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 タクシーで高円寺駅に戻り、コンビニでアイスクリームをふたつ買って立ち食いしたあと、また中央線に乗って新宿に向かった。彼女との待ち合わせ場所は、元カレとよく行った喫茶店を指定した。その場所に感傷があるわけではないけれど、もうしばらく新宿に来ることはないだろうから、思い出の場所を巡っておきたかったのだ。

 新宿の店の入れ替わりは激しいが、ずいぶん昔からあるその喫茶店は今でも営業していた。あいかわらず立派な店構えで、木々でできた壁にはますますの年季が入っている。

 ウェイターさんに待ち合わせをしていることを伝えたあと、階段を降りて彼女の姿を探した。彼女は店のすみっこで堅くなって座っていて、ちょっと笑ってしまった。そういえばあの席、あたしと元カレがいつも使ってた場所でもあるな。

「お待たせー」

 あたしが明るい声をあげて歩み寄ると、キャシーはなさけない表情のまま、よわよわしい小声で言った。

「なにこのお店。すごく立派だし、メニュークソ高いし、しかもコーヒーの量めちゃくちゃ少ないんですけど!」

 あたしはわらって、

「まあ新宿はこんなもんだよ。高円寺とちがって。あとそのコーヒー、エスプレッソだから」

 と得意げに言った。

 キャシーの正面にうたを座らせ、あたしはうたの隣に座った。巨大なボストンバッグは、キャシーのとなりの椅子に置かせてもらった。

 あたしが奢るよ、と申し出ると、キャシーはようやくすこし肩の力を抜いて、さんにんともパフェを注文した。しばらく近況報告まじりの雑談をして、パフェが運ばれてきたあと、うたが姿勢をただしてみずから自己紹介をした。ちょっと緊張しているようだったけれど、はきはきとしたいい自己紹介だった。

「はい。どうぞ、よろしくお願いしますね」

 キャシーはにっこりと微笑んで言った。もともと、うたとキャシーはzoomでおしゃべりをしているので、そのあとはパフェを食べながらの打ち解けた会話が始まった。

 「ミスMV」のオーディションでは、うたは残念ながらグランプリにはなれなかった。でも素晴らしいことに最終選考まで進むことができて、いくつかの事務所から声をかけてもらった。あんまり大きい事務所はなかったので、弟と相談した結果、事務所に所属することは見送ったのだが、やはり近いうちに東京かどこかのスクールに通い、専門的な教育を受けたほうがいいだろうという話になった。その話をキャシーにふると、キャシーは「じゃあうちに住んで、そこから学校に通えばいいじゃん」と言ってくれた。うたはそれを聞いて、すごい前のめりだったが、やはりあんまり幼いうちに手放すのは心配だったし、正直ちょっとさびしかった。このことを何度も話し合った結果、中学生にあがるタイミングで、うたを東京に送り出すことを決めたのだった。

「ほんとうにね、助かるよ。あなたなら安心してうたを預けることができるし。高円寺なら、音楽をするうえでも恵まれた環境だから、うたにとってもすごくいい影響があると思う」

 あたしはキャシーにそう伝えた。彼女の高円寺の家は昔から変わっていなくて、あたしも行ったことがなんどかあるのだが、オートロックの立派なマンションで、部屋もみっつある。たぶん分譲マンションだろう。でも彼女は結婚する気はなさそうだったから、うたと同居することは、彼女にとってもいい影響があるだろうと思われた。

「私もうれしい。なんかね、生きがいができたかんじ」

 そう言ったキャシーの笑顔はあんまり昔は見せたことのない、かげりのないものだった。生きがい、という言葉は、彼女が言ったとおりなのだろうと思う。当時のあたしもそうだけれど、彼女はいつどこで死んでもおかしくないような生活をしていた。うたと暮らすことで、それがすこしでも好転すればいいと思っている。

「まあ、ほら、サチコ。うたちゃんがこっち来たらさ、そっち、ふたり暮らしでしょ。めちゃくちゃセックスできるじゃん。気兼ねなく」

 キャシーが邪気のない笑顔を一転させ、にやにや笑いながら言ったので、あたしは彼女の手の甲を思い切りひっぱたいてやった。うたのまえで言うんじゃないよ。それはほんとうに、むずかしい問題というか、いまあたしに残されてる問題でいちばん重いものなので。

 次の待ち合わせの時間が近づいてきたので、あたしたちは店を出ることにした。うたのボストンバッグはキャシーが家まで運んでおいてくれるそうだ。またちょくちょく電話で長話することを約束して、彼女とは別れた。

 別れ際、いつものように、

「生き残れよ」

 と言い合い、握手をし、ハグをして、なんども振り返り、手を振りながら、さよならをした。

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