第7話 もうじき春休みだけど

 店を出て大学の最寄り駅へぞろぞろと向かう。レストランの予約終了時間間際にはあちこちのテーブルに散らばっていたいつものメンバーも、また6人固まって歩いた。

 幸二は自転車だが、僕の荷物持ちをすると言ったのを忘れておらず、籠と持ち手にどっさりと荷物を載せて押している。


「寒いねー」

「ほんと、雪が降らないのが不思議なくらい寒いね」


 りん麗奈れなが思わずマフラーに首を埋めながら手を擦り合わせていた。


「いやいや東京あったかいって。長野じゃ冬は最高気温が0℃とかだよ?東京は雪ないからまじ快適」


 長野県出身の幸二こうじが言う。


「ねえねえ、来週で試験終われば春休みでしょ?みんな何か予定してるの?」


 前を歩いていたあかりが振り返って声をかける。

 そう、大学生は春休みが長い。約2ヶ月ある。春休みだけじゃなくて、夏休みも長かった。


「私は1月から学童保育のバイト始めたからね、3月後半はバイトが多いかな。あとはダンスのレッスンを増やそうかと思ってるよ。ああ、高校の時の友だちと旅行の予定も」


 麗奈は小さな頃から音楽の他にバレエも習っていて、中学以降はジャズダンスのレッスンにも通っているそうだ。歌えて踊れるモデル体型のメゾソプラノ。加えて秀才。小学生相手でも女子にモテる気しかしない。


「私はバイトはいつも通り。2月の終りには高校までお世話になってたピアノの先生のとこの発表会で歌わせてもらうの。3月はお母さんと一泊旅行に行くのと、名古屋の祖父母宅にも泊まりに行くんだ。だからあんまり忙しくはないよ」


 音楽教室の受付をバイトにしている花菜かなは比較的のんびりと春休みを過ごすようだ。僕も静岡の祖父母宅のとこに行こうかな、今年の正月は行かなかったし。


「私はね、なんと運転免許の合宿に行くんだ!2月20日から2週間!その後は、お母さんが入ってるアマチュア合唱団の演奏会に助っ人に入ることになってる」


「えっ、凛が免許?大丈夫?アクセルに足届く?」

「対向車が運転手を見てびっくりしそうよね」


 見た目が高校生の凜が車の免許とは。身長152cmで童顔の凜が車を運転している想像がつかないな。いやそれにしてもあかりのコメントはひどくないか?


「へぇ~リンリンが免許ねぇ。俺は運転より学科の方が大変だったけどな、リンリンなら余裕だろ。頑張れよ」


 幸二は運動神経はいいもんな。でも僕の高校の友だちは、学科は授業の内容を理解するよりも眠気を我慢する方が大変だって言ってたぞ。


「あかりは?」

「私はスノボサークルの活動があるのと、空いた時間はおじいちゃんのお店で小遣い稼ぎかな」


 アクティブなあかりは、インカレのスキー・スノーボードサークルに所属している。春から秋にかけてはほとんど活動しないが、スキーシーズンは何か所も滑りに行くらしい。

 ちなみにインカレというのはインターカレッジの略で、複数大学合同という意味なのは教えてもらうまで知らなかった。

 そしてあかりの小遣い稼ぎは、祖父母が経営する飲食店での不定期アルバイトのことだ。僕は食べに行ったことがないけれど、創作和食料理店で、接客中は和服を着用するそうだ。


「俺はねぇ、何日かは長野の実家に帰ろうと思ってるけど、まだ決めてない。バイトたくさん入ろうと思って。サークルは多少新歓の準備があるらしいけど、よく知らん」


 この6人の中で唯一ひとり暮らしをしている幸二のバイトは、全国チェーンのファストフード店。サークルはバスケサークルだが、拠点が他大学であるのと、もともと遊び程度の緩さで活動しているサークルなので、気が向いた時だけ行っている。新歓は新入生歓迎会の略だ。


「順一くんは?」


 最後に僕にもお鉢が回って来た。


「3月後半は塾のバイトが増えるけど、他はあんまり。高校の友だちと旅行にでも行くかって話もしてるけど、具体的なことはまだ」

「あとね~、俺の実家にも遊びに来いよってさっき誘った」


 僕は大学に入ってすぐに個別指導塾での講師アルバイトを始めた。中高生が春休みになると通常の授業に加えて春休み集中コースが開催されるので勤務が増えることは決まっているが、あとは未定だ。


「え、サークルは?」

「ああ、ちょっとはあるけど、忙しくなるほどにはない」


 他大学メインでインカレのオーケストラサークルへは、高校時代の部活友だちに誘われて入った。僕は中学から吹奏楽部で、高校でも2年クラリネットを吹いていた。

 サークルでは4月の新入生勧誘のシーズンに部員同士で小編成のアンサンブルを組んで演奏することになっているので、それに向けた練習が少しある。


「それにしても2月の頭から春休みが始まるなんて、変な感じだよね」

「うんうん、年明けてからは1ヶ月しか大学通ってないよ」

「夏休みが9月半ばまでだったのも落ち着かなかったよね」


 大学生活は高校までと違って学校に拘束される時間がぐっと減る。学年が上がれば集中講義とか学内公演の練習とかでまた過ごし方が変わってくるのだけど、1年生はまだ一般科目や必修科目ばかりで、授業数は多いが大学に留まる時間はそれほどでもない。


「入学式の校歌練習は4月に入ってからでしょ?」


 この大学では、毎年4月の入学式で声楽科2年生の合唱と器楽科2年生で編成されたオーケストラが校歌を演奏するのだ。女声に比べて男声は人数が少ないから、3・4年生も強制参加だけれど。僕らも入学した時には先輩たちの校歌を聞いた。次からは歌う側に回るなんて妙な感覚だ。


「うん、そう。ああ3月18日は卒業生を送る会だね。出る?」

「そのつもり。あと3月の終わりに横橋先生のリサイタルを聴きに行くのと…笹谷先生が出るオペラっていつだっけ?」

「3月4日と6日だよ」


 実技の先生方は大学で教えているだけでなく、第一線で活躍するバリバリの演奏家でもある。前はそうでもなかったようだけど、少子化の進む社会で少しでも良い学生を獲得するため、大学はまだ若手とも言える現役の演奏家を教員として採用する方針にシフトしてきている。

 定員割れしている音大もあるからね。ポピュラー系の専攻を増やしたり、資格が取れる学部を増やしたり、音大自体の生き残り競争もし烈だ。


 一昔前は、先生が学外で自分の出演するコンサートやオペラがあると、指導している学生にチケットノルマを課すなんて時代もあったそうだ。

 先生が問答無用で学生にチラシとチケットの束を渡しながら「わたくし、今度この演奏会でソリストを務めるの。○○さんはチケットを△枚お願いね。お友達やご家族、お知り合いを誘っていらして。チケット代は1割引で、来週のレッスンの時に持って来てくれればいいわ」といったように。

 幸い僕らはそんな時代ではない。今の先生方が学生だった頃は、そういうノルマは当たり前だったそうだけど、のちに大学側が教員に向けて学生にチケットを強引に売りつけることを明確に禁止したと聞いたことがある。

 良かった、僕ら今の学生で。


 僕らもノルマは無くても先生から演奏会のチラシを受け取れば、よっぽどの事情がない限り「ぜひ行きたいです」と言うしかないのは変わらない。でもそれは自分の分だけで良く、行けば非常に勉強になって自分のためになるのだから、まったく不満はない。普段の指導者としての姿と演奏家としての姿にギャップを感じて、大学では見られない先生の本気に目から鱗が落ちたこともある。



 閑話休題。


「先輩たちの公開試験は?」


 2年生以上の実技試験には、一部だけれどホールで行われるものもあり、一般公開ではないが学生なら後方座席で聴くことができる。


「オペラ・アンサンブルと4年生の卒試は聴こうと思うよ」

「あ、私も私も」

「えっ、じゃあ俺も~」


 そうか、休み中もちょこちょこみんなに会えるんだな。


 友だちであってもこれといった用もないのに自分から連絡を取って会おうよと誘えない僕には、長いと思っていた春休み。

 みんなに会えないことをちょっと寂しいと感じていた自分に気づくと同時に、誘い誘われなくても会える理由があることにほっとした。

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