(4)
★人さらい
一番街の住人を招待した舞踏会が始まった。私は変わらず、女王の護衛のために彼女の傍を離れるわけにはいかなかったが、意識は常に他の貴族たちの方に向けていた。怪しい動きがあれば、すぐに現場を抑えるつもりだ。とはいえ、女王の傍を離れては、彼女に危険が及ぶ可能性がある。だから部下には、非常時に女王の傍から離れることがあるから今日は私がいないものとして気を配っていて欲しい、と命令していた。
そもそもこの舞踏会は、数年前に今の女王が即位して直ぐ、他国との交流を深める目的で開催されるようになった。「粛々と厳かな雰囲気に包まれるこの舞踏会は、この国の気品と品格の象徴となる」、それが初めての舞踏会で若き女王が口上した演説だった。彼女の言葉通り、優雅な曲に合わせて、帽子を被った貴族と町の女性たちが舞う光景は優艶と形容できる。上から見下ろせば、開いた蓮の花がくるくると回っているようにも見えた。中には、この舞踏会を『帽子舞踏会』と呼ぶ者もいるらしい。
帽子を被るようになったのは、互いの顔を見づらくするためだとされているが、どうも胡散臭い。この舞踏会が始まって以来、急速に富を得た帽子売りがいる。勘ぐるなという方が難しい。つけ入るのが上手な人間というのは確実に存在するものだ。それを悪として指をさせるほど、私は出来た人間ではないが。
女王の狙い通り、この舞踏会の評判は他国にしかと届いているという。他国に出向いた兵士たちが、御伽の国の舞踏会に行くことが夢だという人々の声を持ち帰ってくることもあった。隣国の貴族や要人への饗応と御伽の国の権威を示す二つの役割を、この舞踏会が果たしていることは疑いようのない事実なのだ。
淡々と舞踏会は進んでいく。何一つ、いつもと変わりない。この舞踏会で人さらいが起きているというのは、私の思い過ごしなのだろうか。そう疑いたくなったが、いつも通りの中にこそ、事件は潜んでいるものだと思った。見慣れた町並みで殺人事件が密かに起こっていたとしても、私たちは気づくことなく、「あぁ、いつもと変わらぬ美しい町だ」と思うはずなのだ。
気品という毛皮を纏った獣が、女性の袖を引こうと機会を伺っている。けれど、茂みに隠れた獣を見つけることは容易くない。獲物を見つけ、襲いかかった瞬間を見逃してはいけない。
「今日は随分と散漫になってるんじゃないかい?」
先程まで隣国の王との会話を嗜んでいた女王に、ふいに声をかけられた。普段は業務的な会話しかないため、私はついに焦ってしまう。
「……、そうでしょうか」
その焦りを隠したい思いから言葉が詰まり妙な間を持たせてしまった。
「いつものあんたらしくないね。隊長の自覚を持った真面目な兵士だと思っていたんだけど、何か気になることでもあるのかい?」
「滅相もございません。女王の護衛を真摯に努めさせて頂いております」
「そうかい? なら、構わないのだけど。下手な詮索なら辞めておいた方がいい。自分の立場もそうだが、隣国との関係や今の情勢を、馬鹿でないあんたなら分かるだろう? 天秤に掛けられているのが何なのかを良く見ることだね。国とは、常に不安定で一つ均衡が傾けば、まるで雪崩のようにすべてが崩れていくもの。天秤皿から溢れるくらいならまだしも、支柱ごと崩壊していくのは珍しいことじゃない」
素直に勘のいい人だと思った。私が嗅ぎ回っていることに気づいていたらしい。名簿の件も含めて、大胆な行動を取っていた節はあるが、獣の袖引きが町で起きている以上、隊長として住人を守るための取るべき行動として不審なものではなかったはずだ。
あくまで城内が怪しいという素振りは見せないように慎重な態度を取っていた。というのも、私は、女王は勝手気ままな政治をしているという批判的な立場についているが、彼女の判断は決して我儘な裸の王様のようなものじゃないことを分かっていた。女王は、彼女なりの信念や考えに基づいて決定を下している。その様は、女王としての貫禄や風格を備えていたから、油断してはならないと肝に銘じていたつもりだった。
「心得ておきます」
「どうだかね。正義感は、その身を滅ぼすことになるよ。滅ぼすのがあんた自身だけなら一向にかまわないけど」
それらの女王の言葉は、この舞踏会に潜む獣の正体をはっきりと明示していた。酒場で兵士と話していた私の憶測は正しかったらしい。けど、それは同時に、こちらが嗅ぎ回っている内容を彼女が勘付いているということだ。
「私の身はこの国と女王様の為に尽くさせて頂きます」
「今はその言葉を信じるしかないね」
想像できないわけじゃない。舞踏会が無くなることは、隣国からの裏の支援がなくなるということだ。それが国の情勢安定にどれだけの影響を与えているのか。女王の言葉を借りれば、天秤の支柱の崩壊らしい。その支柱を守る為に、週に数人の女性がその身を汚されている。それに目を瞑るのは必要悪なのだろうか。
城の窓の外に視線をやれば、広がる城下町が火の海になる光景が目に浮かんだ。多くの人が犠牲になるかもしれない。子どもは殺され、男は奴隷として連れていかれ、女はその身体を弄ばれることだろう。
吐き気を抑えようと、私は溝落に力を込めた。酸い匂いが鼻をかすめる。女王が舞踏会を行う理由が同じものなら、私は彼女に賛成するのだろうか。そう考えると心が揺らぐ。
けれど、トカゲのような尻尾の切り落としは、いつまでも続けられるものじゃない。決断の時はやがて来るはずだ。延命でしかないのなら、私が決断を下すしか無いのかもしれない。
――思い上がるんじゃない。
そう静止してきたのは、弱く臆病な自分だろうか、それとも懸命な自分だろうか。どちらにしても、思い上がりだと言われるのも仕方ないと思う。身勝手な正義感は国民を危険に晒しかねないのだ。結局のところ私の守りたいものは、自分の価値観でしかないのだから。女王と私、はたしてどちらが正しい考えなのだろうか。
そんな思考と同時、私の視界はとある貴族の姿を捉えた。
彼は一人の若い女性の手を掴んでいた。踊るのだからそれ自体は不自然なものではなかったが、彼が掴んでいる女性に問題があった。彼女は貴族から踊りに誘われるべき女性ではないのだ。
彼女が舞踏会に参加している経緯は聞いていた。獣の袖引きの噂のせいで、最近は舞踏会の参加人数が少ないらしく、人数合わせの世話人として呼ばれていたらしい。初子が出来たばかりの彼に休みを与えた矢先だったので申し訳なかったが、彼女は軍に所属している夫の面目の為にと出席を決めていた。
彼女からその経緯を聞き、私は彼女の安全を約束してしまっている。だから、迷いは吹っ切れて、私の中の天秤は自ずと傾いた。
都合のいいことに、女王は貴族の男性と踊りを始めてくれた。しばらくはダンスに夢中になってくれるはずだ。私は女王の視界から上手く消えながら階段を下って、奥へと消えていく貴族を追いかけた。
叫び声でも上げてくれれば、こそこそと動くこともなく助けられるのに。そう思ったが、彼女が叫び声をあげられないのも無理はない。脅されているのか、嘘の要件で騙されているのか。これまでバレずに袖を引き続けられるのにはそれなりの手口があるはず。その手口に興味はないけれど。
人混みに身を紛れさせる。綺羅びやかな会場には、お菓子と淑女の甘い香りが混ざりあっていた。視界の端には常に彼女の姿を捉えて逃さないように、舞い続ける男女の間を抜けていく。
袖引きが城内で行われているのだから、どこかに専用の部屋があるはずだと私は考えていた。隊長であっても立入禁止の区域は存在しているし、城内のすべてを把握しているわけじゃない。その場所を突き止めることが、この事件の解決になるはずだ。それになんとなく目を付けている場所はある。
平静を保っていたつもりだったが、私も焦っていたらしい。廊下へと抜ける扉の前でうっかり男と肩をぶつけてしまった。噂の帽子屋だった。カリカリしているらしく、「どこに目を付けている」と怒鳴られたが、私が隊長であることをすぐに認識したのか、彼は小さく身を屈めて黙り込んでしまった。相手にしている暇はないので、「気にするな」と一声だけかける。
帽子屋のせいで彼女を視界から一瞬だけ外してしまい不安になったが、廊下に出れば、その姿を捉えることが出来た。どうもおかしいのは、城の上層へと繋がる方ではなく、下層へと続く通路の方へ進んでいったことだ。もちろん、他国の要人であっても城の上層へ勝手に入らせるわけにはいかないのだが、下層となればなおさらだ。
地下には宝物庫などがあり、入り口に配置された警備の者以外は入れないようになっていた。もちろん隊長である私も。よほど貴重なものを仕舞っているのだろう。それか、見せたくないものがそこにあるのか。恐らく後者だ。それにこの警備兵は、私の管轄ではなく女王直属の兵士だった。それだけで疑うには十分過ぎる。
「通してくれ」
私が廊下の隅に身を潜めていると、貴族の声が聞こえた。警備の兵士たちに向けられたものだ。
「畏まりました。本日は先客がいますので、石壁の部屋をお使いください」
「分かった」
会話は短く事務的なものだった。足音が遠のく。タイミングを間違ってはいけない。私の存在が貴族にバレず、同時に行方を見失わないその時を図る。角から顔を出し様子を伺った。警備兵はこちらに背を向けている。貴族が見えなくなるまで律儀に敬礼をしてくれているようだ。警備兵がその敬礼を辞めた瞬間に、私は腰元に潜ませていた短刀を手に飛び出した。
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