第一話⑦ 僕はお前を忘れない


 僕が目を覚ますと、そこには白い天井が広がっていた。どこだここ、と思ったのもつかの間。急に視界に泣き顔の母親が入ってきた。


「目を! 目を覚ましましたよ先生っ! カオルちゃん! お母さんが解る!?」


 久しぶりに見たなぁ、と思っていると、今度は父親も入ってきた。


「良かった……お前が生きていてくれて……本当に……ッ!」


 二人とも泣いている。目をあけた僕を見て泣いている。ああ、そうか。なんとなくだけど、状況が解ってきた。


 あれを飲み込んだ僕は、ひたすらに奴らをボコってやった。打ち付け、締め上げ、四肢を引っ張り上げてやった。


 アイツらが情けなく命乞いする姿は、僕の心に暗い喜びを与えてくれた。ザマア見ろ、いい気味だ、と。


 このまま僕は全てを超えてやることができると思っていたのに……突然やってきた、あの女に負けた。僕は、負けたんだ。


「……まだ意識が戻ったばかりです。しばらくは安静にさせておきましょう」


「先生、ありがとうございましたッ!」


「ありがとうございましたッ! あとあなた。さっきニュースでやってたんだけどあの業者、やっぱり悪徳だったみたいだわ。今回の件で事情聴取をした際に不審に思った警察が調べたらしいのよ」


「本当かッ? それなら私達が払ったお金も戻ってくるかもしれないな。こっちは被害者なんだし……」


 医者と両親が何か話している。耳には入ってきていたが、僕の脳みそはそれを処理していなかった。考えるのは、あの女のこと。


 まだアイツらへの復讐も終えていない状況で、あの女は僕の邪魔をしやがった。


 奴らをいたぶり、辱め、絶望と後悔の中で無慈悲に殺してやろうと思っていたのに。あの女は僕の復讐に、無粋な横やりを入れてきやがった。


 それが単純に、ムカつく。


 加えて、女の身体なんて触れたことなかった僕は、触手で捕まえた時に触ってみたい箇所に触手で触れてやった。


 胸を、尻を、股を、存分に舐ってやった。初めて触れた女性の身体は柔らかくて……正直、興奮した。あのまま犯してやろうと思っていた。


 でも僕は負けた。あの女の起こした風に身体をみじん切りにされ、最後には杖みたいなやつで思いっきり頭をぶん殴られた。


 その拍子に飲み込んでいたアレを吐き出してしまい、僕は元に戻った。そこまでは覚えている。


「……ッ! ……ッ!」


 周りで何か喋っている音がするが、僕にはもう聞こえていない。僕の中に渦巻いているのは……あの女に対する憎悪と劣情だった。


 アイツさえいなければ、僕は全てに復讐できた。まだ両親もあのヤクザ共もクラスメイトさえも生きてやがる。僕をこんな目に遭わせたアイツらが、のうのうと生きてやがる。それを許すことはできない。


 それに、アイツさえ大人しくしていれば、僕はアイツを犯してやることができた。今まで画像や動画でしか見たことのなかった、女性の身体。あんなに興奮するものだとは思わなかった。もう一度、もう一度舐ってやりたい。


 僕の中には復讐を邪魔したあの女に対する憎悪と、あの女の身体を滅茶苦茶に犯してやりたいという劣情が同居していた。


 それらは僕の心の中で大きくなっていき、いつしかあの女の事しか考えられなくなっていた。


 僕の邪魔をしたあの女が憎い。八つ裂きにして僕に楯突いたことを後悔させてやりたい。


 僕が舐ってやったあの女を犯したい。身体をドロドロになるまっで舐り尽くし、絶頂を迎えさせてやりたい。


 二つ感情が、グルグルグルグル頭の中を回っていた。


『……ほほう、これはこれは。あれだけ打ちのめされたのに、まだこんな強い感情を持っているとは……驚きですよォ』


 不意に、あの声が聞こえた気がした。まだ身体を動かせない僕は目だけをキョロキョロさせてみたが、両親と医者と思われる男性しか見えてこない。


 ヤクザらにボコられた時に聞こえた、あの時と同じ声だ。この声のお前は、一体誰なんだ?


『……ああ、ワタシのことかい? そう言えば自己紹介がまだだったねェ。ワタシの名前はルッチ。ルッチ=ベルアゴンだ。呼ぶときは是非愛を込めて、ルッチちゃん、って呼んで欲しいねェ』


 ルッチ。この声はそう名乗った。そのルッチが、僕になんの用だ?


『ああ、もっと愛を込めてって呼んで欲しいのに……まあいいや。君、負けちゃったんだよね、あの女に。悔しいよねェ? 憎らしいよねェ? 加えて、あの女に劣情も催してるねェ。さっきからその二つの感情が、ビンビン伝わってきてるよォ』


 だからなんだ。それがどうした。僕の思っている事をお前が知って、それでどうだと言うんだ。


 また僕に、以前のような力をくれるとでも言うのか?


『せーかい! その通りだッ! 君のその執念を、感情をそのままにしておくなんてもったいないこと、ワタシにはできないッ! 久しぶりに当たりを引いたんだ! 大切にしていきたいんだよねェ』


 僕の事を当たりだと言ったこのルッチ。まるで今までにも、他の人間で試してきたかのような言い回しだ。


『そんなことどうでもいいじゃないかァ。ワタシは君に力をあげて研究する。君はそれを思う存分に振るって、復讐なりなんなりができる。この世界ではこういう互いにハッピーなことを、Win-Winって言うんだろうゥ? 良い言葉じゃないかァ』


 ルッチがそう言ったその瞬間、僕の右手のひらの中に、何かが現れた。


 丸い形でウズラの卵くらいの大きさなのは変わらないが、この前のものとは違い、まるで磨かれたガラスのようにスベスベしていて、なおかつ固い感触がある。


『それを、君にあげるよ。使い方は前と同じ、それを飲み込むだけさァ。今度のはこの前のデータを元に更に改良したやつだから、パワーも段違いだと思うよォ?』


「…………」


 その言葉を聞いて、手の中のそれを握り締める。この前よりも、強い力が、今、僕の右手の中にある。


『あっ、今すぐはやめた方がいいかもよ。君、相当衰弱してるからねェ。身体が耐えきれないかもしれないよォ? もう少し回復してからの方が、賢明だねェ』


「……お前の目的は、なんだ?」


 かすれる声で、僕は問いかけた。この声だと、おそらく医者や両親には聞こえていなかったのだろう。こちらに聞きに来る様子がないし。


 しかし、先ほどから頭の中に響いてくるようなルッチには、しっかり聞こえていたみたいだった。


「……研究って、なんの研究だ? それを知って、お前は何をするつもりなんだ?」


『ひ、み、つゥ』


 言葉は届いていたみたいだが、はぐらかされた。なんだよ、ケチくさい。


『こういうのは勿体ぶった方が面白いからねェ。そうだねー、君にあげたその力を使いこなすことができたら、その時に教えてあげるよォ。ま、ぶっちゃけ大した理由でもないんだけどねェ……ヒャーッハハハハハハッ!』


「…………」


 何が勿体ぶった方が面白いだ。言い方もキモいし、面倒くさい。さっさと教えろ。


 僕はそんなお前に付き合ってやる必要なんてない。僕が気になったんだから、さっさと言えばいいんだよ。


『おおっと、不機嫌になっちゃったかな? せっかちだなァ。君、推理小説とか楽しめないタイプゥ? さっさと結末見てるだけじゃ、色々と勿体ないよォ? もっと心にゆとりを持って、過程を楽しまないとさァ』


 うるさい。お前なんかに説教される覚えはない。


『おお怖い怖い。こういう感情もあるのかァ……おっと、悪い癖が。じゃ、ワタシはこの辺で退散しようかな。その力を使ってくれること、楽しみにしてるよォ』


 そうして、ルッチの声は聞こえなくなった。何度か呼んでみたが、反応なし。本当に言わないままにいなくなりやがった、クソが。どいつもこいつもバカにしやがって。


「……まあいいさ。それよりも、だ」


 ルッチに対する悪態もあるが、今はそれよりも大事なことがある。あの女に復讐してやれる力が、あの女を犯してやれる力が、僕の右手に握られているのだ。


 一体どうやって復讐してやろうか。一体どうやって犯してやろうか。僕は頭の中で、様々なシミュレーションを繰り返した。


「……クックックック……」


 人知れず、僕は笑った。あの女に対する感情を燃やしたら、もうルッチとやらの思惑なんてどうでも良かった。あの女を見返してやれるなら、他はどうだっていい。今は大人しく、この思いを滾らせておこう。


 覚えてろよ、あの女。僕はお前を、忘れないからな……。

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