三十六歳、高円寺、キャリア
1
今年の九月は台風が多くなった。気圧が低く、季節の変わり目ということもあって、あたしも弟も調子が悪かった。元気なのはうただけだ。
「あー、めっちゃ頭いたい」
布団に横たわったまま、あたしは呟いた。となりで弟が寝返りを打つ。台風の直撃が予想されているため、前日夜には今日高校が休みになるとの通知が告げられていた。あたしは本屋に張り紙なんかを出してはいないが、まあこの風と雨だし、お客さんも来ないだろうし、降りたシャッターを見れば察してくれるだろう。台風の進路と速度によれば、明日も明後日も外には出られそうにない。急な三連休ということになる。
「いま、なんじー?」
いかにもけだるそうな声で弟がうめく。あたしは枕元からスマホを取り上げ、時間を確認した。
「うーん、もう十二時過ぎてる」
そう答えながら、そろそろうたの昼ご飯を作らないとなあ、と考えた。あたしも弟も食事をするどころではない体調だけれど、うたはおなかがすいてるだろう。とはいえだいぶ身体が重い。こういうとき、いつもなら優花ちゃんに電話して来てもらうのだが、さすがに台風のなか彼女を呼ぶことはできない。弱音を吐けば暴風雨のなかでもカブですっ飛んで来てくれる子だけに、彼女にはまったく連絡しなかった。
ようやく十三時すぎに身体を起こした。弟に欲しいものを尋ねると、「ポカリ」とだけ返答があった。冷蔵庫のなかにまだ残ってたっけな、と考えながら、ふらふらと階段を降りた。すると、ダイニングのほうから香ばしい匂いが流れてきた。
怪訝な顔つきでカラフルなビーズのれんをくぐると、テーブルのうえに並んだものを見て、あたしは「あっ」と声をあげた。
そこには実に立派な料理がさんにんぶん並べられていた。ふくふくのしろごはんに、香ばしそうな秋刀魚の塩焼き、彩りのいい卵とほうれん草の炒め物、すりおろし生姜がこんもり添えられた冷ややっこ、湯気をもくもくとあげるコーンスープ。
あたしが呆然と立ち尽くしていると、ぶかぶかのエプロンを着用したうたがお盆のうえに麦茶を三杯乗せて現われた。
「お母さん、ごはん作っといたよ」
うたはなんでもないふうにそう言って、手際よく麦茶をテーブルのうえに並べた。
あたしは床にひざをついてうたを抱きしめた。いつからこんなに大きくなったのだろう。昔はミルクの匂いしかしなかったのに、いつからこんなに汗の匂いを漂わせていたのだろう。
「……どこで覚えたの? こんな料理」
あたしが尋ねると、うたはあたしの背中をぽんぽんと叩きながら、
「お母さんを見てたら、勝手に覚えるよ。あのね、お母さん、私はもう大きいんだから、いろいろ任せてくれて、いいんだよ。お母さんの体調が悪いときは、私、こんな風に料理だって作れるんだし、お風呂掃除だって、ゴミ出しだって、できるんだよ。だからね、お母さん、無理しないで、元気でいてね」
と子どもに言い聞かせるように言った。
「お母さん、いたい」
あたしはうたを強くつよく抱きしめた。
あたしは弟をたたき起こし、彼を食卓に連れてきた。弟もだいぶだるそうに降りてきたが、食卓をみてあたしと同じようにおどろいたし、よろこんだ。あたしたちはさんにん同時にいただきますをして、うたが作ってくれたはじめてのごはんを食べた。正直、食欲はぜんぜんなかったし、味覚もだいぶあやしかった。でもすごくおいしかった、と思う。あたしたちは先を争うように料理を食べ、米粒ひとつ、スープ一滴のこさずお皿を空にした。そのあとはさんにんでシンクに並び、分担してわらいながらお皿を洗った。わらいつかれて、久しぶりに川の字になって寝た。うたを真ん中にして、さんにんでぎゅっと手を繋いだ。外では風のうなるごうごうという音とか、雨が天井を叩きつけるばらばらという音が響いていたけれど、ぜんぜん怖くなかった。台風の週末の、しあわせなひとときだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます