第四話 ゆるふわバハギア探訪(3)

 酒場を出てからも服屋だったり市場だったりの場所を教えてもらったが、最初の二つ以上には深く立ち入ることもなかった。ただ市場ではいくつか魚を購入すると、僕に持つように頼んできた。奇妙な顔にびっくりしたが、師匠曰くこれも生き物としての順応、らしい。深海は水圧が高い云々とまた長い話を展開していたが、魚の生臭さに集中していてそれどころではなく、そうこうしている内に家まで着いた。

 師匠の家は町の路地裏にあった。汚れた外壁の一方で中は思ったよりも綺麗で、ふかふかそうな白いソファーだったり現代的な設備の整ったキッチンだったりがあった。こんな家の中にいたら、一生出られなくなりそうだ。……これは皮肉だ。


 キッチンまで魚を持っていくと、師匠は包丁を取り出して買ってきた三枚おろしにした。「コンロで焼くんです」と言っていたのだが、それよりも僕は身の黒さの方が気になっていた。地上にいた頃も専属シェフが実演しているのを見たことがあるが、タコやイカでもなければこんな身が黒いことがあるのだろうか。興味深くその魚を眺めているとそんな僕に気付いたのか、これは深海で生き残るために黒いんですよ、と教えてくれた。なるほど。白かったら目立つというのは、目の前に実例の方がいるからよくわかる。


 魚を焼いているのを見ながらさっき湯豆腐を食べたばっかりなのにお腹を鳴らしていると、家のドアがカラカラと鳴って、外から「ただいまー!」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「おっ、身体を寄せ合って料理なんて熱いねー!」


「違いますよ。あくまで師匠として弟子にこの町や世界について教えているだけですから」


 そうかなぁと冷やかしてくる姿に師匠はムッとしていたが、それよりもどうしてカフェの二人がソファーでくつろいでいるのかという方が気になっていた。


「……私と彼らは”同じ”なんですよ。だから、一緒の家で暮らしているのです」


「えっと……同じ、とは?」


「ベアトさんも覚えがあるのでは? ”どうしてこの世界に来たのか”ということについて」


 心臓がドキッとする。いや、まさか。そういう可能性を最初から考えていたけど、それだったら。意味が、なくなる。僕の動揺を良いように解釈してくれたのか師匠は「驚いたでしょう?」と笑みをこぼしていたが、正直それどころではなかった。

 もしも、”彼女”までこの世界に来ていたとしたら? だったら、この世界に逃げてきた意味がなくなる。あっちの現実に引き戻される。それは否応のない重力のように、恐ろしい渦潮のように。

 頬の痛みで気が付くと、パックお姉ちゃんが僕の頬をつねっていた。


「どうしたのさ、ベアトちゃん? そんなにアタシたちが”異世界転移者”であることが驚きだった? まっ、分かるけどねぇ。アタシも……」


 まだ声が遠くなったり、近くなったりする。クラクラとする意識をどうにか戻すと、いや、それはない。それはないんだ、と自分に言い聞かせる。師匠が焼いた魚の良い匂いを感じながら、僕は四人での団欒の輪に加わった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る