(2)

 ★人さらい


 兵士たちが振り返るその刹那、私は足音をなるだけたてないように飛び出した。初撃が肝心だ。距離を一気に詰める。一人の兵士が私の存在に気づき身構えた。その所作を私は見逃さない。


 握った短刀を振り上げ、兵士の甲冑の後頭部へ殴りかかる。バランスを崩させて、続けざまに膝で脇腹を蹴り上げた。反応の良かった兵士が倒れる。すぐさま、背後から剣を振り下ろして来ている兵士の腕を掴み床に叩きつけた。握った短刀に力を込めて、倒れた兵士の首元に押し付ける。命を奪うつもりは無かった。都合よく一人目の兵士は意識を失ってくれたが、二人はそうはいかなかったから仕方なかったのだ。


「声を出さないでくれ」


 床に倒れた彼に私はそう告げた。できれば血は見たくは無かったから。彼は勇敢にも叫ぼうとしたが、私の顔を見て思いとどまってくれた。彼の双眸に映った自分の面差しは、やけに悲壮感に溢れたものだった。


「ありがとう」


 感謝の言葉はふさわしくはないと思いつつ、私は自然とそんな言葉を発していた。貴族が抜けていった方を見遣る。まっすぐ続く石造りの暗い道。足音はもう聞こえない。「この先は一本道か?」と倒れた彼に問いかけた。


 彼は返事はせずにわずかに首を縦に振った。声を出さないでくれという私の指示に素直に従ってくれているらしい。


 私は彼の首元から短刀をゆっくりと離す。刃先は向けたまま、一歩ずつ慎重に後ろへ下がる。彼だって兵士だ。それも舞踏会の当日にこの場所を任されるほどには優秀なはずだ。この戦いの初動と私の顔を見て、戦意が喪失していると思いたいが、女王への忠誠心がその判断を覆す可能性もある。十分な距離を取れたことを確認して、私は踵を返し走り出した。 


 蝋燭の明かりだけがポツポツと灯っている。湿っぽい嫌な雰囲気、地下牢のような空気感。鼠が巣を作っていそうな。好んでここを通る人はいないはずだ。だからこそ怪しさが増す。そもそも、ここが宝物庫だというのは本当だろうか? 


 途中から螺旋状の階段に差し掛かり、それがずっと深くまで続いていた。


 地下水の音が聞こえはじめて、ここは城の下水の近くなのだろうと思った。嫌な匂いがそれほどしないのは、近くの河川から水を引き中和させているからだ。螺旋階段は終わりを告げて、道は下水の上に鉄柵が敷かれる形で続いていた。轟々と流れる水の音、それのおかげではないが、私はやがて足音を気にはしなくなっていた。というのも、すぐそこに人がいる気配がしたからだ。下水の近くを好んで選んでいる理由をすぐさま察せなかったことが腹立たしかった。水音に混じって確かに声が聞こえる。甲高い女性の声だ。


 正面に木製の扉が見えて、私は走っていた勢いのまま、その扉をこじ開けた。兵士がいる可能性もあったが、なりふりは構っていられなかった。こちらはいるかもしれない、という覚悟がある。対して向こうは油断とまではいかないはずだが、私の登場は予見出来ないはずなのだ。奇襲の方が優位になるのは目に見えている。


 私の直感に反して、室内には貴族の男と半裸の女性しかいなかった。いきなり人が飛び込んで来たことに驚いたのか、片手で女性の胸を掴んだまま、貴族の男はこちらを向いて固まっていた。


 私は部屋を見渡す。六畳ほどの狭い部屋だ。月明かりほどの薄暗さ。光源は黄色いランプで、木箱の上に乗っていた。だらんと垂れたロープが、石造りの壁に突き刺さった鉄の杭から伸びて、女性の足を縛り付けている。縛られた女性の白い足は少々赤らんでいて、太腿のあたりまでスカートがめくれ上がっていた。胸を掴んでいるのとは反対の手が、淫らな手付きでスカートの中へ伸びている。


 唖然としている貴族の反応から女性はこちらを味方だと察したらしい、「隊長さん、助けてください」と女性が叫んだ。同時に貴族が「誰だ!」とその声に重ねる。


 二人の問いにすぐさま答えることが出来なかったのは、追っていたはずの二人ではなかったからだ。目の前にいる女性は、世話人として参加していた兵士の妻ではない。それでも、私は彼女の顔を知っていた。彼女は一番街の絹織物屋の娘さんだ。染め物の評判が良く、他国からも買い付けに来る客もいるらしい。私の衣も良くそこで注文していたので、娘さんの顔になじみがあったというわけだ。


「貴様、何しに来た!」


 返答のない私に、貴族が再度声を荒げた。彼の眼は私の右手に握られた短刀に向いていた。その瞳はわずかに恐怖の色に染まっている。彼よりも女性の方が怖い思いをしているはずなのに。身勝手なものだ、と怒りに近い感情が湧いてきた。それが殺意に変わることを恐れたのか、私はふいに平静を保つように肩から力を抜く。脳内で反芻していたのは、先程入り口で、兵士が告げていた言葉だった。


 ――本日は先客がいますので、石壁の部屋をお使いください。


 となると、この貴族が先客ということになる。ここに来るまでは警備の兵士が言っていたように一本道だった。石壁の部屋とはどこなのか。私は短刀を貴族の方へ向け、「他にも部屋があるのか?」と訊ねた。


「……知らない」


 一瞬の間をもって貴族は答えた。はっきりと首を振る。けれど、彼の言葉が嘘であることは明白だった。別の貴族があの文言だけで二つ目の部屋を認識するということは、ここを利用するものにとって自明のことだからだ。


「本当に知らないんだ」


 貴族は釘を刺すように繰り返した。恐怖の色をしていたはずの瞳には、余裕に近いものが戻ってきていた。それにこの状況でも彼は女性の胸から手を離そうとしない。なんと強欲なことだろう。残念ながら、私は彼のことを知らないが、もしかすると相当偉い立場の人間なのかもしれない。どこかの王様というところか。はじめは賊か何かが入って来たと思ったのだろうけど、私が御伽の国の軍服を身に纏っていることに気づいて、自分は殺されやしないと高をくくったらしい。


「どこかに別の道があるはずだろ」


 一歩踏み込んで、ぐっと短刀を前に突き立てる。貴族の鼻先から一メートルほどのところでトンと止める。


「本当に知らない。君は何をしに来た?」


 脅しのニュアンスが強い言葉だと思った。立場を弁えろと言われている気がする。彼には悪いがそういう類いのものは今の私には通用しない。現場を目撃してしまった以上、引くことは出来ず、自身の立場を失うことになっても、目の前の女性を守らなくてはいけないからだ。


 左手を貴族の首元に伸ばす。フェルトの首飾りを掴み、座り込んでいた彼を無理やり立ち上がらせた。


「離せ! 貴様、私に手を出せばどうなるか分かっているのか?」


「私は道を聞いているだけです。どうぞ、お答えください。別の部屋はあるんですか?」


 丁寧な言葉使いとは裏腹に、右手に握った短刀を彼の喉元に押し付けた。敬語が冷ややかさを演出するのに役に立ったらしく、彼はすぐに吐いてくれた。そもそも彼が命を危険に晒してまで秘密を守る理由などどこにもない。


「暗くて見えなかったかもしれなかったが、螺旋階段の終わりのところに壁に似せた石の扉があったはずだ」


「石の扉か」


「そうだ。普段は使わないんだ。あそこには鏡もあるから」


「かがみ?」


 聞き慣れない言葉をつい繰り返してしまう。貴族は短刀が触れる喉元を震わせた。


「詳しくは知らない。深く詮索しないのが、お互いの国のためなんだ」


 どうやら本当のことらしい。この後に及んで嘘をつけるような玉には見えない。それ以上の情報はないらしく、彼は唇を噛み締めるように口を閉じた。


「そうか。ありがとう」


 警備兵の時と同様、私は律儀にお礼を言ったが、今度は嫌味のニュアンスも孕んではいた。意識的なものでは無かったが。掴んでいた手を離せば、貴族はその場で腰を抜かしたように倒れ込んだ。


 すかさず、私はしゃがみ込んで、女性の足を縛っている縄を短刀で切ってやる。「立てるか?」と訊ねれば、以外にも「大丈夫です」とはっきりとした声が返って来た。女性というのは立派なものだ。短刀を突きつけられたくらいで腰を抜かす男とはなんと愚かな生き物だろうか。


 反撃の兆候がないことを確認して、私は小部屋から女性を連れ出した。はだけた服を直すのを手伝ってやり、彼女の手を引いて、貴族が言っていた石の扉を目指した。

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