(3)

 ★アリス


 城の入り口から舞踏会の会場までは、真っ赤な絨毯が敷かれていた。見るからに高そうなものだが、参加者たちが気に留める様子はない。彼女たちの目的は、貴族たちに気に入られることだ。そのために、誰もがドレスを着飾り躍起になっている。気持ちは分からなくはない。見初められれば、一生を裕福なまま暮らせる。富とは何よりも魅力的なものの一つだ。


「すごい人だね」


「そうね」


「もう少し興味のあるようにしないと! 怪しまれちゃいけないんだから」


「緊張していると思われるだけよ。誰も怪しんだりしないわ」


 左右には剣を構えた兵士たちが等間隔で並び警備を行っていた。この兵士の数と質こそが、この国が他国に示す権威の象徴なんだろうと思う。その兵士たちにこちらの目的がバレやしないかと僕はヒヤヒヤしていた。


「アリスの言う通りね」とうさぎの耳の彼女は口端を釣り上げる。


「堂々としていればいいのよ。あなたはいま、アリスを守る兵士の格好をしているんだから、それらしく、しゃきっとしておかないとね」


「そういうものかな」


「大方の人の目は見てくれで誤魔化せるものよ。真実を見抜けるものはそれほど多くない。けど、今回はそこが肝と言える」


「どういうこと?」


「時には本当のことを見抜く人も混じっているということ。それを上手く利用するのが良い女なのよ」


 彼女の言っている意味は良く分からなかったけど、僕はアリスの傍を離れないでおこうと思った。見てくれだけは、アリスを護衛する兵士なのだから、それらしい仕草をしておかなくちゃいけない。僕のアリスを守りたいという気持ちは人一倍強い。これだけは見てくれの嘘じゃないから。


 *


 会場は、豪華なシャンデリアが煌めいて、まるで昼間のように明るくなっていた。いたるところに飾られているダイヤや真珠の装飾が目に眩しい。舞踏会の時間にはまだ少しだけ早く、執事やメイドたちはゆったりとしたペースで食事や飲み物の準備をしている。並べられているのは、見たこともないような豪華な料理ばかり。それには目もくれず、女性たちの一部はすでに貴族の男性との交流を始めていた。


 本当に熱心なものだと僕は感心する。そんな女性たちと会話を楽しんでいる貴族たちの目から、心做しか汚いものを感じるのはどうしてだろうか。下心のように見えるけど、その瞳に奥に宿しているのは純粋な恋心のような淡いものじゃない。漠然と感じた居心地の悪さから気を紛らせたくて、「アリスは、どう思う?」と声をかけようと思い振り返れば、お茶会で会った気の強そうな彼女がアリスの傍に近づいて来ていた。


「あら、あなたも来てたの?」


「……えぇ」


 お茶会のこともあったせいか、アリスは露骨に嫌な表情をして視線を逸した。助けを求めるように僕の方を向く。それが気に食わなかったのか、気の強そうな彼女は、僕を指差して嫌味な口調を強めた。


「どうしてまたピエロがいるの! ここに招待されているのは女性のみのはずよ?」


「僕はアリスの護衛だからさ!」


 服の襟を掴んで、どうだと言わんばかりに見せつける。どこから、どう見ても兵士の格好だ。てっきり納得してくれるものかと思ったけど、彼女はとても侮蔑的な笑いをこぼした。


「見るからに弱そうよ。あなたが誰かを守れるわけないでしょ?」


 ひどく腹が立ったけど、残念ながらそれに言い返すことは出来ない。僕がアリスを守りたい気持ちは紛れもない真実だけど、その力があるかと言われると甚だ疑問だから。姿勢だけではアリスを守れないのは事実なのだ。


 気の強そうな彼女は、見下すように僕を視界の隅に捉えながら言葉を続ける。


「そうだわ、お茶会の時みたいに隅にいればいいのよ。ここは女性が主役の場なんだから、役に立たないピエロは引っ込んでなさい」


「そういうわけにはいかない!」


 僕が語気を強めれば、気の強そうな彼女は目を丸くした。この間のように僕が素直に従うと思ったのだろう。


「今日の僕はアリスの護衛だ。たとえ力がなかったとしても、それだけは譲れない」


「何よ、ただの何も出来ない道化師のくせに。せいぜい楽しむといいわ。とても、あなたみたいな汚れた女性に育てられた子が、貴族の方たちに見初められるとは思えないけど」


 そう言い残して、気の強そうな彼女は貴族たちが集まっている方へと立ち去って行った。


「ごめん、アリス。……僕が下手に言い返したりしたから」


「ううん。別に気にしてない。あなたこそひどいこと言われていたけど、大丈夫?」


「僕は平気さ。アリスを守らなくちゃいけないからね」


「そ、ありがとう」


 わざとらしく逸らされた視線は、素直なお礼の証だ。僕は珍しく舞い上がってしまった。その喜びが表に出てしまっていたらしく、「気持ち悪い」とアリスは唇をつんと尖らせた。


 *


 舞踏会の準備が着々と進み、会場は沢山の人で賑わい出した。すでに踊り出している人もいる。退屈そうにするアリスを横目に見ながら、僕が考えていたのは、うさぎの耳の彼女が言った「真実を見抜く人」というのが、今の気の強そうな彼女のことだろうか、ということだった。彼女は、僕を虚構の兵士であると見抜いていたから。そのことをうさぎの耳の彼女に訊ねれば、彼女ははっきりとかぶりを振った。


「あの子は何も見えていないわ」


「でも、僕にアリスを守る力が無いのは真実だよ」


「そうかしら? あなたには、アリスを守りたいって気持ちがあったじゃないかしら? 兵士になるなんてそれだけで十分だと思わない」


「確かに僕はアリスを守りたいと思っていたよ。……けど、気持ちだけ兵士になれるものかな」


「少なくともあの子からアリスを守ったじゃない」


「守れていたかな?」


「ええ」


 嬉しそうに頷いた僕を見て、うさぎの耳の彼女はニコッと笑みを作った。守りたいというその思いが僕を兵士たらしめてくれているらしい。つまり、心が伴えば、見てくれも嘘じゃなくなるということ。ちょっとだけ嬉しい気持ちになる。


 だけど、僕がちゃんと兵士になれているのだとすれば、うさぎの耳の彼女が言っていた、誰かによって見抜かれる「見てくれの誤魔化し」とは一体何を差していたのだろうか。てっきり、僕が兵士でないことだとばかり思っていたのに。僕が訊ねようとすると、彼女は、はぐらかすように僕の言葉に声を重ねた。


「けど、油断をしてはいけない。あなたも見てくれの嘘に騙される時が必ずやってくる」


「僕も騙されるの?」


「そう。その瞬間は必ず訪れる。それは、あなたたちがこの運命を選択したから」


「この運命って、向こうの世界に行くことを決めた決断のこと」


「そういうことよ」


「まるで先のことを予言しているような言い回しだよ」


「予言なんて大層なものじゃないわ。けど、上手く歯車が噛み合えば、いつか選択を迫られる」


 予言じゃないとすれば、僕の脳裏に過ぎったのは、彼女の手の上で転がされている自分の姿だった。弄ばれる道化師というのは、本来あるべき姿なのかもしれない。


 彼女が言葉を続ける。


「でも、その時に見なくちゃいけないのは心じゃないかしら」


「心?」


「もちろんあなたが何を大切にしているかだけど。見てくれが大切だというならそれも結構なことよ。けど、あなたは心の在り処を考えなければいけない時がやってくる。それだけを肝に命じておきなさい」


「……分かったよ」


 上手くはぐらかされてしまったけど、彼女が予言者か策士のどっちかだとすれば、すぐに分かる日が来ることだろうと僕はあまり深く考えないことにした。


 そして、僕らの話など他所に、舞踏会はいきなり始まりを迎えた。城の楽器隊の演奏が会場に響き、同時に会場にいる人がどっと湧いた。黄色い歓声に煽られて、階段上の踊り場に豪華な衣装を着た女性が現れた。


「ようこそ我が城へ。紳士淑女たちよ、今宵も雅な舞踏会を篤と堪能していきなさい」


 彼女の言葉に全員が拍手を送った。満足気に彼女は僕たちを見下ろしている。何を隠そう、彼女はこの国の女王だ。見た目は美しい。見てくれしか見なくていいのなら、素敵な女性だと言える。


 けど、十五年ほど前に若くして即位してからというもの、彼女は勝手気ままに御伽の国を統治してきたらしい。その最たるものがこの舞踏会というわけだ。以前は、経済的な問題や兵数が減っていたことで、随分と国の情勢を圧迫していたようだが、先の戦争で勝利を収めたことから誰も口出しが出来なくなったとの噂も聞いたことがある。


 女王の口上に合わせて、軽快な音楽が流れ始めた。幻想的なメロディが綺羅びやかな会場に溶けていくように混ざり合う。紳士たちが、手近な淑女を見つけては声をかけ、その手を取って踊り始めた。腰を抱き身体を寄せて、心を通じ合わせるようにリズムに身体を預けていく。まるで花から花へと移ろう蝶のように、相手を変えながら、彼らは気にいる女性を探すのだ。


「アリスは踊らないの?」


「踊り方が分からないもの」


「でも、踊らないと不自然だ」


 手を差し出すくらいしても良かったのかもしれない。これは僕なりの精一杯の誘い文句のつもりだと、もっと分かりやすくするべきだった。だって、アリスには僕の意図は全く伝わっていなかったから。


 叱られた子どものように、「私はそんな風には思わない」とすっかり拗ねた口ぶりでそっぽを向かれてしまう。僕は謝ろうとしたけど、先に声を掛けたのはうさぎの耳の彼女だった。


「踊れないなら食事はどうかしら? せっかく用意してくれているんだから食べないと損だわ」


 うさぎの耳の彼女にそう言われて、アリスは豪華な食事が用意されているテーブルの方へ向かった。僕はあくまで参加者ではないので食事に手をつけることは出来ない。


 美味しそうに大きな肉を頬張るアリスを少し離れたところから眺めて、この美しい会場でアリスと踊れたらどれだけ幸せだっただろうか、と考えていた。紳士淑女たちが優雅に舞う会場をぼんやりと眺めながら、意気地なしの自分を呪いたくなる。ここまで来ておいて、手を取るくらいわけなかったはずなのに。


 ぼんやりとしながら時間だけが過ぎていく、リズミカルな曲から穏やかな曲へと移ろい、やがて会場の雰囲気もしっとりとし始めた。気のせいか、照明も少しばかり落ち着いたように見える。


 ムーディーな空気に包まれた会場は、先程までとはすっかり別の顔になっていた。お気に入りの相手を見つけた紳士淑女は、互いに身を寄せながらそっと唇を交わし始める。その刺激の強い場面を直視することは出来ず、僕は咄嗟に視線を窓の外へ逸した。星の見えない暗い空を見つめながら、耳には甘い女性の声だけが入ってくる。脳内にいけない何かが流れている感覚になった。


 思えば、ここにはアリスや僕と同じくらいの年齢の子たちも参加しているはずだ。たとえば気の強そうな彼女も大人たちと同じようなことをしているのだろうか。想像すると不思議と身体が熱くなった。ホッとしたのは、辺りを見渡しても彼女の姿が見当たらなかったからだ。


「ねえ、混乱はまだなの?」


 耐えかねて、僕はうさぎの耳の彼女に問いかけた。彼女は異様に辺りを気にしている。


「もう少し待って」


「もう少したって……!」


 そう言われても困る。紳士の手は、僕らの目の前で、淑女の身体をいやらしい手つきで撫でているじゃないか。その表情はもはや紳士のそれではない。欲望に染まった瞳は獣のように感じた。獣が淑女の袖を引く。僕はこの時、説話の恐ろしさを肌身に感じた。


「……どこにいるのかしら。……必ず来ているはずなのよ」


「来る? 誰かを待っているの?」


 ブツブツと独り言を呟くうさぎの耳の彼女は、僕の質問に反応してくれなかった。どうするべきだろう。彼女の判断を待たずに僕が混乱を起こすべきなのか。僕が迷っていると、視界の端でアリスに近づく男の姿が見えた。


 その男は貴族と同じ服装をしていたが、僕はその男を知っていた。以前に黒いスーツを身に纏いアリスに近づいて来た男だ。僕は嫌な想像をしてしまう。アリスの身体に触れる男の手、アリスの唇を奪おうと舐めずる男の舌。胸が締め付けられるような気持ちの悪さが、肺の奥底をかき回してくる。吐きそうなくらい気分が悪くて、とてもじゃないがじっとしていられなかった。


「ダメだ! 待ってられないよ!」


「待って、私はまだ合図を出していないわ」


 僕は彼女の静止を振り切り、食事の置かれた机に足を掛けた。

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