第6話 試験打ち上げ

「それでは後期アリア試験の終了を祝して…」


「「「カンパーイ!!」」」


 1月最後の金曜17時半過ぎ、ソフトドリンクで満たされた37個のグラスが高く掲げられ、あちこちでカチャンカチャンとうち鳴らす音があがる。


 試験の打ち上げだ。


 大学と最寄り駅の間くらいに位置する、イタリアンレストラン。大学生の打ち上げに使われるくらいだから値段もリーズナブルで、客層に合わせてか量もしっかりあることで定評のあるこの店を、今日は僕ら声楽科1年生で貸し切りだ。


 アリア試験の手応えがあった者も思うように歌えなかった者も、この時ばかりは皆解放感を共有し、笑い合っている。


 声楽科1年生は全部で42人だが、都合がつかなかった者が3人、試験の出来があまりにも酷くて落ち込んでドタキャンした者がひとり、一度もこういった集まりに顔を出したことのない者がひとり、計5人が欠席となり、37人での開催となった。

 8人ずつ座れるよう配置されたテーブルの島が5つあり、どのテーブルにも大皿で届いたサラダと前菜、各自の取り皿と飲み物のグラスが所狭しと並んでいる。


「はぁ~、これで座学の試験も終っていればなぁ~」


 乾杯を終え、サラダを自分の皿に取り分けながら僕の斜め向かいに座った幸二がさっそく愚痴を溢した。

「皆の分を取り分けて女子力を云々」とか「年下が年上に気を遣って云々」なんてナンセンスなことを言うものはここにはいない。他の人の分を奪わないのであれば、食べたいものを食べたい量だけ自分で取り分ける。これが令和の大学生だ。


 幸二が言うように、座学の試験まで全部終わっていればもっと清々しい気分で乾杯できただろうな。

 打ち上げの日程については、幹事が事前に候補日をリサーチしたところ今日にするのが一番参加者が多かったらしい。まあ明日明後日は土日だしね、最大の山場であるアリア試験が終わったタイミングで打ち上がりたくなる気持ちはよくわかる。


「アリア試験が終ったんだから、もう全部終ったようなものじゃん。楽勝楽勝、出席点は取れてるんだしさ」


 幸二の隣で僕の向かい、楽観的なことを言うのはソプラノのあかり。カジュアルで動きやすそうなファッションを好む、さっぱりした性格でポジティブな子である。


「あかりは教職取ってないからあとは英語だけだもんね」


 そう返すのは、さっき試験後に廊下で話した花菜かなだ。廊下で言葉を交わした時よりもいくぶん柔らかい表情をしている。あかりとは逆側の幸二の隣。


「ん~、英語は内容的には高校でやってた授業より簡単だよね。なんとかなるでしょ」


 僕の右隣に座り、余裕そうな様子でグレープフルーツジュースを飲んでいるメゾソプラノの麗奈れなは、確か女子御三家と言われる中高一貫校の出身だったような記憶が。長身でモデル体型なことも相まって、宝塚の男役のようなかっこよさがある。


「麗奈っちにとってはそうかもしれないけどさ~、俺は中学からずっと赤点すれすれで、どんな問題だって難しく見えるんだよぉ。アリア試験よりよっぽど気が重いよ」


 幸二が座学の話になると情けない声になるのはいつものことだ。


「大丈夫だって。私たちのクラス、出席点と参加度合いを重視するって最初の授業で先生が説明してたじゃない。試験で満点取らなくてもいいんだからさ、とにかく解答欄埋めればきっと落とされることはないって」


 麗奈のむこうにいるソプラノのりんも、あまり心配はなさそうな顔をしている。花菜よりも小柄で童顔な彼女は高校生と言っても疑う人はいなさそうな風貌だが、実は今一緒にしゃべっているメンバーの中で一番誕生日が早い。意外だ。


 花菜、あかり、麗奈、凛、幸二と僕は42人いる同級生の中でも仲が良く、学内ではしょっちゅう行動を共にしている。馬が合うと言うか、長時間同じ空間にいても居心地の良い、気の置けないメンバーだ。


 4月、入学したはいいものの持ち前のヘタレさと人見知りを遺憾なく発揮してなかなか自分から周りに話しかけられない僕に、前期の英語の授業で同じクラスに振り分けられ近くの席に座ったあかりが話を振ってくれたのが始まり。

 その時既に花菜と麗奈と仲良くなっていたあかりが昼休みの学食に誘ってくれて、ふたりとも話すようになった。ポジティブで物怖じしないあかりと、フォローの上手いしっかり者の花菜、姉御肌で面倒見の良い麗奈のおかげで他の同級生との会話も増えていった。

 そのうち嗅覚の鋭い幸二が「ジュンイチなら同じテノールとして頼りがいがあると思って!」と懐いてきて、さらに花菜と出席番号が前後で仲良くなったという凜も加わるようになったのは5月の連休明け頃だった。

 小さな友人以外にもヘタレな僕を受け入れてくれる大切な同志にはとても感謝している。幸二は毎度毎度うるさいが。


 いつものメンバーというとこの6人なのだけど、今日は37人が5つのテーブルに分かれているので僕の左隣にもうひとり同級生が座っている。縦にも横にもでかい重量級の龍之介りゅうのすけは、僕らの学年で最も音域の低いバスという声種。


「幸二はそんなに英語が苦手で、じゃあイタリア語なら平気なのか?俺らが勉強するオペラ、イタリア語の作品が多いじゃないか」


 素の話し声までウーハーが効いてるな。やっぱりその巨体が響かせているのか。渋さが半端ない。本当に未成年か?


「イタリア語も文法とか意味はさっぱりだけど、読み方はカタカナふればいけるじゃん。暗譜は苦労するけど呪文だと思って気合で丸暗記してる」


 けろっとそんなことを言った幸二に、本人を除く6人が揃って呆れ顔になる。


「いや…アリア1曲歌うくらいならそれで何とかなるけど、オペラ1本やろうと思ったら3時間くらいあるよ?自分が歌う分だけだとしても、そんな呪文丸暗記でどうにかなるような量じゃなくない?」

「自分の役の歌詞だけ覚えたってだめよ。オペラは本来演技付きで歌うんだから。自分がどんな意味の歌を歌ってるのかも、相手役が何て歌ってるのかもわからないで芝居なんてできるわけないじゃない」

「だよねだよね、単語ひとつずつの意味を完璧になんて言わなくても、フレーズごとくらいの対訳は覚えないとだよね」

「っていうか、歌詞にカタカナ書いてるのが先生にバレたら、レッスン中でも即刻退室しろって言われそうだよねぇ」


 非難轟々、集中砲火だ。容赦ないね。


「ぅええぇぇぇ、じゃあみんなどうやって覚えてるのさ!」


「僕はむしろその呪文丸暗記ができるのがある意味すごいと思うけど…意味と紐づけして覚えた方が早いし定着しない?」

「俺もそう思う」


 あわれ幸二は男声陣からも理解を得られなかった。


「いいもん!暗譜に苦労するようになったら、きっと順一が助けてくれるもん!リコちゃんだって手伝ってくれるもん!」


 幸二のカノジョのリコちゃんはピアノ科で、こいつはいつもリコちゃんに譜読みも手助けしてもらっていることを僕は知っている。

 新しい曲を勉強し始める際には、楽譜を読み込んで正しい音程・リズム・発音で歌えるように、譜読みという段階が第一のステップとなる。僕ら歌い手は、音符に歌詞がついているのでその意味と発音も調べる必要があるから、なかなかに骨が折れるのはわかるけどさ。


「いやひとりでできるように頑張れよ。お前の脳の記憶システムになんてコミットできるか」


「そんなこと言うなよぉぉぉ!てかコミットって何どーゆー意味、ライ○ップ?」


「ふふ、また始まったね、ワン・ツーコンビのお家芸」


 花菜が幸二と僕を見ながらくすくす笑っている。こちとら笑いを取る気はさらさらないんだよ、花菜ちゃん?


「はいはい、いつもの漫才はいいから、これ食べちゃって。次の料理が載らないでしょ」


 麗奈の姐御にバッサリ切られた。


「あ~うん、食べる食べる~」


 あっさり僕からサラダに意識を移した幸二が大皿に残っていたすべてを自分の取り皿によそい、店員さんが持って来たパスタのお皿をあかりが受け取る。龍之介の巨体維持は、生野菜よりも炭水化物が重要っぽいな。


 パスタに続いてピザと料理が提供され、腹がほどよく満たされた頃には皆が思い思いに席を移動して他の同級生ともしゃべり、実技試験の終了を労い合う。1年生と言えども声楽科の僕らは平均的な大学生よりも声量があるので騒がしい。

 ソフトドリンクだけなのにわいわいと盛り上がって騒ぐ様子に、飲み物のラストオーダーとともにデザートのパンナコッタを配膳しに来た学生アルバイトっぽい店員さんは、どこのテーブルにどのグラスを置けばいいのか、途方に暮れていた。


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