第一話③ どうしちまったんだよ


 課題、とな。課題課題……。


「……もしかして、次の次のデータベース基礎のやつ?」


「うん。あれ、結構難しかったからどうだったのかなーって」


「……忘れてた」


「バカだろお前」


 カズヤから無慈悲でド直球の悪口が飛んできた。いやまあ、悪いのは俺だから甘んじて受けるが、もうちょい言い方はないのか言い方は。


「どーすんだよ? あれ、毎回出される課題提出が単位の条件だろ?」


「そうだったよなぁ……なあ。次の一般教養って、出席が必須じゃなかったよな?」


「うん。次の一般教養は期末テストの点だけで単位がもらえたと思うけど……」


「良し。キョーコ、後で好きな本買ってやるからノートを頼む」


 俺はキョーコに向かって頭を下げた。出席が必須でない講義なら、最悪出なくても単位はもらえる。


 ここは財布の中身を引き替えにしてでも、キョーコにお願いするしかない。カズヤのノートは、落書きやら何やらで暗号にしか見えないし。


「……しょうがないなあ。欲しい小説の新作がハードカバーで出るから、それをお願いしようかなあ?」


 くっ。微妙にキツいが出せないこともないラインを突いてこられた。どんなに高くてもおそらく四、五千円くらいだろう。ここは飲み込むしかない。


「そ、それで頼むわ……」


「うん、任せておいて」


「……にしても、ついにこの辺でも出たのかー」


 ラーメンをすすりながら、カズヤはスマホを弄っている。


「出たって、もしかして……」


「そ。異形だよ異形」


 キョーコの推測を、カズヤが肯定した。


 今話題に出た、"異形"という単語。ここ最近になって急に世界中で出始めた、物語やフィクションでしかなかった化け物達の総称だ。


 ドラゴンみたいな見た目のかっこいいやつから、それこそクトゥルフ神話の神々みたいな見るだけで吐き気を催すようなやつまで、その種類は多種多様。


 共通しているのは、それら全てが人類に対して敵対行動を取ってくる奴らばかりだということだ。


 警察や各国の軍隊も出動しているらしいが、未だにその正体や出所については不明。某国の生物兵器だという説や、世界を終焉に誘う黙示録の怪物というオカルトチックな説まで飛び交っているが、真相は闇の中だ。


 しかし、それには希望もあった。異形が出現したと同時に、世界各国に不思議な力を持って異形を退治する者達が現れたのだ。


 今では異形が発生した地域には必ず一人はいるみたいで、男性は「ヒーロー」、女性は「ヒロイン」と呼ばれている。


 各地域の警察とも協力しているらしく、要は公認の正義の味方というやつだ。


 とは言え、今までそれは別の地域での話であった。この辺りはそういった話がなく比較的平和であった筈なのだが……遂に異形の手はここまで伸びてきたのかと、俺は少し気分が重くなった。


「この辺って、近いのか?」


「最近工事してた、ビルの近くの河川敷だとよ」


 俺が場所を聞くと、カズヤはスマホの画面をスクロールさせながらそう答えた。


 前は何かの会社が入ってたみたいなのだがちょっと前に倒産したのか、気がつくと空きビルになっていた。厳しい世の中だ。


 そうしてガワだけが残ったビルをどっかの企業が買い取り、改装工事を行っていたらしいのだが、その近くの河川敷ということは。


「……気をつけろよカズヤ。オメーのアパートの近くじゃねぇか」


「……そーなんだよなー。今日も来る途中、なーんか警察車両が止まってるなーとか思ってたら……最近、あの先生も変わっちまったし……ったく何だってんだよ、ホント」


「……物騒な世の中になっちゃったね」


 そんな話をしながらお昼を食べ、食べ終わった後に俺は二人と別れた。


 一般教養の講義に行った二人を見送り、俺は一人、自分の所属する学部棟の屋上に向かっている。一人になれてかつ学内Wi-Fiが使える場所ということで、俺のお気に入りの場所だ。


 普段は施錠されているのだが、おそらく整備とかで使うように階段の隅っこに隠してあった鍵を見つけてしまったが為に、今では俺だけの楽園となっている。


 研究室から持ってきたノートパソコンを片手に、俺は一人、屋上へと続く階段を登っていた。


「……ふざけないでくださいッ!」


「ハーッハッハッハッ! 良いですねェ、良い感情ですねェッ!」


 その途中で、下の階から声が聞こえた。何事かと覗いてみると、ある部屋から一人の女生徒が怒りながら出てきている。そして白髪混じりの五十代後半の男性が、笑いながら開けっ放しになった扉を閉めていた。


「……南斎(なんざい)先生。ホントにどうしちまったんだよ」


 それを見た俺は、ボヤかずにはいられなかった。笑っていたあの先生は、南斎ゼンジロウ先生。俺のいる学部学科に所属する教授の先生だ。


 入学時に上級生と一悶着を起こしてしまい、一人ぼっちになりかけていた俺を心配して色々と面倒をみてくれた先生。カズヤと友達になれたのも、この人のお陰が大きい。


 人の良い優しそうなおじさんという雰囲気だった筈の先生は、ここ最近になって変わってしまった。


 誰かをバカにしたり、こちらの感情を逆なでするようなことを平気で言ったり。かと思えば授業もほっぽって研究室に引きこもったりと、やりたい放題だ。


 大学側も何か対処を検討しているとの噂もあるらしく、一度話に行った時も本当に別人になってしまったとしか思えない印象を受けた。


「…………行くか」


 そんなやり場のない思いを胸に抱きつつ、俺は階段を登る。


「……ま。とりあえずさっさと課題を終わらせて……ん?」


「……のため、我と契約を交わすものなり……」


 すると屋上に続く扉の向こうから、なにやら人の声が聞こえた。声色からして、どうも女性っぽい。


 うわ、今日は誰かいるのかと少しげんなりした俺は、一応様子だけ見ておこうかとそっと扉を開けた。


「……さあ契約候補者であるユウ。この契約に応えるのであれば了承の意を示せ。それで契約は成る」


 そこには漫画等でしか見たことなかった魔方陣のようなものが屋上の床一面に敷き詰められて輝いており、その中央には女性が立っていた。


 薄い。胸部の脂肪とか存在感がとかそういう話ではなく、この女性は物理的に薄かった。向こう側が若干透けて見えている感じで、パッと見、幽霊かと思った。


 と言うか、この人何してるんだ? 大学の学部棟という公共の建物の屋上で、あまりに非日常的なその光景。


 そして何よりも、ユウという自分の名前を呼ばれたことで、俺は思わず返事をしてしまった。


「……はい?」


「…………えっ?」


 俺の声が届いたのだろうか。魔方陣の中心に立つ女性が、間の抜けた声を出しながらこちらを見た。その彼女とバッチリと目が合ってしまう。


 すると突然、虚空から機械的な声が響いてきた。


『――了承の返事を得た。これより魔女、エルゼローテ=ヴィンセントと人間、高崎ユウの契約を締結する』


「……ってちょっと待ちなさいよッ!!!」


 その声が聞こえたかと思ったら、この女性――エルゼローテさん?――が声を上げた。


 って俺としてもちょっと待って。えっ? 今契約締結とか言わなかった? しかも俺の名前で。


「今のはお試し! やり方が間違ってないかリハーサルしてただけなの! 人がいるなんて聞いてないし、第一、ユウって適当に名前出したら本当にそんな名前の人が来てたとかあるッ!?」


『――これより契約締結に伴う初期設定を行う。エルゼローテ=ヴィンセントの身体をスキャン開始……』


「だから違うって言ってるでしょ、このポンコツッ! これだから融通の効かない魔導プログラムは嫌いなのよッ!」


 すると、みるみるうちにエルゼローテさんの身体が光り始め、それを見た彼女が更に慌てた様子で持っていた杖を叩いている。


『――スキャン完了。初期設定、オールクリア。これより作業に入ります』


 三度、虚空から声がした時に、杖を叩きながらエルゼローテさんがこちらを見た。その表情には焦りと怒りが見て取れる。いや、そんな顔されても。


『――"魔女ノ来訪(ウィッチドライブ)"、起動開始』


「な、なんでアンタみたいなのがこんな所に居るのよッ! リハのつもりがそのまま契約しちゃったじゃないッ! どうしてくれるのよッ!!!」


 こうしてエルゼローテさんは光となって俺の中に入り込み、俺は女の子になりました、とさ。


 そうして身体を勝手に操られて走らされ、異形のいる工事現場へとたどり着いたのである。

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