03話.[いつでも寒いな]
「は? 階段から落っこちたんじゃなくて殴られた傷だった?」
「うん、そうなんだよ、それなのに階段から落ちたとか嘘をついててさ」
だって殴られたと言っても信じてもらえないだろ。
どうせすっ転んだんだろ、とか言われて終わるだけだし。
それなら最初からそういうことにしておいた方がダメージも少ないものだ。
「なんでそんな無駄な嘘をつく必要があるんだよ」
「もうこの話は終わりだ」
それはふたりが笑ってくるからに決まっているだろ。
傷になったところに触れながら笑う奴だからな、言ったら最後、殴られるなんてなにしたんだよと笑われるだけ。
「で、誰なんだ?」
「誰と言われても知らないぞ、他校であることは確かだけど」
「他校か、なにやったんだよ?」
「分からない」
それは俺が聞きたいよ。
間違いだったとはいえ、見かけて思わず殴ってしまうぐらいだぞ、船山はなにをやったんだ。
「まあいい、部活が終わるまで教室で待ってろ、俺が一緒に帰ってやるよ」
「もう来ないだろうから大丈夫だ」
「駄目だ、洸は凛よりも弱いからな」
待て、流石にそれは聞き捨てならないぞ。
凛なんかに負けるわけないだろ、平気で持ち上げられるぐらいなのに。
思いきり殴ってきたとしても受け止められる自信があるぞ。
まあそもそもの話で言えば、凛が他人を殴ることなんかできないんだけどな。
「洸、先に帰ったりしたら凛に言うぞ」
「……分かった、待っているからさっさと来てくれよ」
「ああ、じゃあ放課後はそういうことで」
なんで過去の俺は船山に大人しく吐いてしまったのか。
それが本当に分からない、過去に戻れるならやめろと言って止めたい。
「洸、いまのってどういうこと?」
「ああ、実は凛が全く太っていないのに走ったりしていておかしいなって話を船山にしていたんだよな」
慌てて作ったものだが、まあそこまで無理矢理感はないものだろう。
そして、恐らく凛はそういうことに触れてほしくないだろうから、これ以上は引き伸ばさずに終わらせようとするはずで。
「だからそれは何度も言ったけど、見えていないだけで――」
「俺はのぼせていた凛を浴室から引っ張り出したけどな、それでもやっぱり太っているどころか細すぎるぐらいに見えたからさ」
「いや、僕の身長的にっ」
「分かったよ、これからも走ることには付き合ってやるからそういうことで終わらせてくれ」
なんで、どうして、どういうことなの。
凛からそう聞かれた際には他の人間のときと違って大変で疲れる。
先程の奴みたいに脅してきたりはしないが、諦めようとしないから。
それで不機嫌になられるのは嫌だし、どうしようもなくなるから大体は吐かされることになるわけだが、……まあそれでも言えないこともあるから嘘を重ねることになるからだ。
つかあれか、大人しく船山が買い物に行ってくれたのはそういうことか。
俺は聞いたんだから言うことを聞くよな? と全体的に脅されている感じ。
にこにこと楽しそうに凛や他の男子と話をしている彼と、俺に対するときの彼は全く違う。
でも、そうなると過激なことを要求してこないのがおかしいというか、言ってきても精々カラオケに付き合ってくれとかその程度だしな。
まあいいや、従っておけば悪く言われることもないだろう。
そうすれば基本的に平和な毎日を過ごせるということなら、明らかにそうした方が俺にとってはメリットばかりだから。
「おい、起きろ」
「……長えよ」
「仕方がないだろ、ほら帰るぞ」
175センチもある男が男に送られるってださすぎだろ。
適当に少し後ろを歩いていたが、ここら辺りは治安もいいし必要ないだろと何度もその背にぶつけそうになったのを必死に我慢して抑えた。
「本当に寝るのが好きだよな」
「ふぁぁ、それぐらいしかやることがなくてな」
「枕とかがあったら休み時間でも寝ていそうだな」
最近、こういう感じなのはランニングに付き合っているからだ。
普段であればもう少しはマシで、寝る時間は変わらないがそれまではしゃっきりしたままでいることができる。
目覚ましがなくても早い時間に勝手に起きることができる人間とは違うんだ、人それぞれなんだからとやかく言わないでほしい。
「お、おい、お前っ」
「ん? あ、また来たのか……」
船山が「誰だ?」と聞いてくる。
知らん、分からん、船山の方が詳しいだろうに。
「誰だ、だと? てめえこの野郎っ」
「ちょっと待て、何度も同じことを繰り返すなよ」
今日はなんとか止めることができた。
こういうタイプは行動に移す前に分かりやすく言葉を吐いてくれるから助かる。
ただまあ、送られている男がその男を守る、というか庇うっておかしいが。
「で、でも、こいつには、船山亮には恨みが――」
「いいからやめろ、殴ったところで虚しくなるだけだぞ」
「……悪い」
今回はあっさりと引き下がって、何故か俺の後ろに隠れた。
結局、なんなのか分からならさすぎて追いつけない。
「なあ、船山がなにかしたのか?」
「こいつが試合の後に挨拶に行ったのに無視したからだ」
「だそうだが、どうだ船山」
「いや……、分からないな」
相手の高校の選手を覚えておけと言う方が無理だしな。
高校になると控えも多いわけだから余計に難しくなる。
名前を覚えられるのなんて強豪校のメンバーとか、唐突に現れた高校のエースとかそういう人物ぐらいだと思うから。
「名字と名前は?」
「宇田川
顔すら分かっていないのに名字や名前などを言われてもぴんとこないだろう。
船山は「悪い、分からないわ」と答えて中途半端な表情を浮かべていた。
「帰っていいか? 洸を送らなければならないんだ」
「送る? なんで……」
「誰かさんが殴ってくれたからだ」
その言い方好きだな、どこかの〇〇さん
「うっ、そ、それは……」
「まあいい、じゃあそのときのことは謝る、悪かった。でも、もう2度と洸の前に現れるな」
個人的にもその方が助かるかな。
困惑しかしないし、すぐに手が出そうだからまた殴られかねないし。
「洸」
「なんだ? もういいぞ?」
今日はこういう顔をよくする。
いつもはへらへらしているくせに真剣な感じ。
「悪かった、俺のせいで」
「はは、なんだよそれ。いいから早く帰れよ、腹減ってるんだろ?」
「そうだな、帰るわ」
「おう。あ、まー、一応ありがとな」
「ふっ、それこそなんだよそれ」
こうして、謎の一件は終わった。
殴られ損じゃないかと考える自分もいたが、仕方がないから大人なところを見せてやろうと自分の中だけで片付けておいた。
「あ゛、やべえだろこれは……」
漫画を読んでいた際にふと気になって鞄を確かめてみたら、そこには綺麗な状態で課題が存在していた。
まだなにも書かれていない、そして、ひとりだけではどうにもならない難しい問題ばかり。
さて、どうする。
なんて考えるまでもなかった、船山に電話をかける。
凛はあれでいて結構厳しい人間だ。
課題をやり忘れていたから教えてくれなんて言ったところで、慈悲なく自分で頑張りなさいと言ってくるだけ。
それならそれなりに甘い船山に頼るしかないわけで。
「……なんだよ、せっかくいま寝始められたところだったのによー」
「悪い、課題を教えてくれ」
こういうときは無駄なプライドなんて捨ててしまった方がいい。
分からないことは分からないと言う、分からないことは聞く。
分からないことをずっとひとりで考えたところで時間の無駄にしかならない。
だからこれは間違っていないのだ、寧ろ、1番いい方法を選んだということ。
「それって今日のだろ? 待て、教えてくれってどういうことだ?」
「ん? 別にいまここで式から答えまで見せてくれればいい、そのためのビデオ通話だろ」
「駄目だ、それは許可できない」
不味いぞこのままだと。
明日も数学はあるし、その際にやっていなかったなんて言ったら爆発する。
そうしたら嫌な気分になるのは船山達だってそうだ。
「まあ待て、俺がもしこのまま白紙のまま持って行ったらどうなるのか、それが分からない船山君じゃないですよね?」
「ま、当然のように怒られるだろうな、それで授業時間が減るというところまでは想像することができるぞ」
「だろ? そうしたら勿体ないよな? でも、いまここで教えてくれたら船山達が嫌な気分を味わわなくても済むわけだ、それなら間違いなくこっちを取るよな?」
俺のしていることがただの逆ギレや開き直りだということは分かっている。
それでもだ、それでもどうしようと留まっているよりかは遥かに効率的な時間を過ごせていると思うのだ。
あとは単純に怒られたくない、何度も言うが俺はMじゃないんでね。
「それでも変わらない、答えを教えることはしない」
「へ、へー、じゃあ教室内が嫌な空気になってもいいって言うんだな? ま、まあ、それならしょうがないな、時間も時間だし切るわ」
ちっ、もうこれは俺と船山が悪いというだけで終わらせるしかないな。
すまないクラスメイト達、船山のせいで明日は空気が悪くなるが我慢してくれ。
「まあ待て、いまから俺の家に来い、そこで教えてやるよ」
「いまからっ? こんな夜中にっ?」
「別にリビングでやれば両親に気づかれることもない、だから来い」
「あ、ちょ、マジかよ……」
これならまだ凛の家に乗り込んだ方がマシだった。
流石の凛も家にまで来られたら教えることしかできないわけだし。
「さみぃ……」
凛の家に比べれば遠いが、そこまでではないことが救いだろうか。
家の目の前で連絡をして開けてもらう。
シュールだ、夜中にほぼ真っ白なプリントとシャーペンを持った男がそこにいるんだからな。
「まさかそうやって持ってくるとは思わなかったわ」
「いいから教えてくれ」
「おいおい、教えを請う態度じゃないなそれは」
「教えてください、よろしくお願いします」
「うーむ、どうしようかなあ、せっかく寝られそうってときに電話なんかかけてきた非常識な人間が相手だからなあ」
その非常識な人間を家に招いたのがあんたですが。
こんな茶番を繰り広げている場合じゃないから再度頼む。
数学の教師が爆発すると男の俺でも怖えんだ。
女子なら尚更なこと、まあこいつは女子じゃないが。
そんな被害を出さないためにもここで頑張っておく必要がある。
考えてもみろ、寝ることが大好きな人間がわざわざ来たんだぞ?
しかもお遊びではなく、自分のため、そしてみんなのために。
いつもならとっくに夢の中にいる時間だ、それなのにいいのかと聞きたくなる。
「まあいいか、教えるから座れよ」
「おう、頼む」
それは本当に難解で、教えるのが上手い船山が教えてくれていても理解するまでに時間がかかった。
何度「だからそうじゃないってっ」と聞いたのかは分からない、あと、4時半ぐらいまでかかってしまって眠たかった。
「おいおい、俺はこんな状態で朝練に行かなければならないのかよ……」
「悪い……、でも、俺も似たようなものだから、これから走らなければならないからな……」
「これからは課題とかちゃんとやっておけ、本なんかいつでも読めるだろ」
「だな、気をつけるわ」
礼を言って船山家をあとにする。
うん、最高に眠いし、寒いし、なんか心も冷える。
いまはまだ頑張って解いた課題を持っているからしっかりできているだけで、これを置いたら間違いなく寝てしまうことだろう。
それは怖いから凛の家の前で立っていることにした。
「ふふふ、今日こそ洸より早く起きたんだからっ――ん?」
「よう」
「え、ぎゃあ!? な、なんでこんな時間に……」
そうか、いつもそうやって企んでいたのか。
あんまり俺が早く起きるとどんどん起床時間が早まるから気をつけないと。
これはいいことを知れた、船山には悪いが課題を忘れていて良かったな。
「いいから走りに行こうぜ。あと、これを凛の鞄の中に入れておいてくれ、俺の努力の結晶だから絶対に忘れずに持っていかないと駄目なんだ」
「課題のプリント? なんでわざわざ持ってきたの?」
「いままで船山の家で解いていたんだ」
「えっ、なんで……」
なんで、それは俺が聞きたいことだ。
多分、分からない問題ばかりだから現実逃避をしていたのかもしれない。
なかったことにしようとしたというか、珍しく漫画を読んでいたのもそういうことだということで。
「僕に頼ってくれれば……」
「凛は自分でやるべきだって言って教えてくれないだろ、だから迷うことなく船山に電話をかけたんだけど――ま、まあ、こうやって終わらせることができたからさ、もういいんだよ」
いまは走ることの方が優先だと考えて動こうとしたのに凛が動かず。
課題のプリントを持ったまま硬直、いや、いや違う待てっ。
「待て待てっ、ぐしゃぐしゃになっているからっ」
「はっ、あ、ごめん、鞄の中にしまっておけばいいんだよね?」
「お、おう、よろしく頼む」
ふぅ、せっかく頑張ったのに努力が無駄になるところだった。
その後は普通に凛と走って、ある程度のところでいつも通り解散となって。
家に帰ってゆっくりするとあれだから制服に着替えて鞄などを持ってすぐに出てきた。
外にいた方がまだマシだから。
「ぐぅぅ……」
「おい、起きろ」
「……なにやっているんだ?」
少ない時間でも寝るから出ていけって追い出したのは船山だぞ。
「それはこっちのセリフだ、ちゃんと凛と走ってやったのか?」
「ああ、いま走ってきたよ、家でゆっくりしたら寝ちまうからここで座っているんだ」
「それならはい、これを持ってくれ、それで学校に行こう」
「……荷物持ちかよ、まあいいけどよ」
確かに学校で休んでいた方がマシか。
荷持持ちをしている方が眠気もどこかにいってくれるかもしれないしいいかと片付ける。
「馬鹿、危ねえぞ」
「……俺には厳しすぎるんだよ、寝る時間がないとか……ありえねえ」
「自業自得だろ、とりあえず教室に着くまではしっかりしろ」
「船山……」
「早くしろ」
優しくねえ、それでもなんとか頑張るしかないか。
課題を頑張ることよりも頑張って眠気を吹き飛ばし、教室までやって来られた。
「SHRまで寝ていればいい、それじゃあな」
「ああ、またな」
さて、寝るか。
後は凛がちゃんとあれを持ってきてくれれば問題も起きない。
そして、凛はなくすような人間じゃないからちゃんと持ってきてくれた。
「ありがとな」
「うん。でも」
「なんだ?」
間違いなくなにか言いたげな顔をしている。
そんなに頼らなかったことが嫌だったのだろうか。
と言ってもな、多分、船山に頼ることよりも時間がかかっていただろうし。
「……亮を頼ったことは許さないから」
「起こしたくなかったんだよ、その点、船山ならあの時間でも起きているって分かっていたから――」
「それでもだめだから」
結局、なにをどうしても凛を怒らせることになるんだなって。
嘘に嘘を重ねればそりゃそうか、好かれようと考える方がおかしいか。
それでもいまは寝ることを優先した。
そうしないと違うことで怒られてしまうから。
「凛、帰らないのか?」
もう19時を越えてしまっている状況で俺らはまだ学校にいた。
別にわざわざ合わせなくても自分だけ帰ればいいと言われればそれまでだが、その選択肢を選べない理由があった。
こっちの上着の袖を掴んだまま凛が離そうとしないのだ。
「……亮が送っていくんでしょ」
「それはもう終わったぞ」
多分、もう来ることもないと思う。
そうなるとあの時計(本人談)が困るわけだが、まあ触れずに置いておけばいいだろう。
「ほらやっぱり、裏でこそこそとふたりだけで……」
「でも、船山が送るって言っていたのは凛も聞いていただろ?」
「……僕には付き合ってくれって言ってくれなかった」
「船山にだって付き合ってくれなんて言ってないさ、課題のときは言ったけど」
一瞬、少し面倒くさい彼女ができたらこんな感じなのかねえと想像してみた。
1度もできたことがないし、なによりもそういう意味で興味があるわけじゃないから無駄ではあるが、ネットとかでよく目にする感じと似ている気がした。
「なんでそこで亮に頼ることになるのっ、聞けば悩まなかったって話だしっ」
「だからそれはこれまでの凛を考えての選択だ、課題とかは教えてくれないだろ、教えてもらわないと分からないところだったから船山を頼るしかなかったんだよ」
「違うっ、僕は写させたり答えを教えたりしないってだけだからっ、洸が真面目にやってくれるなら来てくれれば……良かったのに」
「終わったことだ、次にそういう機会があったら頼るから」
眠たいんだよ、だから早く帰りたいんだ。
休み時間に寝られてもやっぱり足りないんだ、もっとちゃんと8時間とか寝られる時間を確保しなければならない。
「洸のばかっ」
「それでいいから帰ろうぜ?」
「知らないっ、自分ひとりだけで帰りなよ――ううん、僕だけで帰るから!」
結局、ひとりで出ていってしまった。
俺は机とか席とかを直してから電気を消して教室をあとにする。
困った存在だ、楽ができて良かったとかそういう風に考えておけばいいんだ。
俺に根気よく付き合ってくれた船山はかなり疲弊していたからな、もう2度と教えたくねえとすら言われたぐらいなんだし。
「いつでも寒いな」
どうにもならないから帰って寝よう。
いまは食欲とかよりも睡眠欲の方が重要だから。
凛とのそれは、まあ、またなんだかんだで仲直りできるだろうから。
現実逃避だと言われてもどうでもいい、寝られることが幸せだった。
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