたのは4月が年間を通して比較的風の強い日が多い時期だということだ。


 体育館には外につながる扉が3つ存在する。わたしたちが入ってきた扉は南向きの校庭側にある扉だ。ほかに校舎側、渡り廊下に繋がっている扉と、わたしたちが入ってきた扉の向かいにある扉だ。


 わたしはそれら3つの扉をほんの少し隙間ができるくらいに開けて、体育館の真ん中あたりに立った。


「なになに? どういうこと?」


 わたしの傍で目を瞬かせる茉莉。


 それに答えず、じっと待っている。


 すると……


 体育館内に、ビョー、ビョーという微かな音が反響し始めた。


「え? まさかこれが霊現象!?」


 茉莉が驚きの声を上げる。


 でも、その驚きは霊の存在に驚いているわけではなく、「ぜんっっっぜん、すすり泣きに聞こえないんですけど」と、自分の想像と違ったことに対しての驚きだった。


 わたしも同様に、まさかここまでとは……落胆する。


 でも多分これが正解。


 風の音が泣き声に聞こえた。ただそれだけ……


 現実なんてこんなもんだ。


 おそらく最初にこの現象に立ち会った人たちは、まさか起こるはずがないと思っていた気持ちが却って恐怖を駆り立てる結果になったのだろう。そしてその話は誇張して広まり、さらに年月をかけて尾ひれや背びれが付け足されていく……


 しかしながら問題は、素麺をすする音ってやつだ。いま聞こえている風の音は決してゾゾゾとかズズズとは聞こえない。昔はそう聞こえたってパターンもあるけど、話では女性の鳴き声をかき消すように聞こえたと言っていたから正確ではない気がする。


「そいえばさ。ここってプールあるんだよね。知ってる?」


 この上にプールがあることは知ってる。体育館の2階、、つまりこの上にそれはある。オリエンテーションのとき先輩に教えてもらったしパンフレットにも載っていた。昔は水泳の授業をやっていたらしいけど今はもうない。ただ、夏休みと冬休みに開放されているとは聞いている。


 ――プール……プール?


 なんとなくピンと来るものがあった。もしかすると答えがわかったかもしれない。


 …………


 翌日の放課後、わたしは用務員さんに声をかけ、プールの排水に関しての情報を入手した。それから私はその足で生徒長室に向かった。そして、市井先輩から出題された謎、体育館から聞こえてくる女性の泣き声の正体について、わたしなりの答えを先輩に語った。


 すすり泣く声の正体はズバリ、隙間風が体育館内に反響してできた音。


 昨晩わたしが聞いた音は決してそんなふうには聞こえなかった。だけど、その噂が何年も前の話だとしたら? プラスして、確かめに行った生徒たちの中に、『聞こえるかかも知れない』『いるかも知れない』という強い自己暗示のようなものに掛かっていた人がいたとすれば、勘違いでそう聞こえてしまうことだってあるはずだ。


「なるほど。泣き声に関してはわかった。では、そうめんを啜るような音の正体についてはどうかな?」


 わたしはおほんと一拍おいて、排水の音です。そう宣言した。


 体育館の上には室内プールが設置してある。そのプールの水が排水されれば構造上必ず水は上から下へと流れる。配管がどのように設置されているのかはわからないけれど、体育館内のどこかを通っているのは確実で、その音が館内に響いたというのは十分にありえる。


 なにせプールを満たすだけの水の量なのだからその勢いだって相当なものだろう。お風呂やトイレの水が配管に吸い込まれていく時に聞こえる『ゴボボ』なんて比較にならないはずだ。


 わたしの説明を静かに聞いていた先輩はふふっと笑みを漏らした。


「さすが探偵の娘だ。やるじゃないか!」


 先輩はウインクして賛辞を述べた。


「というよりも、キミには簡単すぎたかな?」


「まぁ……風の音が人の声に聞こえるっていうのはよくある話ですからね。プールに関しては、茉莉の功績かな……」


「いい助手に恵まれたようだね。それじゃあ早速市井くんのもとへとへ行こう」

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