第一話② ミートナスパスタで良かったな


 一回も間違えないで生きていける人間なんているんだろうか。俺はいないと思っている。


 誰しもが何かしらで間違えることはあるだろうし、それは大人も子どもも関係ない。どんな天才でも、どんな凡人でも、生きていれば絶対に何かを間違える時がある。


 それは料理の際に砂糖と塩を取り違えるような可愛らしいものから、爆弾解体の際に赤と青の線を切り間違えて爆発させてしまうような取り返しのつかないものまで、多種多様だ。


 間違えないに超したことはないが、なかなか人生、そうはいかない。俺だってそうだ。思い返してみれば、間違ってばっかの人生だった。


 早くに両親を事故で亡くして嘆き悲しみ、喚き散らした挙げ句にグレて喧嘩に明け暮れていた俺。どうでも良いことでカッとなって、すぐに手が出た。


 小さい頃から空手を習い、県大会優勝までしてしまった俺は無駄に強かった。その所為もあって喧嘩がさらなる喧嘩を呼び、問題ばかり起こしていた俺は、とてもじゃないけど正しく生きてきたとは言えない有様だった。


 それを許してくれていたのは、俺を一人で育ててくれた婆ちゃん。婆ちゃんはいつも言っていた。


「誰だって間違えるものさ。それは、仕方のないことなんだよ。だから、間違えちゃったら、まずはキチンと謝る。そして何かされたとしても、すぐに怒ったりせずに、話を聞いて、なるべく許してあげるんだよ。それくらい、大きい男におなり」


 いやいや。言いたいことは解る。それが正しいことだって、よぉく解りはするが、現実はそうもいかない。


 失敗したら反射的に言い訳を探してしまうし、特に不可抗力でそうなってしまった時なんてそうだ。ごめんなさいの前に、言いたい事や説明したい言葉は山ほど出てくる。


 それに一方的にされておいてそれをあっさり許すなんて、そうそうできる事じゃない。こちらは気分が悪い訳だし、中には仕方ないことなんだと開き直って、謝ってこない奴だっている。


 でもそう言っていた婆ちゃんは、自分は悪くないのにキチンと頭を下げて謝っていた。俺がやらかした事を謝り、そしていつだって俺を許してくれた。


 年老いた婆ちゃんもちょっと前に亡くなってしまったけど、しっかりと謝り、そして許してくれる婆ちゃんの小さくて大きな姿は、俺の脳裏に焼き付いている。


 解ってはいる、解ってはいるんだ。婆ちゃんが正しいんだって。ちゃんと謝る事の誠実さ。許してあげることの寛容さ。それが大切なことなんだって、そんなことは解ってはいる。


 解っている筈……なの、だが。


「ほい、持ってきたぜユウ」


「おー、サンキューカズヤ」


 俺はとある大学に通う大学一年生だ。浪人したが、やっと大学生になれた。所属学科は、今流行のパソコン系。


 現在、学生食堂で腹を空かせていた俺にご飯を持ってきてくれたのが、入学時に友達になってくれたカズヤだ。


 背が高く、髪の毛を青髪に染めてワックスで逆立てて、流行の服を着こなして華麗な大学デビューを果たしたコイツ。


 黒髪に戻し、年がら年中ジーンズにTシャツの俺とは似ても似つかない奴だが、話してみると結構面白い奴だった。


 そんな彼と話している内に仲良くなり、今では大学で一番関わっている男となっている。ちなみに彼はイケイケな格好をしているが、趣味は漫画やゲームとかなりオタク寄りだ。お陰で俺も、そういう物に対する興味が出てきた。


「……にしても、まーたミートナスパスタかよ。好き過ぎるだろお前」


「……は? おい。今日は俺、オススメ定食Aで頼んだ筈だぞ?」


「……あっ。ワリィ、ついいつもの癖で……」


 目の前に配膳された湯気を立てているパスタを見て、俺は首を捻った。俺が頼んだのは今日のオススメ定食Aだった筈だ。カニクリームコロッケの。


 確かに俺は、ミートスパゲッティに茹でたナスが一本丸々乗っている豪快な食べ物である、このミートナスパスタをこよなく愛している。


 だし汁で茹でられたナスと、ミートスパゲティのハーモニーが絶妙なこの一品。初めて食った時の感動が忘れられなくて、今では俺の主食と言っても過言ではない。


 それはともかくとして、今日は珍しくカニクリームコロッケの気分だったんだ。わざわざ違うからなと言って頼んだというのに、カズヤはいつものやつを持ってきやがった。


 おそらく、ロクに話も聞いていないまま、どうせコイツはいつものこれだろうとか思って注文したのだろう。


「す、すまねぇユウ……」


「…………」


 明らかに間違えたのは向こうで、カズヤもそれを理解しているからこそキチンと謝ってきた。それはよぉく解る。


 だが俺は、オススメ定食Aのカニクリームコロッケが食いたかったんだ。注文を任せた俺にも責任の一端はあるのかもしれんが、それでも間違えて頼んできたのはカズヤの所為だ。つまり。


「……金は払わねえからな? ったく」


「……解ったよ。悪かったって、そんな怒んなよ」


 俺はカズヤに渡すつもりだった昼飯代を財布にしまい込んだ。間違えたのは向こうが悪いんだし、これくらいしても許されるだろう。


 そんな高いもんでもなかった為か、カズヤもそれ以上は言ってこなかった。


 しかし微妙な空気になってしまったのは否めない。ここは少し場を和ませようと、俺も軽口を開いた。


「……まあ、持ってきたのがミートナスパスタで良かったな。他だったら一発入れてたぜ?」


「マジかよ。空手経験者のオメーに言われると洒落に聞こえねーよ、怖ぇぇぇな……」


 自分も席についたカズヤは、少しホッとしたような調子で、持ってきた味噌ラーメンをすすり始める。ラーメン、そういうのもあったのか。夕飯は麺だな。


「そーいや、今日はキョーコちゃんはいないのか?」


「キョーコか? そういや見てねーな」


 麺の合間に水を挟んだカズヤが話題に出たのは、キョーコという俺の幼なじみだ。幼稚園からなんと大学まで一緒という筋金入りの幼なじみ。


 とは言え、特段何かがあった訳でもなく、ズルズルと交流が続いているだけだ。会えば話をするし、たまに遊んだりもしたが、結局それで終わり。


 高校の時に俺が両親を亡くし、少し荒れていたこともあって、ちょっと前まではほとんど関わりもなかったのだが。


 俺が浪人して大学に入学したら、なんとキョーコも浪人していたらしく、しかも同じ大学の同じ学科に入学してきた。入学式でその姿を見たときは、ホントビックリしたものだ。


「呼んだ? ユウちゃん」


 そんな昔の淡い思い出に浸っていたら、またもや声をかけられた。俺のことをこう呼んでくる人は、一人しかいない。


「噂をすればなんとやらだな、よっすキョーコ」


「えっ……? ユウちゃん、わたしのこと噂してたの?」


 振り返った先には案の定キョーコがいた。背の低い彼女。毛先を切りそろえたボブカットの髪の毛は栗色で、ゆったりとした雰囲気を出している。胸も程よく控えめだし。あと実際にこいつの趣味は読書なので、大人しそうという印象は間違っていない。


 手にはトレイを持ち、そこにはカツレツやご飯、味噌汁が並んでいる。ほほう、キョーコは今日のオススメ定食Bにしたのか。カツレツから上る湯気が見えて、実に美味そうに見える。


「いや? キョーコ見てないなーって言ったらキョーコが来ただけだ。なーカズヤ?」


「そーだな。どもっす、キョーコちゃん」


「そうなんだ。あ、カズヤ君こんにちは」


 そんなやり取りをしつつ、三人で机を囲った。大学に入ってから、この三人でいることが多い気がする。


 他の学科生とか同じ学科の先輩とかもいるけど、基本的にはこの三人だ。特にサークルとかにも入っていないので、暇を持てあましている感じは否めないが。


「隣、お邪魔するね……あれ? ユウちゃん、機嫌悪い?」


 隣に座ったらすかさずキョーコが聞いてきた。付き合いが長いだけあって、こいつにはいつも顔色を読まれてしまう。


「ああ。カズヤの奴が頼んだもんと違うもの持ってきやがってな」


「だから悪かったって」


「そっか。じゃあユウちゃんにはわたしの少し分けてあげる。それで機嫌なおそ?」


 そう言って、キョーコが自分のカツレツの一欠片を俺の方に持って来る。


「はい、ユウちゃん。あ~ん」


「サンキュー」


 揚げ物の気分だった俺は遠慮なくそれをもらった。おお、美味い。


「……また聞くけど、お前ら本当に付き合ってねえの?」


 カズヤが訝しげな目でこちらを見ながらそう聞いてくる。そんなセリフは、もう何回聞いたことか。


「ないない。付き合いが長くなってくると、そういう目で見られなくなってくんだよ」


「…………」


「キョーコちゃん、めっちゃ睨んでないか?」


「気のせいだろ」


 昔っから色んな奴にそんな風にからかわれてきたもんだから、あしらい方も慣れたもんだ。


 あとこの話をすると何故かキョーコが不機嫌になるので、あまり振って欲しくない。こいつ不機嫌になると色々と面倒だし。つーかコイツ怒らせると、今までの経験上、割と洒落にならないし……。


「も~、ユウちゃんのバカ……それで? ユウちゃんはもう課題終わったの?」


「……課題?」


 残っているミートナスパスタを平らげてしまおうとフォークを回していたら、キョーコから不穏な単語が飛んできた。

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