回転
川谷パルテノン
A氏のこと
話を聞かせてくれたA氏は、待ち合わせ場所に現れた時、サングラスをかけていた。彼には車に乗ってもらい、我々は地元の商工会にお借りした会議室へと移動した。
準備が整ったところで私は早速「サングラスを取ってくれますか?」と尋ねた。A氏は「まあそう慌てなくても」とそれを遮り、自身について語り始めた。
「私が今のようになったのは成人を迎えてから間も無くのことでした。それまでは普通に生活していたんです。そのへんの人達と変わらず、酒が飲めるぞとはしゃいで友人達と居酒屋をハシゴしたんです。わりと真面目なほうでしたから酒を嗜むなんてそれまでは一滴もやって来なかった。なので覿面酔っ払ってしまいましてね。どうやって帰ったのかは覚えていません。それに記憶がまだはっきりしている時は全部見えてましたから」
A氏は全盲である。ただ彼の話では、いわゆる中途失明の原因によく挙げられる緑内障のような症状は見られなかったという。なので酩酊状態の際になんらかの外的な作用があったのではないかと考えるが、翌日、A氏が目覚めた時にはもう視覚は機能しておらず、かといって後の検査でも外傷は発見できなかった。
A氏の視覚障害については原因不明のままだったが、これは誰が見ても異常なことが起きていると、サングラスによって隠されたA氏の眼が語っている。A氏はいよいよサングラスを外して我々にその両眼を見せてくれた。私は正直絶句した。A氏の眼は縦横斜めと無軌道に回転していたのである。眼は回転する中で、時折瞳の部分を覗かせたり、白眼になったりと、常に休むことなく動き続けていた。
「眼球は本来体内で視神経と繋がっているので、筋肉の加減で多少ズレたりということはあっても、私のように回転するなどありえないことなんですよ。レントゲンを取って見ると、やはり神経とは遮断されていて、だから視力もないわけなんですが、ならなぜこうずっとクルクルと自転しているのかって話なんですね」
確かにA氏の言うように、なんらかの原因で神経と眼球が切り離されたとしても無限に動くことなど考えにくい。あまり気分のいい話ではないがポロッとそのまま外に押し出されて落ちてきそうなものだ。ところが眼はまるで独立した生命体のようにA氏の中で回転している。私はA氏の顔に近づいて確認してもみたがなんとも不思議な光景だった。話はこれで終わらない。
「たとえ自分では確認出来ないとしてもいい気はしませんよね。なので私はせめて義眼に変えることを決断したのです。摘出することに躊躇いはありませんでした。少しでも普通でありたい、それに近づきたいと思いました」
摘出手術の日取りが決まり、A氏は当日を迎えた。ところがいつまで経っても執刀医が到着しなかった。現場のスタッフがようやく確認が取れた時、執刀医であったA氏の主治医は自宅で首を吊って自殺を図っていた。そのまま主治医は帰らぬ人となる。
「わけがわかりませんでしたね。故人についてあまり言うことじゃないですが。彼も私の失明と同じように突然だったんです。前日、手術内容の説明を受けた時も私を励ましてくれた。明るい先生でした。なのになぜという感じです」
それからもA氏が眼の手術を行おうとする度に、最初の事件ほど悲惨なことはなくとも携わる関係者によくない事が起きて、手術自体は度に中止された。何度も延期を重ねるうちにA氏はこの不自然な事態に自責の念に駆られ、いよいよ手術自体を諦めることにした。
「私は絶望感でいっぱいでした。奇妙な体質になっただけならまだしも、その所為かはわからないが人が亡くなった。私は自分を呪いました。そうやっているうちに、この眼が神経に繋がっていないなら自分で取り出せばいいと考えるようになったんです。あなたはどう思いますか。自分で自分の眼を摘んで取り出すんです。ただ私にはそれすら見えない。見えなくなった視力が初めて後押ししてくれているような、そんな気分でした」
A氏は恐る恐る手を顔に近づけた。自身の眼の位置を確認するように撫でまわしたという。ようやくここだとなるとA氏は一瞬、眼球に触れた。指先からその回転が伝わった。ところが次の瞬間A氏に強烈な痛みが走った。眼ではなく、それに触れた指先から肩にかけて。A氏は羽織っていたジャケットを脱いでくれた。
「この程度で済んでよかったと思うべきなのか。救急隊の方が発見してくれた時にはどこにもなかったんですよ。私の右腕。ふと思う事があります。例えば私が死んで、そうなったらこの眼はどうなるんだろうかと。今の生活は、何をしていても私のためでなくこの眼の回転がやらせてるような気がしてくるんです」
回転 川谷パルテノン @pefnk
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