「たぶんヒーロー」
ハラワタが煮えくり返る。
朝起きてから寝るまで絶えず。
内臓は、とっくに煮えたぎって蒸発した。
空焚き状態になってからどれくらいが経つか。
はるか昔のような、つい最近のような
俺のハラは空っぽのまま加熱され続ける
体が壊れてくのはわかる
だがそんなことはどうでもいい
それよりも、このイライラを今、何に、どうぶつけるかだ
足元で丸くなっている小豚メガネを蹴りまくる
もう叫ぶことも諦めた小豚が痛みにビクつくと、何か得られる気がした
「蹴りがいがねーな
おまえ、最近細くなってねぇ?
俺のサンドバッグだろ
太れよ 食って太れよ 食うことだけが取り柄だろーが!」
殺せるんじゃないかってくらいめちゃくちゃに蹴りまくる
潰れてくカメムシみたいで気持ちいい
青臭い透明な汁の代わりに赤い体液を滲み出す
溜まったイライラがマシになる
俺は空っぽの貯金箱
苛立ちに燃える手足があるだけ、ハラワタがない
蹴る チャイィーン! 蹴る チャイィーン!
小豚を蹴るたびコインが飛び出し俺の体力になる
灼熱の貯金箱の中でカラカラと音を立てる
しかし東京ドーム○個分?ほどの空焚き窯を1円玉で満たすには、小豚が何匹居ても足りない
ひと蹴りで1万円くらいのスター出てくるヤツいないかな
「ちょっと!何してるんですか?!」
蚊の泣くような声がした 誰だ?
ポニーテールが長い スカートも長い 袖も長い 先週入ったばっかの1年か。
「先輩、大丈夫ですか?保健室に行きましょう」
ゴミみたいな小豚のそばに、ポニーテールはかがみ込んだ
臭い生ゴミに何の用だ?ゴミ拾いしに来たのか?この女
ふいに風が吹いた
桜がひらひらと、ポニーテールに降り注ぐ
束ねた髪が肩に散らばり、真新しい襟に付いた花びらをさらりと払い落とした
桜に溶け込むような女だ
白くて細いな 幽霊か?
校舎の壁に吹き溜まって茶色くなった花びらにまみれた小豚をかばいながら、立ち上がらせた
うんこまみれみたいな背中に、透き通る細い手を当てて
桜の舞う中を、保健室に向かって一歩一歩踏み出す
思考が止まる
花びらの落下速度が秒速0.5ミリメートルくらいになるまで、世界がスローモーションになる
無意識に口が開く
女と小豚の背中は、黒い腹太の幹が立ち並ぶ道に沿ってゆっくりと小さくなる
長い歳月を刻みながら生き抜いてきた年輪は、誰が押しても引いても、微動だにしない。その重厚感とは裏腹に、幻のような儚い花びらで、灰色のこの世を場違いなほど華やかに飾り立てている
後ろ姿を見つめていたら、セーラー服が着物に見えてきた。スカートが長いせい?
初めて見る景色・・自分が立っている場所・・コケの上にタバコが散らかる冷たい校舎裏とは、別世界。
ふと我に返る
そういえば、俺の小豚が連れ去られようとしているではないか
ふざけるな 俺のサンドバッグ 俺の奴隷
それがなくなったら 俺はまた空っぽになる カラカラ音を鳴らしてくれる1円玉1枚すらなくなってしまう
「おい おまえ、誰だ」
背後から脅迫的な声に殴られ、小豚がビクつき、女が振り返る
「1年3組の 松方(まつかた)心優(しゅう)です」
凛とした声・・お茶と和菓子の前で正座してるみたいな・・地味で 静かで まっすぐで お上品で
それで 笑えるくらい無防備
「しゅー?シュークリーム?」
「シュークリームではありません。シュウです!」
ムキになっている 面白い
「ハハハッ!シュークリーム!どんなクリーム入ってんのォ?」
「クリームなんて入ってません!」
「抹茶くりーむぅ?ハハハッ」
「先輩のお名前は?なんでこんなことをするんですか?」
「俺はさぁあ・・
シュークリーム、嫌いなんだよねぇ!!」
走ってく 俺を見て小豚が逃げる 戸惑うシュークリームに襲いかかる 殴ってみたら軽くて柔らかかった
逃げる小豚を飛び蹴りで引き止める
「やめてください!!!!」
「コイツがダイエットしたいって言うから手伝ってたんだよ、なぁ?藤谷」
「どうして・・どうしてこんなことをするんですか?!」
小豚に体当たりして、シュークリームの上に倒れさせる
「きゃあああ!!」
シュークリームが小豚の下敷きになった。シュークリームが潰れている
小豚の上に乗ってみる 肉を包んではち切れそうな白いシャツに、俺の靴跡が付く
小豚の下のシュークリームがうめく
「やめてよォ!くりぃーむ出ちゃうよォ!」
裏声でシュークリームの声を真似てみた
小豚の上で軽くジャンプするたび、シュークリームが悲痛な声を上げる
面白い。押すと音が鳴るぬいぐるみみたい
「ブタさんやめてよぉ 中身が全部出ちゃうよぉ!」
またシュークリームの声を真似る
最近は小豚の反応が面白くなくなってきたから、これは良いオモチャだ
「こいつ重いからさぁ!ごめんねぇ!シュークリームぅ!
食い過ぎだよ、豚! 脂・肪・燃・焼、しなくちゃな!!」
ポケットからライターを出す。小豚が形相を変え、全力で逃げ出した。
取り残された潰れたシュークリームは、痛みで身動きもとれず、ぐったりと横たわっている
これはいい眺めだ
「ハハハハッ!」
ライターの火は、ポニーテールの尻尾を焦がした。
空っぽだ
その日の晩飯は、カレーだった
普通のカレー 普通の家 普通の俺 空っぽの俺
今日もいくら見つめても空っぽの親の顔
メシを噛まずにかき込んだら、空っぽの兄貴の部屋からタバコを盗む
なんにもない平凡地獄の家から抜け出し、夜の中に出てみる
つまらないから友達を呼ぶ
夜間パトロールを避け、少し遠くの公園まで行って溜まる
タバコを吸う まだ胃のあたりに残っているカレーの味を煙でかき消す
誰か酒、買ってこいよ 使いっパシリがほしい 小豚はケータイ持ってないから家まで行かなきゃ呼び出せない くそっ 役立たず!
ふと住宅街の道の方を見ると、うちの制服が歩いている。スカートが長い
街灯の下を通った時、それがシュークリームだと気づいた
ん?ポニーテールが短くなってる あれじゃ馬、じゃなくて犬、のしっぽだ
ポニーテールがドッグテールだ
よい、ちょうどいいパシリが来た
「おい、シュ・・」
声をかけかけた時、シュークリームの隣にチビの男が歩いているのに気づいた
男は私服だが、うちの中学だろう
男がこっちに気づいた 一瞬だけ睨み合って、男はつまらなそうに目をそらした
とりあえず今日は声をかけるのをやめておこう。
今日も空っぽだ
俺の中にはなにもない
がらんどうの貯金箱 中身のないシュークリーム
潰れないように、今日も必死に熱でシュー皮を膨らませて突っ張っている
校舎裏では、今日は女子がたまっている
中身が見えそうなほどスカートが短い
衣替えしたばかりで、半袖になったブラウスからは、よく見ると中身が透けている
魔女のように尖った爪で、ケータイを超高速でいじっている 魔女の超絶技巧
「つか、あいつウザくない?」
「まじウザいっすよねぇ」
「ポニーテールのスカート長いやつ。1年の」
「わかるーぅ」
「どーしてそんなことをするんですか?!」
「ははは!似てるしぃー」
「あいつがチクりやがって、この前ケータイ没収された」
「アイツ、松方、うちのクラスっすよぉー。クラスでも浮いてるキモキャラっすぅー」
「まじ消えてほしいわ。ああいうの」
「いよっ!俺にも飴ちょーだい」
魔女たちに話しかけてみた
なんかの香水みたいな匂いとキャンディーの匂いがぷんぷんする
「あ、来た。ねぇ、アイス買ってきてよ」
「はぁ?自分で買ってこいよ」
「えー買ってきてよぉー」
「タバコ持ってない?」
「今日は持ってねぇ」
「ちっ。使えねーの」
「ギャハハハッ!」
「ポニーテールって、シュークリームだろ?」
「は?シュークリーム?」
「あいつ、たまに夜、男と歩いてんぞ」
「・・は?誰と?うちの男子?」
「さあ」
「援交?」
「まじ?」
「センパイ、エンコーって何すかぁー?」
「汚い女のこと」
「あのブスを買う男がいるの?」
「ブス専?」
「キモ専?」
「ギャハハハ!」
「ブスセンって何っすかぁー?」
友達のグループができ始めた新入生クラスに、おいしい話題が入ってきた。
「あの子、エンコーしてるんだって」
「うそー」
「夜、男に連れられて歩いてるとこ、キョウヤが見たって」
「うちのお母さんも見たって言ってた」
「よくそんなことできるね」
「犯罪でしょ?」
「近づかない方が良いよ!汚いのが移る!」
「どうしよう。私、席後ろだよ?」
「机、離したほうがいいよ」
「セービョー移るよ」
シュウが後ろの席にプリントを回すと、なぜかいつもより距離が遠かった。
懸命に腕を伸ばして差し出すが、相手は汚いものを触るように、指先でつまんで受け取る。なぜか周囲からクスクスと笑い声が聞こえる。
人は"倒すべき悪"を設定したがる生き物だ。そのターゲットが急速にシュウに集中するようになり、そのおかげでシュウ以外の生徒は安心して学校生活を送れるようになっていた。この勢力図を崩したい者など一人もいない。クラス全員が結託し、この教室の平和は固く守られていく。親にも教師にもバレないように。
小豚がアイスを買って戻ってきた。自分専用の奴隷が一人いるという満足感が、空っぽの貯金箱に少しばかりコインを追加する。仲間でアイスを分ける。
今日は隣で、魔女たちが派手に詐欺をやっている。今のところ順調なようだ。
シュウが真剣な顔で、泣いている女子をなだめている。
「大丈夫だよ、私が味方だから。親に話せなくて辛いよね。
とりあえず、今日はウチに泊まっていいよ。いつでも頼りにして!
お金のことも・・なんとかしなくちゃね」
「ぐすっ・・ありがとう、シュウ」
「一人一万円で、お金集めてるんだ。シュウも、出してくれるよね?」
「あ・・・私、お小遣いもらってないから・・」
「ああ?」
「匿名で相談できるところに電話してみようよ。ちゃんと大人に・・」
「ひどい・・友達を見捨てるの?優しいのは口先だけ?心が優しいって書いてシュウって読むくせに。シュウはそんな子じゃないと思ってた・・!!」
魔女の一人が泣き叫ぶ。
「そんなことないよ!助けになりたい!」
「言葉だけじゃ信じられない・・ニンシンしたって言ったとたん、彼氏にも裏切られて・・もう人を信じられない・・言葉じゃなくて、態度で示してよ!」
「ごめんなさい。でも、子供だけで解決できる問題じゃないよ。今お金を少し渡したところで、続かないし」
「かわいそうに・・シュウのせいで、もっと傷ついたじゃん。ひどすぎる・・」
「ひどすぎる」
「最低」
「サイテー」
「人の痛みがわかる子にしてあげないと。ねぇ?男子もそう思うよねー?」
魔女の親分が俺に目配せをした。俺の出番だ。
シュークリームが俺に気づいて後ずさる。柔らかい頬を殴ろうと、制服のリボンを掴んだ時・・・・
「きゃっ!!!」
シュークリームの頭に、アイスが、落ちてきた。
白い液体でべちゃべちゃになっている。いい眺めだ。
「ぎゃはははは!!誰だよ!アイス投げたの!!」
その場にいる全員が大爆笑している。
「最高っ!!腹いてぇ!」
「アイス投げたの誰だよ?俺に当たるとこだったろ!出てこい!」
「おっとすまねぇ、手が滑った」
声がしたのは、上、からだった。
ポカンと口を開けて、全員、上、を見る。
桜の木に、小柄な男子生徒が寝そべっている。
彼の腹には赤い首輪のデブネコが座り、まったり撫でられ目を細める。
木の上から見下ろして言う。
「ギャアギャアうるせぇなぁ。ガキども。
仲が良いのはよろしいが、昼休みくらい昼寝させろよ」
「・・シバザキ?」
「誰?」
「1年2組の有名人です」
シバザキは、高い枝から飛び降りた。
制服がやけに大きすぎていて、いかにも1年坊主だ。
が、口の端でタバコをくわえている。煙を細く立ち上らせながら、気だるそうな目でシュークリームに近づく。いくつものピアスが銀の輝きを放つ。
「わりぃわりぃ。頭洗って着替えねぇとなぁ。パンツまでべっちゃりか?
こいつ、保健室連れてくわー」
シュークリームの頭で逆さになったアイスを手に取って、彼はペロペロ舐め始めた。
そのまま彼女の背中に腕を回し、連れて行こうとする。
サイズの合ってないシャツの半袖から、タトゥーが覗く。
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