第15話 詭弁

 状況は絶望的だった。

 空中に構えるケントに対し、こちらはナイフ一本で戦わなければならない。


 幸いなのはこちらを殺す気が無さそうなこと。不幸なのはそれ以外にいいことがまるで無いことだ。


 ケントが右手を振る。

 何かが見えたわけではないが、私は本能的に横っ飛びに逃げる。

 次の瞬間、たった今まで私が立っていたところに弾丸のようなものが降りそそぐ。


「へぇ、これをかわすとかエグいね。さすがお姉ちゃん。」


 何かを投げたのか、打ち出したのか、あるいは魔王とやらの超能力的なサムシングなのかは分からないし、正直どうでもいい。


 このままでは狙い撃ちされる。

 私は即座に撤退を判断し、一番手近なビルへと逃げ込む。


 逃げ込んだ先は、オフィスビルの一階にあるコーヒーショップだった。店には階段もなければ裏口も無い。窓も多く、逃げ場所としてはおおよそ最悪の場所だった。


 当然のように外からケントが弾丸を撃ち込んでくる。

 まだわずかに残っていた窓ガラスと、オシャレなアンティーク風の照明器具が跡形もなく消し飛び、破片が店中を飛び交う。


 私はテーブルの下に潜りこみ、ガラスの嵐の中をじっと耐える以外になかった。


「お困りのようだな、ミオ。」


 ついに幻聴が聞こえたのか。

 そう思ってしまうほど、その声には一切の悪気が感じられなかった。

 顔を上げると、当然のようにストラスがそこにいた。


「その気があれば協力するぞ。幸いお前はまだ肉体のほとんどを残している。」


 淡々と語るストラスに腹が立つ。

 こんな状況でなければツバを吐きかけてやりたいくらいだ。


「さっきまであいつに味方しておいて、今さら何の用なの。」


「素質を持つものを魔王に仕立てあげる。求めるものがいれば『トレード』に応じる。どちらも等しく我輩の使命である。」


 ストラスは平然と言ってのける。

 悪魔のメンタリティを理解しようとすること自体無理があるのかもしれない。

 とりあえず嵐も過ぎ去り、一時的に余裕ができた私はさらに店の奥へと移動を試みる。


「そもそもっ! その素質ってのはなんなの。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」


「素質とはすなわち、覚悟だ。自分にとって大切な命を生贄にする覚悟。それによって人間は悪魔の体を手に入れることができ、魔王となる。」


 なかば期待しないで出した問いに、ストラスが律儀に答える。

 最早そんなことはどうでもいいと、そう言っているかのようだ。


「結局、あのキングという男にはそれができず、ケントにはできた。それだけのことだ。」


 生贄。その言葉を聞くとともに、今さっきケントが撃った弾丸の正体が目に入る。


 ―――それは、人間の歯だった。


「まさか、子供たちを……」


 誰にともなく、呟きが漏れてしまう。

 ゆうに百を超える弾丸。

 おそらく、あのホテルにいた子供たちを使ったのだろう。これがつまり、生贄ということか。


 またも大量の弾丸が撃ち込まれ、身をすくめる。

 今度はかわしきることはできず、左手に痛みが走る。


 そんな場合でないということは分かっていたはずなのに、考え事をしてしまったのは大きなミスだった。

 すぐに傷を確認する。血、それと、2本だけになった指が目に入る。

 無事なのは親指と、人差し指。ということは、とれたのは中指から小指の3本という計算になる。


 そう思って探せば、とれた指はすぐに見つかった。そして、手についていないだけで指というものがとても不気味に見えるということを初めて知った。できれば一生知りたくなかったが。


 しかし、痛みが私の思考を覚醒させる。

 そうだ、いま大事なことはトレードだ。

 たしかにストラスは信用できないが、ナイフ一本ではそもそも空を飛ぶ敵相手に戦いようがない。


 私は傷口から垂れた血だまりと、床に転がる3本の指を見つめ、悪魔に呼びかける。


「ストラス、今流れた血と、とれた指を『トレード』する。武器をよこせ!」


「断る。取引に使えるのは、あくまで体内にある血肉のみだ。」


 ストラスはにべもなく取引を拒否する。

 そんな話は聞いたことがなかったが、悪魔がそう言うのならそういうものなのだろう。

 それとも、この悪魔はもう私に協力する気はないのだろうか。


 そんな考えが頭に一瞬よぎるが、必死に振り払う。


 どうすればいい。どうせ使い物にならないのならいっそ左手全部を『トレード』してしまうか。

 しかし、ケントの力は底が知れない。

 確証もないのに無駄な取引はできない。


 私は、血だまりを見つめながら、自分の頭が冷えていくのを感じる。

 これが体内にある血なら使えるのに。

 そう思った瞬間、私はその場にしゃがみこみ、舌を伸ばしていた。


 ―――ぴちゃっ、ぴちゃ、ぴちゃっ

 ―――がり、こりっ


「……あらためて言うぞストラス、いま私がを、武器に『トレード』する。」


「クククククッ! 詭弁だな! だがしかしなるほど、理屈は通っている。たしかに貴様の体内にある貴様の血であり指だ。よかろう、取引は成立だ。」


 なくなったはずの指がうずきだす。

 私がその傷口をケントに向けると、そこから飛び出した血が刃となり、ケントの片翼を切り落とした。

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