飼い猫か野良猫か


 急に見知らぬ場所に連れてくと猫にとってストレスになるというのは有名な話だろう。でも、これって猫に限った話ではないように思う。

 犬だって、猿だって、そして人間だって同じなんじゃないだろうか。今まで生活していた地域から、突然右も左もわからない土地に無理矢理連れて行かれたら、途方に暮れ、かなりの精神的苦痛を味わうことだろう。それが普通だ。


 コータ(メス)はそういう意味では普通ではなかった。

 風呂上がりにコータをリビングに連れてきたのだが、まるで警戒している様子がないのだ。それどころか、わたしのお気に入りの赤いソファーを占領し、そこで我が物顔で丸まっていた。


「あんたねぇ……」


 わたしが呆れてため息をつくと、お返しと言わんばかりにコータは「みゃあ」と可愛らしい鳴き声をあげた。

 図太いというか、危機感が薄いというか。まあ、ビクビクされるよりかはずっといいんだけど。


 そんなことを思いながらコータの鼻をつんつんとつついていると、不意にわたしのお腹が「ぐぅー」と鳴った。


「あはは、お腹が減ったわね。ご飯にしましょうか」


 キッチンに向かい、なにかあったっけと冷蔵庫を開けてみる。


 牛乳、バター、納豆にマヨネーズ、それから缶ビール。見事に主食になりそうなものがない。


 そういえば、今日は外食する予定だったんだ。

 それなのに――それなのに、なぜわたしは家に帰っているのだろう。

 たしか、そう。ショッピングに出かけてて、急に雨が降り出したから急いで帰った? いや、帰っている途中に雨が降ったんだ。じゃあ、なぜ? なぜ、わたしはここにいるんだろうか。


 ……わからない。


「わからないことを考えたってしょうがないか」


 とりあえず、パスタは常備してあるので、自分の食事は確保できる。問題はコータだ。

 当たり前だが、猫の餌なんかこの家にはない。とはいえ、風呂上がりでまたあの豪雨にさらされるのはごめんだ。


「今日のところはこれで勘弁してね、コータ。ていうか、こぼすといけないから、そこでは食事しないでよ」


 わたしは牛乳を皿に注ぎ床に置いてやる。牛乳嫌いの子だったらどうしようかと思ったが、コータは「みゃあ」とひと鳴きしてからソファーを飛び降りると、チロチロと舌を出し入れして牛乳を飲んでくれた。


「おっ、偉いぞ。明日はキャットフード買ってきてあげるからね。まあ、飼い主さんが見つかったら、それも意味なくなっちゃうんだけど……」


 自分で言っておいてなんだか寂しくなってきた。


 コータと名付けたこの黒猫と別れるなんて、考えただけでも胸が苦しくなってしまう。変な話だが、出会ったばかりなのにわたしはコータにすっかり魅了されていた。


 ずっとなでていたくなる艶やかな毛並み。

 初めて入った人の家でくつろげる図太い性格。

 すべてを見通しているような鋭い眼差し。

 そして、その割には可愛らしい鳴き声。


 どれがわたしを引きつけるのかはわからない。だけど、こうして接するにつれ、コータと一緒にいたいという気持ちがどんどん大きくなっていた。

 とはいえ飼い主を探さないわけにもいかないだろう。もしコータが飼い猫なら、本来の家に帰るほうが幸せに違いないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る