第17話 結末

 誰かに呼ばれた気がして、目を覚ます。


 そこには、意識を失う直前に覚えている状況が変わらず広がっていた。


 崩れたビル、朽ち果てた街路樹や倒れた信号機。

 ケントに追われ逃げ込んだコーヒーショップも、荒れ果てたままだ。


 私は立ち上がり、自分の身体を確かめていく。

 驚くことに指の欠けた左手も、穴の開いた腹部も、何事もなかったかのようにキレイになっていた。


 ケントがいないということは、『トレード』は成立したのだろうか。

 ただ、そうなると私がこうして無事でいることの説明がつかない。


 気になることはたくさんあったが、ふと見上げた空は青く、どこまでも広かった。

 たったそれだけのことが、私の心を揺さぶる。


「クククッ、ひどい顔をしているな、ミオ。」


 私の感動に水を差すようにして、よく知った悪魔の声が聞こえる。

 その言葉で初めて、私は自分が泣いていることに気づいた。


「……よく分からないんだけど、私は幽霊なの?」


 涙を手でふき取りながら、問いかける。

 根拠はないが、そうとでも考えなければ辻褄が合わないような気がした。


「吾輩が初めてこの世界に降り立ったとき、一組の親子に出会った。」


 ストラスが私の質問を無視して、語りだす。

 だが、不思議とそのことに腹は立たなかったため、おとなしく話を聞くことにする。

 思えば、彼が自分のことを話すのは初めてだ。


「そのころにはもう世界中に化物が溢れていた。当然、私は使命を果たすため、父親に取引を持ち掛けた。この世界で生き抜くためには、武器が必要だろう、と。貴様の肉体とトレードすることで、望むものが手に入れられるぞ、とな。」


 ストラスはそこで一度言葉を切った。

 まるで、こちらが理解するのを待っているかのように。


「父親は言った。それならば私の命を捧げよう。その代わり娘に何かあったとき、その命を助けてほしい、と。」


 私は理解した。

 何故彼が突然こんな話を始めたのかを。

 何故私がこうして五体満足で立っているのかを。


「明らかに無理のある取引だった。だが古来よりそういった願いこそが我々の弱点なのだ。何かのために自分の命を投げ出すような輩は、悪魔にとって対極の存在だからな。」


「だが、その取引もこれで完了だ。ミオ、父親から分けてもらった命、大事にするといい。」


 ストラスの身体が透けていく。

 魔王がいなくなったので、おそらく彼も魔界に帰るのだろう。

 説明はなかったが、なんとなくそういうものだと理解できた。


 私は思わず声をあげる。


「ストラス! その、今までありがとう。偉そうだったり、憎らしかったりしたけど、私あなたに会えてよかった!!」


 彼のことだからきっと、何も言わず消えていくのだろう。

 そう思っていたら、ストラスは私と目を合わせ、にやりと笑う。


「いと健やかに、ミオ。」


 その言葉を最後に、悪魔ストラスはこの世界から姿を消した。


 私は一抹の寂しさを抱えながらそれを見届けると、ゆっくりと歩き出す。

 化物がいなくなっても、生きるのが大変なことは変わらない。

 壊れてしまった世界はそう簡単に戻らないし、生き残りがどれだけいるのかも分からない。


 でもきっと、私はこの世界をどこまでも歩いていける。


 私は知っているのだ。

 失うことで初めて、得られるものもあるのだということを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る