第5話 体育館の謎 前編

 あるとき、校内にこんな噂が流れた。


 ――夜、体育館に行くと女性の鳴き声が聞こえてくる――


 それを面白がった生徒の何人かが、噂の真相を確かめようと夜に寮を抜け出し体育館へと足を運んだ。そこに集まった生徒たちは誰もそんな話を信じておらず、面白半分の冷やかし目的だった。


 そして、彼女たちの予想通り、待てども待てども女性の声など聞こえてこない。


「ほらやっぱり嘘だったんだ」「ま、こんなもんだよね」――と騒ぐ生徒たち。


 しかし……


 突然夜の体育館内に女性のすすり泣くような声が響き渡ったのだ。しかもそれだけではない。すすり泣く女性の声をかき消すかのように『ゾゾゾ! ゴボボボボ!』と素麺をすするかのような奇怪な音が続いたのだ。


 その声を聞いた性徒たちは先程までの余裕はどこへ行ったのかと言わんばかりに我先にと体育館から逃げていく。


 それ以来誰も夜の体育館に近づこうとするものはいなかった。


 ――――


「……とまあこんなふうに、体育館で霊現象が起きるという話を聞いた生徒たちが噂の真相を確かめに行ったら本当に霊現象が起きた。というわけさ」


 生徒長室に戻ると先輩は早速『体育館で聞こえる女性の泣き声』の話を語ってくれた。で、わたしは自分の推理力(?)を証明するためにこの謎を解かなければいけないというわけだ。


「参考までに聞きたいんですけど、その現象は今でも再現可能なんですよね?」


 いくらその現象の謎が解明されていると言っても、今でも再現可能な現象でなければ解き明かすもなにもない。


「もちろんだよ。そうでなければボクはこの謎をキミに解けとは言わないさ」


 それを聞いて安心した。


「わかりました。それと、話の中では夜の体育館って事になってましたけど、わたしは夜に出歩いてもいいんですか?」


 蔓杜の学生寮には門限があり、それを破ることは校則で禁じられている。


 先輩はふむとあごに手をあてしばらく考え込む。


「……そうだね。こっそり抜け出すことを許可しよう」


 先輩は生徒長らしからぬ発言をサラリと言ってのけた。


「抜け出す許可ってなんですか!? しかもこっそりなんて無理ですよ!?」


 なにせルームメイトの茉莉がいる。わたしは2段ベッドの上で寝ることになっているから、きっと下に降りるときにバレる。


「そこはキミの腕の見せ所じゃないかい? あと、外に抜け出すのは難しいことじゃないのさ」


 これがあるからね! ――と、先輩は制服のポケットからカギを取り出した。


「カギ……ですね……」


「そう。カギだ」


 そう言って先輩は、そのカギを使って事務机の一番上の引き出しを開ける。そして中からカギのたくさん掛かったキーリングを取り出し机の上に置いた。


 ずいぶん厳重に仕舞ってあるんだなと思う。


「これは代々生徒長が管理することになっているものだ。ここには全部で13のカギがあるのだけど、この中には寮のカギも含まれている。つまり、寮の管理の一部が生徒長に委ねられてるってわけさ」


 先輩が寮のカギを持っているから外に出るのも簡単だというわけだ。わたしはへぇと感心しながら机の上のカギ束に視線を落とす。


 ……うん? 待てよ。


 もしわたしが生徒長になったら、このカギは今度はわたしが自由にできるということだ。そしたらわたしはこの学校を自由に調べ放題で、アセンブルに関する情報が得られるかもしれないってことだ。


 そう思うとあまり乗り気ではなかった生徒長の椅子が俄然欲しくなった。


 適当についた嘘がこういう形で幸いするとは……。これはまさに僥倖ぎょうこうってやつだ。


「抜け出したい日が決まったらボクに教えてくれ。そしてその日の夜にこっそりボクの部屋を訪ねてくるといい」


 一度先輩の部屋で落ち合ってから寮のカギを開けてもらうことになった。それはいいけどまだ問題が残っている。それは、先輩のルームメイトの存在だ。


「それは問題ない。ボクは1人だからね。2年生の人数は奇数なんだ。というわけで抜け出す日を事前に教えておいてくれればいつでも歓迎するよ。あ、心配しなくてもベッドにキミを誘い込んだりしないから安心してくれたまえ」


「当たり前ですよ!!」


 何を言い出すんだこの先輩は……


 中性的な外見も相まって、この人が言うと洒落っぽく聞こえないからたちが悪い。そんなわたしの怒りをよそに先輩は「あはは」と笑っていた。


 …………


 怪奇現象が起こるのは夜ということだけど、堂々と体育館に入れる体育の授業を利用しない手はないと、授業中を利用して館内を見て回った。


 幸いにして、授業の内容はクラスみんなの交流を深めるための自由な時間となっていたため、わたしは1人で行動することにした。他にも1人で行動してる人がいるため、目立つことなく堂々と調べ物ができていた。


 ――体育館で聞こえる泣き声……


 そう言われたら、おそらく10人中9人が閃くだろう典型的な、あるいは古典的な現象があることにはある。そして、おそらくそれが正解なんだろう。問題なのは『ゾゾゾという蕎麦をすするような音』の正体だ。


「楡金ちゃん危ない!!」


「うん?」


 自分の名前が呼ばれ、わたしは振り返った。危ないという言葉が聞こえていたはずなのに、考え事をしていたため判断が鈍っていた。


「うぎょ――っ!!」


 だからわたしは、顔面にバスケットボールの直撃を受けた。


「大丈夫!? 楡金ちゃん!!」


 床に座り込んだわたしを、駆け寄ってきた茉莉が心配そうに見つめる。


「はっ!? 大変だよ楡金ちゃん!?」


「え?」


 もしかして血が出てるのかと思って自分の鼻のあたりをペタペタと触る。でも、そんな気配はない。


「ボールが2つに増えてる!!」


 と、茉莉はわたしの胸を指差した。


「はあ?」


 茉莉と一緒にバスケに興じていた面々の間にクスクスとした笑いが起こる。


 そして、これが茉莉流の冗談だとようやく理解したわたしは、ボールがぶつかって赤くなった顔をさらに赤く染めて「ばかばか」と茉莉に悪態ついた。


 一応言うけど、わたしの胸はバスケットボールより小さいのでまず間違えることはない。


「ってか、さっきから1人でウロウロしてるけど混ざんなよ。こういうときにみんなと仲良くしとかないと孤立しちゃうよ」


 茉莉の言い分は十分に理解できた。


 オリエンテーションの時わたしは先輩と同郷だという話をしたけれど厳密にはそうじゃない。わたしは生まれたときから上納に住んでいたわけではなく幼い頃別の場所から引っ越してきた移住組だ。


 移住する切っ掛けになったのはお父さんの招いた不祥事が原因。

 当時警察官だったお父さんが担当していた事件で、とある男の子が唯一の生き残りとなった事件があった。その事件の捜査に当たっていたお父さんはその少年が犯人だと信じて疑わなかった。そこでお父さんの悪い癖が出て、相手がまだ10歳くらいの子どもだというのに激しく詰め寄ったのだ。その結果、少年は行方をくらましてしまったのだ。しかも、その後真犯人が捕まって少年が無実であることが判明した。


 この事件はメディアで大きく取り上げられるようなことはなかったけど、こういった話というのは必ずどこかから漏れて来て世間のウワサになる。それが原因でわたしは学校で孤立した。仲のよかった友だちもみんな離れていって、ちょっとしたイジメのような状態になった。

 その時はすでに転居することが決まっていたので、孤立していた期間はせいぜい2週間ほどだった。それでもかなり辛かった。そんなわたしに孤独の3年間を過ごすことは決して耐えられないだろう。

 目的がなければドロップアウトという逃げの一手を打つこともできるが、アセンブルの秘密を解き明かすという目的があるわたしにはそれができない。ならば自分にとってここはオアシスのない砂漠のど真ん中となり、逃げ場のない幽世も同然なのだ。そう考えると茉莉の申し出はありがたかった。


 わたしは茉莉の差し出した手を握って立ち上がり、一旦調査を諦め、輪に混ざることにした。


「ちなみに球技得意?」


「普通かな」


 わたしが答えると、茉莉は「そっか、そっか」と自然な動作でわたしの胸に手を伸ばす。


「ちょっとなに!?」


 触れられる前に手を弾いた。


「だってボール……」


「まだそれ引きずるの!? ボールはあっち!!」


 床に転がるボールを指差す。


「楡金ちゃんはからかいがいがあるねぇ」


 茉莉がイタズラな笑みを浮かべる。ほんの数日前初めてあったとは思えないほど距離感だ。きっとこれが茉莉の生まれ持った才能なんだろう。


 茉莉が落ちていたボールを拾い上げ一緒にみんなのところへ向かった。

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