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「いいんじゃない? 応援するよ」

 うたを寝かせたあと、あたしが食卓で弟に相談すると、弟はあっさりそう答えた。弟はいつも残業が忙しいのだけれど、その週の金曜は大会直後で部活が休みということもあり、早めに帰ってきた。彼は理科教師で、物理部の顧問をしているのだという。物理部の大会ってなんだか仰々しいなあと思っていたのだが、どうやらプログラミングの大会らしい。いまはなんでもパソコンだったりスマホだったりするわけだ。弟は食後のビールをひとくち飲むと、なんの迷いもない口調で即答した。

「え、いいの? だって『ミスAV』って、AVだよ? 水着審査とかあるし、それ以上もあるかもだし、万一グランプリになったら、まあふつうの女優とか歌手とかになれる子もいるけど、もともとはAV女優を選ぶ企画なんだよ? いいの、あたしがAV女優になっても?」

 弟があんまりに抵抗を示さないから、ぎゃくにあたしが慌ててしまい、喰ってかかるように早口でまくし立ててしまった。

 弟はちょっと照れたような表情で口元をゆるめ、

「なにそれ。僕ら同居はしてるけど、きょうだいなんだよ。恋人みたいなことを言うんだね」

 とわらった。言われてみて、あたしもちょっと恥ずかしくて、耳のさきが熱くなった。弟とはきょうだいなわけだし、同じ布団で寝てはいるけれど、うたの手前お父さんとお母さんのようにふるまう必要があったからで、セックスはしていない。ただ、出かけるときに手を握ることはよくあったし、たまに軽いキスをかわすこともあって、彼はほんとうにただのきょうだいなのか、分からなくなることはあった。

「いまうたはまだ、僕のことをお父さんだと思ってる。でもいつかは、そうじゃないってことを話さないといけないときが来る。そのときうたにとって、家族といえる存在は、姉ちゃんだけなんだよ。ほんとうのことを知ったとき、うたが縋ることができるのは、ほんとうのお母さんである、姉ちゃんだけなんだ。いつか来るそのときのために、姉ちゃんには、うたに胸を張れる存在であってほしい」

 弟の言葉は、あたしを叱ってくれているようでもあった。あたしは正直、このままでもいいと思っていた。弟とうたの三人での暮らしはすごく幸せだったし、満ち足りていて、このまま続くと思っていたし、続いてほしいと思っていた。うたがもし弟のことをお父さんだと思うのなら、ずっとそう思わせておいても構わないと思っていた。だからいま、あたしは弟をしたの名前で呼ぶし、弟もあたしをしたの名前で呼ぶ。でもいま弟は、あたしを「姉ちゃん」と呼んだ。その言葉は、あたしは結局のところ彼の「姉」でしかないのだと、突き放しているようでもあった。

「僕は姉ちゃんのことをすごく誇りに思ってるんだよ。僕が初めて姉ちゃんのAVを観たとき、僕の姉ちゃんはこんなにきれいなんだって、すごく誇らしかった。僕はずっと童貞だった。なんでか分かる? 姉ちゃん以外の裸を見ても、勃たないからだよ。東京を離れたあの夜、僕は姉ちゃんに犯されて、怖くて、苦しかったけれど、それでも、すごくうれしかった。でもそれじゃ、だめなんだ。だってあの夜、姉ちゃんのほうが、僕よりずっと、怖くて、苦しそうだったから」

 弟はその告白をしてくれた。弟がそんなふうにあたしのことを見ていたなんて初めて知った。あたしはAVをつうじ、誰よりもあたしのことを見てきて、あたしのことを分かってるものだと思っていた。もしかすると弟のほうが、あたしをたくさん見て、あたしを分かってるのかもしれなかった。だから彼の言ったことは、ひどく正しい。あたしはたぶん本当のセックスを、知らない。あたしのセックスからは、音楽が欠けている。

「だから僕は、姉ちゃんが『ミスAV』に参加するのは賛成だよ。AV女優になったっていいと思ってる。そりゃちょっと、嫉妬はあるけどね。僕だけの姉ちゃんだと思ってたから。でも、そうじゃないんだよね。いま、姉ちゃんのそばにいるべきなのは、うたなんだ。だからうたのために、僕は姉ちゃんには美しくあってほしい。それがAV女優ならそれでいい。僕はうたに、姉ちゃんのセックスを見せてやってほしい」

 弟の言葉があたしに優しく沁みてきて、ちょっとだけ痛い。あたしはセイコのために「ミスAV」に出ようと思っていた。それだけじゃなかった。あたしはあたしのためにも「ミスAV」に出なくてはいけなかった。すくなくとも世界中にふたりだけはそのことを望んでくれていた。あたしが誰よりも愛する、あたしを誰よりも愛してくれるふたりが、そのことを望んでくれていた。

 音楽を取り戻さないといけないのは、セイコだけじゃなかった。あたしも音楽を取り戻す必要があった。セイコは、瞳に。あたしは、この身体に。

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