第5話 温泉②
身体の前を手拭いで隠しているけれど、腹が大きすぎてはみ出ている。
生きている死んでいるを含め、いろいろな身体を見てきた自覚はあるが、間近で妊婦ははじめてだった。
「おなか、大きいですね」
思わず、口に出してしまった。
「見苦しゅうてすんまへん。臨月なんや。うち、ここの若女将なんやけど、ややが生まれるまでは仕事がのうて。女将のくせに一番風呂なんて、ええ身分しとるて思うやろ。けど、夜は遅うまでお客はんが使うさかい、この時間しか入れへん。堪忍してや。あとで一本多くつけとくし、見逃して」
「い、いいえ。お子さんが優先ですよ」
若女将は動くのもつらそうで、緩慢である。ああなったら、刀が振れないな。さくらはいつもの癖で、そんなことを考えた。
しかも、どことなく若女将は、自分に似ている。顔の形だろうか? 鏡など、ほとんど見ない暮らしを送ってきたけれど、ここに来て女装する機会が増えたので、身支度に気を配ることも増えた。雰囲気はまるで違うのに。
気になって、風呂を上がれない。思わず、話に耳を傾けてしまう。
「うちも、もとは江戸から嫁に入って。最初の家では、夫に先立たれてしもうて、この宿に縁づいたとこ。つい、江戸が懐かしゅうて、すんまへん」
「そうですか……」
温泉を上がる機会を完全に逸してしまい、さくらは困惑した。いいかげん熱くなってきたし、それを理由に立ち去りたいところであるけれど、夫に先立たれて再嫁とは、先ほど聞いたばかりの話。
この女性が、水原の兄嫁だろうか。しかし、危篤ではないと思う。どう見ても。
湯けむりに紛れるようにしながら、ちらちらと横目で確認してしまう。
向こうから話しかけてきてくれたのだ、手がかりをつかみたいけれど、正直もう熱い。思考がまとまらない。『水原という男をかくまっているのか』、違う。『義理の弟と会ったか』、違う。
「……申し訳ないが、だいぶ熱くなってきた。あなたが、ここの若女将で妊婦という立場ならば、お願いがある。あとで、部屋に来てもらえないだろうか。私も、子に恵まれたい。ゆっくりと話が聞きたい。私の夫も江戸っ子だし、話をしたい。今夜は楓の間に泊まっている」
「まあ、うちの話でよろしかったら、喜んで伺いますわ」
「ご気分がよろしければ、是非に。お待ちしている」
さくらは『新しい設定』を理由にして、どうにか約束を取りつけ、風呂を上がることができた。
身体の傷を見られたくないが、それ以上に頭の月代は絶対に見せたくないので、そそくさと小走りで脱衣所に向かった。いくつもの傷が浮かぶ身体を見て、若女将はどう思っただろうか。
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