第10話 悲鳴

私は走った。

もちろん取引で手に入れたナイフは手にあるが、そんなちゃちな武器でどうにかできる相手とは思えない。


走りながら後ろを確認する。

さっきまで立っていた場所の窓はもう跡形もなく、巨鳥の頭だけが建物の中に侵入していた。

化物が窮屈そうに頭を振るうと、それだけで地震のように建物が震動する。


むちゃくちゃだ。


だがクレームを入れる間もなく、黒い何かが飛んでくるのが見えたので、思わず倒れこむ。

次の瞬間、不気味なぬめりけのあるクチバシが頭の上を通過し、後頭部をわずかにかする。


うつぶせに倒れたまま、心臓の鼓動が痛いくらいに響く。

いま、頭を下げるのがあと0.1秒でも遅ければ、おそらくあの化物に喰われていた。


巨鳥は悔し気に身体をよじり、ミシミシと壁がきしむ。

それを眺めながら、私の心は自分自身に「走れ」と訴えかける。一秒でも早く立ち上がって走れと。


しかしそれと同時に、私の頭が「無駄だ」と冷静に告げる。私が走り出すよりも、追撃の方が絶対に速いと。

私は私に問いかける。『取引』は間に合うだろうか。


―――答えは否。悪魔の声が聞こえた気がした。




「おいおいおい、頼むからこんなところで死なないでくれよ。」


そんな私の内心を嘲笑うかのように、軽薄な声が聞こえる。

声の主は、私のすぐそばを通り抜けると、化物に斬りかかり、そのクチバシをバターかなにかのように切り裂く。


巨鳥はとんでもない音量の悲鳴をあげ、痛みにのたうち回る。そのたびに血が噴き出し天井と壁が赤黒く染まっていく。

それを満足気に眺めながら私の前に立ったのは、やはりというべきかキングだった。


「俺が来たからにはもう大丈夫だ。」


そう語るキングの姿はしかし、異様だった。

手には日本刀をそのまま2倍くらい大きくした武器を持ち、全身は白銀のように輝く鎧に身を包まれている。


逆上した巨鳥が襲い掛かるが、その一撃を鎧で難なく受け止め、お返しとばかりに刀を横に振るう。

ただそれだけで化物の身体は切り裂かれ、またもおびただしい量の血が噴き出る。


それは、素人の私から見ても圧倒的な強さだった。


「お前は子供たちのところに行ってろ。こいつの相手は俺ひとりで十分だ。」


相変わらずこの男の態度は腹立たしいが、正直来てもらえて助かったし、手伝えとか言われるより100万倍くらいマシなので、だまって指示に従うことにする。


私は戦い続けるキングと巨鳥を尻目に、ロビーへ向かう。


あの強さを見るに、キングの刀と鎧はおそらく『取引』で手に入れたものに違いない。

しかしあれほど巨大な武器や防具を手に入れるのに、キングは一体何を『取引』に使用したのだろうか。


手元のナイフを見る。これ一本を手に入れるのに肋骨4本を犠牲にした。

それを考えると、あの刀一本でも手足をまるごと失うくらいの価値があるように感じる。


それとも、『取引』にはまだ私の知らない抜け道のようなものがあるのだろうか。


そんなことを考えながら歩いていると、ふと誰かの声が聞こえた気がして足を止める。

建物が揺れる音にかき消されるように小さな声だったが、その声はたしかにこう言っていた。


―――たすけて、と。

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