逃走

 


 校門を過ぎ、連れもなく一人で家までの道を歩いていく。

 下校の途中でも頭の中は昼休みの出来事でいっぱいだった。



 ――もう一度アンダーグラウンドに行き、本部で幟季という人と話す……。



「はぁ……」



 考えれば考えるほど、ため息が出てしまう。

 ギートは前に"世界維持組織リリーヴ"に所属していると話していた。

 規模が大きすぎて想像出来ないが、詩音とギートが所属している組織なら、きっと悪い組織では無いだろう。

 


 まだ出会って間もないというのに、俺は詩音とギートをすっかり信頼していた。

 二人はあの危険な世界から俺を助けてくれた恩人だ。

 疑うのも返ってバチが当たりそうな気がする。



 帰路の道を歩んでいくと、丁度あの廃墟のビルに差しかかった。

 俺が自殺をしようとしていた例のビルだ。

 あの時アンダーグラウンドに繋がる空間の歪みが現れなかったら、俺は今ここに居なかったのだろう。



 ――相当、運がよかったんだな。



 複雑な心境に浸りながら、ビルの横を過ぎようとしたその時、



「なっ……!?」



 人影がビルの路地から飛び出してきた。

 突然のことで反応できず、腕を掴まれて路地に引きずり込まれる。



「い゛っ!?」



 抵抗しようにも相手は複数人。

 暴れる隙も与えられず、ビルの壁に勢いよく叩きつけられた。

 こんな野蛮なマネをする奴らには心当たりある。きっとあの連中の仕業だろう。



「……っ! 何するんだ!!」



 俺の目の前にいるのは、同じ桜花高校の制服を着ている男子三人組。

 いつも理不尽に喧嘩を吹っかけてくる奴等だ。

 


 避けても、避けても、いつも向こうから勝手にやって来る。

 相手は三人組のため、いつもこちらが負けっぱなしだ。

 最近は、手口がどんどん荒くなり、殴る、蹴るの暴行が当たり前になっていた。

 そんな三人がまた俺に手を出してきたのだ。



「よぉ琉斗くん。今俺達金がなくってさぁ……ちょーっと貸してくんね?」



 何かと思えばやっぱり金か。

 この三人組が俺に付きまとうのは、基本的に金か暴力を振るいたい時だけだ。

 いつまで俺をカモにすれば、気が済むのだろう。

 ただ静かに学生生活を過ごせればそれでいいのに――。



「……金は出せない。今持ってないんだ」



「あ゛ぁ!? そんな嘘が通じると思ってんのか!!」



「面倒くせぇからいつもみたいに殴って金出させよーぜ」



 ――あぁ、またこのパターン

 こうなると、三人の気が済むまで殴られ続けることになる。

 かといって素直に金を差し出すのも嫌だ。

 逃げようともがいてみるが、壁にしっかり身体を押さえつけられているため、逃れることができない。

 嫌な笑い声が路地に響く。

 これから無様に地面に転がって、ただ時間が過ぎるのを待つことになるのだろう。



 ――足掻くのは諦めよう

 ――どうせ、逃げてもまた捕まって時間が引き伸ばされるだけなのだから……



「じゃぁ一発目いくぜ!!」



 後ろにいた一人が俺に向かって大きく拳を振り上げた。



 直後。



「やっと見つけたぜェ、クソガキ」



 第三者の声が耳朶を打った。

 突如現れた声の主に、皆の視線が集中する。

 大通りに出る道を塞ぐように一人の青年が立っていた。

 空色のニット帽に、白髪、青いパーカーとカーゴパンツを身に着けている。

 深くかぶったニット帽の影から覗く金色の瞳は、どこか異質で近寄りがたい雰囲気があった。



 ――誰だあれは?

 声も、姿も、心当たりがない。

 恐らく初対面のはずだが、この三人組の仲間なのだろうか?

 けれど、そんな俺の考えは見事にはずれた。



「誰だお前?」



「おいおい、見せもんじゃねぇんだよ! さっさと消えな!!」



 反応からして、この場にいる誰にも関わりのない人物だ。

 なら尚更、青年の正体が分からない。

 困惑する空気が漂う中、青年はポケットに突っ込んでいた手を出し、真っ直ぐ俺を指差した。



「俺はそのガキを迎えに来たんだ。他のはいらねェ」



「……え?」



 ――……俺!?

 ――いやいやいや、迎えに来たって何!?



 アンダーグラウンドに落ちてから、次々に厄介ことが舞い込んでいる気がする。

 ただ息をするように静かに生きてきた日常が、音を立てて崩れていくような感覚さえ覚えてしまう。



 そこへ、三人組の一人が前に出た。



「こいつは俺達の獲物なんだ。さっさと消えろぉぉ!!」



 例え相手が大人だろうと悪い意味で物怖じしない奴等だ。

 拳を振り上げて、青年に向かって突っ込んでいく。

 だが、対する青年は全く動じていない。

 それどころか、片手で拳を受け止め、逆に蹴り飛ばすという返り討ちを浴びせる始末だ。



「い゛っでぇぇっ!?」



「大丈夫か!? おい!!」



「お前何やってんだよ!!」



 あの流れるような体裁き、ただ者ではない。

 相手が思わぬ強敵に三人とも動揺し始めた。

 そういう俺もかなり動揺しているんだが……。



「なァ、お前等には俺がどう見える?」



 ぼそりと、青年が口を開いた。

 困惑する最中に投げかけられた問いの意図が掴めず、三人とも呆然と青年を見つめることしかできない。



「正常かァ? 異常かァ? 見た目は正常でも中身はどうだ? 他人の心の影を図ることなんざできねェ。どんなに大きくても目には見えないんだからなァ……?」



 青年が言葉を紡ぐ度に、足元の影が大きく大きく広がっていく。

 眼前で起きたあり得ない現象にゾッと背筋が凍り付いた。

 いや、それでは語弊があるかもしれない。

 俺はこの現象を知っている。

 昨日この身で体感したばかりなのだから――



「なら、見せてやろう俺の影を! その目で俺が正常か判断するがいい!! ヒャハハハハ!!」



 青年の哄笑と共に、影が形を得て地へと這い出す。

 真っ黒な身体に、金色の瞳。

 恐ろしい牙と爪を携えた影の化け物――シャドー。



「―――っ!? おい逃げろ!! 早く!!」



 気付いたら、三人組に向かって叫んでいた。

 俺はアレの恐ろしさを知っている。

 ムカつく奴等だとか、そんなこと構っている暇なんてない。

 俺が逃げることを促すと三人は悲鳴を上げて散り散りに走っていった。



 ただ一人、俺だけを除いて。



「ヒヒッ、お前は逃げねェのかよォ、クソガキ」



「……っ」



 逃げられるものなら、あんな奴等よりも先に早く逃げ出したい。

 けれど、”俺を迎えに来た“と言った時点で青年の目的は俺だ。

 あの三人と一緒に逃げれば、巻き添えを食らうだろう。



 気がつけば青年の周りには五体のシャドーが蠢いていた。

 青年を襲う気配は感じられず、従順に主の指示を待っている獣に見える。



「ヒヒッ、イイ度胸だ。コレを目にしてもこの場に留まるんだからよォ。……俺の異常性は判断できたかァ?」



「あぁ、あんたは異常だ……! どうしてシャドーを連れている? シャドーはアンダーグラウンドにいるんじゃないのか!?」



 青年はケタケタと不気味に笑い、シャドーと同じ金色に光る目でこちらを睨みつけた。



「お前が知る必要はねェんだよォ。 さぁ邪魔者は消えた。俺と一緒に来てもらうぞクソガキ!!」



「絶対行かない!! 連れていかれてたまるか!!」



 三人組の姿が無い事を確認して、すぐさま走り出した。

 前の大通りへ続く道が塞がれている以上、唯一の逃げ道は路地の奥しかない。

 ビルの間で幾重にも分岐しているこの路地なら、逃げ切れる可能性もある。



「そう簡単に逃げられると思ってるのかァ? シャドー!!」



「い゛っ!?」



 突然目の前に新たなシャドーが二体現れた。

 分岐点はその先だというのに、これでは逃げることができない。

 どうやら彼が意図した場所にシャドーを出現することができるのだろう。



「……っ!く、そ!」



 じりじりと距離を詰められていく。



――どうする、どうすればいい……!?



 どれだけ考えても浮かんでくるのは捕らえられる最悪なビジョンばかりだ。

 詩音のように武器でもあれば戦えるのかもしれないが、生身であの化け物に向かっていける度胸は無い。



「もう逃げ場はねェ! お前の"能力"は今まで俺達が求めていた力だ!これで組織の"計画"を進めることが出来る!!」



 ――俺の能力? 計画って何なんだ!?



 この極限状態で放り込まれる情報が頭の中に入るわけもなく、思考が空回りする。

 彼の言う通りもう逃げ場はない。



「殺すなよォ? 気を失わせる程度で痛めつけてやれ!」



 青年の命令に従って、一斉にシャドーが襲い掛かる。



 ――あぁ、もう駄目だ……



 きっと動けなくなるまで、あの牙と爪に身体を引き裂かれ痛めつけられるのだろう。

 それが恐ろしくて、目を閉じ、その場にうずくまった。

 この後に来るであろう衝撃と痛みに備えて―――













「そこまでよ! 狩之狂也(かりの きょうや)!!」



 突如、路地に声が響いた。

 その声に反応してシャドーがピタリと動きを止める。

 何が起きたのか理解できず、顔を上げれば、シャドーを挟んだ奥の通路に二人組の影が見えた。

 あの声が叫んだ狩之 狂也というのはこの青年の名前だろうか?

 その狂也が現れた二人組に向かって声を荒げる。



「……あ゛ァ、あとは痛めつけて帰るだけだったのによォ。……毎回いいところで邪魔しやがるなァ!! “リリーヴ”!!」



「何度だって邪魔してやるよ!! まさか“イーヴァ”がこんなに早く来るなんて思わなかったぜ。シャドーまで連れてよぉ!!」



「琉斗くんをあなた達に渡すわけにはいかない!!」



「詩音、ギート!?」



 間違いない。

 突如現れた二人組の正体は、詩音とギートだったのだ。

 どうしてここに二人がいるのだろう。

 それに俺が襲われそうになった最高のタイミングで――



「このガキがあの力を持ってる時点で、リリーヴも目をつけてるとは思ったが……差し詰め、お前らがこいつの護衛ってとこかァ」



「え?」



 “護衛”。

 そう口にした狂也の言葉に耳を疑った。

 二人が俺を護衛していたなら、こうして襲われることを予期していたことになる。

 でも何故襲われることが分かっていたのだろう。

 それも狂也が言っていた俺の“能力”に関係あるのだろうか。



「ごめんなさい琉斗くん!あなたを守るのも私達の仕事なの!」



「詩音が途中で見失ってりゃ世話ねぇけどな。でもどうにか間に合ったんだ!待ってろ、すぐに助ける!!」



「二人とも……」



 二人の言葉に、恐怖で強張っていた緊張がほぐれていく。

 詩音とギートは以前も俺を救ってくれた。

 言葉を疑う余地なんてない。今は二人を信じるんだ。



「間に合ったから助ける? 確かに俺はお前等が来る前にこいつを連れ去る予定だったが、もう関係ねェ!! 何が何でも連れて行くからなァ!!」



 狂也が腕を振り払えば、動きを止めていたシャドーが再び俺に襲い掛かる。



「……っ!?」



「伏せて琉斗くん!」



 詩音がスクールバックから取り出した小型銃を構えてシャドーを狙うが、それを止めるように狂也が声を上げた。



「おっと! ここは街のド真ん中だ。銃声なんか聞こえちまったらパニックになるんじゃねェーのかァ?」



「うっ……!」



 それを聞いた詩音は銃の発砲をためらってしまった。

 狂也の言う通り、こんなところで銃を発砲すればこの通り一帯がパニックになってしまうだろう。



「──あぁ、もうっ!! あんな奴に指摘されるなんて!!」



 悔しそうにする詩音の肩に手を置き、バトンタッチするようにギートが前にでた。



「俺なら音なんて関係ねぇよな?」



 そう言うと右足を上げ、勢いよく地面を踏みつける。

 それと同時に、ジャラジャラと金属音が響き始めた。



 その正体は、



「ち、チェーン!?」



 そう、地面から突き出すように現れたのは幾重ものチェーン。

 そのチェーンはシャドーを貫き、貫かれたシャドーは地面に溶けるようにして消滅した。



「す、すごい……っておぉぉぉぉぉ!?」



 その光景を目にしたのもつかの間、俺の身体にチェーンが巻きつき、一気にギートの元へ引き寄せられる。



「なんなんだこれぇぇぇぇ……ぐわっ!?」



 勢いよく引き寄せられたためギートの元についた時には顔面から着地する形となってしまった。

 顔を上げると気の毒そうな顔をしたギートがこちらをじっと見て一言、



「あー……わりぃ」



「わりぃ、じゃないだろ!! 顔だぞ顔ぉっ!!」



「ギート次が来るよ!」



「逃がすか!!」



 言い争っている暇もない。

 俺の身体に縛りついているチェーンがほどけると、ギートが詩音に指示を出す。



「詩音、ここは俺がやる!! 琉斗を連れて逃げるんだ!!」



「……分かった。行くよ琉斗くん!」



 少し考えた様子だったが大きく頷くと、詩音は俺の腕を掴んで走り出した。

 きっと、銃で戦えない自分がこの場に居るよりも、狙われている俺を安全な場所に連れていくことが賢明と考えたのだろう。



「ちょっ……ギートは一人で大丈夫なのか!?」



「大丈夫よ、後ろ見て?」



 振り返るとギートは俺達に向かって手を振っていた。

 彼なりの大丈夫というアピールだろう。



 せっかくギートが作ってくれたチャンスだ。

 俺もそれに答えなくちゃいけない。

 


 ギートに大きく手を振り返し、詩音とその場から走り去った。

 ギートならきっと大丈夫だと信じて―――










―――――――



「チィ……まぁいいか。お前を倒してからでもシャドーを使えば充分間に合う」



「させると思うか?」



 ギートは再び右足を踏み込んだ。

 すると何本ものチェーンが伸び、通路を塞ぐように周りに張り巡らされていく。



「チィ……めんどくせーなァ」



「しばらく俺に付き合ってもらうぞ狂也!! ここは通さねぇ!!」



 道を塞いだチェーンの壁を目にして、狂也は億劫にため息を吐く。

 しかし、それだけで彼の目的が変わることはない。

 再び口をニヤリと口を歪ませると、新たなシャドーを五体出現させる。



「ヒヒッ、まァいい。この憂さ晴らしはテメェでさせてもらう! 雑魚に俺の"スキル"まで使う必要はねェ……シャドーで食い散らして終わりだ!!」

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