よみがえる記憶


「コータ!」


 自宅に戻るなりコータの姿を探した。


「コータ! コータ!」


 しかし、どこかに隠れているのか、いくら呼んでもコータは現れない。

 もしかしたら、このまま会えなくなるのではないか。そんなありえない予感を抱かせるくらい、わたしの精神は不安定な状態であった。


 落ち着け。落ち着くんだ、わたし。冷静に普段通りの行動をとろう。わたしは帰ったらいつも最初になにをする?


 自分に問いかけ、すぐに答えを見つける。わたしは家に帰って一番にすること。それはスマホの充電だ。


 早速、スマホを鞄から取り出し、充電器の元にまで歩みよる。


 その際、例の写真が自然と目に入った。遊園地の観覧車の中で、わたしが、ひとりで、満面の笑みをこぼし、ピースサインをしている、あの写真だ。


 その瞬間、猛烈な吐き気がわたしを襲った。

 それでも、写真から顔をそらし、胃からせり上がってくる酸っぱい物をなんとか押し戻した。


「なんなのよいったい……」


 わたしはそんな不満をもらしつつ、深呼吸を試みる。ひとつ、またひとつと、吸っては吐いてを繰り返し、ようやく心を落ち着かせることができた。


 と、不意に手の中のスマホがプルルルと鳴り出した。電話がかかってきたようだ。


 まったく、もう。吐き気も収まったし、早くコータを探したいっていうのに、いったい誰よ。


 わたしは苛立ちを覚えながらも電話の相手を確認する。


 ――理央からだった。

 正直、電話に出るのが怖かった。もし、わたしが知りたくない『なにか』を告げられるかもしれないと思うと、このまま見なかったことにしてしまうほうがいい気がする。

 しかし、あんな別れ方をした直後だ。理央だって心配してくれているのだろう。そんな厚意を無視するなんてことわたしにはできなかった。


「……もしもし」


「遥? よかった、出てくれないかと思った」


 理央は「ふう」と安堵のため息をついていた。


 こんなにも気遣ってくれる友人がいることは喜ばしいことだ。だが、それ以上に理央から『なにか』を教えられることを恐れていた。だからこそ、わたしは「さっきはゴメン」という一言すら発せずにいた。


「……」


「ねえ、ひとつだけ遥に訊いてもいい?」


 言葉を見い出せないわたしに理央は優しい声で言う。


 ここで通話を無理矢理終えることもできる。しかし、ここまで自分が恐れている『なにか』がいったいなんなのか、そんな好奇心も芽生えていた。

 理央の話を聞くべきか。それとも電話を切ってしまうべきか。わたしには選ぶことができず、ただ無言を貫いていた。


 そんなわたしの沈黙を了承と解釈したのだろう。理央ははっきりとした口調でこう尋ねた。


「遥、あなたはコータのこと忘れちゃったの?」


「……え?」


 理央はなにを言っているんだろう。忘れるもなにも、コータは、コータっていうのは……。


「コータは、だから、わたしが拾った猫の名前――」


「違う!」


 わたしの言葉はぴしゃりと否定されてしまう。長い付き合いになるが、こんなにも理央が語気を荒らげたのは初めてのことだった。


「わたしが言っているのは猫の話なんかじゃないの! 本当に覚えていないの? コータ――真中まなか洸太こうた! 遥の恋人だった奴よ! 今日の飲み会に誘ったのだって、遥があいつのせいで落ち込んでいるんじゃないかって思ったからなんだよ?」


 え? 恋人って、そんな馬鹿な。だって、わたしは今まで誰とも付き合ったことなんかなかったはず……。

 わたしは無意識の内に例の遊園地の写真を見ていた。


「あ……」


 その写真には、今までわたしひとりしか写っていなかったはずなのに、いつのまにか隣に男の人がいた。満面の笑みをこぼしているわたしの頬に、薄い唇を押し当てている。


 見たこともない男の人だ。


 そう思った刹那、脳がぐわんとゆがんだような気がした。


 見たことない? 違う。わたしはこの人を知っているじゃないか。コータ……じゃない、洸太だ。理央の言っていた真中洸太。わたしの恋人。だけど、だけど――


「い、いやああああぁー!」


 わたしは叫び声をあげながら手にしていたスマホを写真へと投げつけていた。


 見事命中し、写真はフォトフレームごとガシャンと音をたてて床へと落ちる。しかし、よみがえってしまった思い出は、もう消えることはなかった。

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