第3話「自我の目覚め」
ポケットの中で上下前後左右にせわしなく揺らされる。どうやら親子が自宅に向けて歩き始めたようだ。ポケットの中ではどうにも二人の会話が上手く聞こえない。家に着くまでは、何も見えず聞こえない空間で夢想する以外することはなさそうだ。ひとまずはこれまでのことを懐かしんでみるとしよう。
そもそも私は如何にこのような自我を持つようになったのだろうか。私は自分が形作られた、つまり生まれたその時の記憶はない。自分の記憶の中で最古のものは、正確な年代は分からないが、百年近くは前のことだ。その頃私は、今の歩道とは違う田んぼ周りの畦道に転がっていた。それより前どこにいたのかは分からない。ある日突然、眠りから覚めたように視界が開け、自我が芽生えた。その瞬間私には既に膨大な知識が集積されており、まるで誰かの持つ情報をまるっきり得たようだった。そして恐らく私のこの感覚に齟齬はなかった。
最古の記憶には一人の少女の姿がある。その子はわんわんと泣いている。理由はすぐに分かった。彼女の左膝が赤黒く染まっていたのだ。大方躓いて転んだのだろう。そして転んでその左膝が行き着いた先も分かる。間違いなく今私の居る所だ。彼女の体から溢れたその鮮血の温もりと濡れた感触をまざまざと感じている。どうにもソワソワする嫌な感じだ。
少女の方はというと、幸い大した怪我ではないようだ。子どもならありがちタイプの怪我である。少女は少し落ち着き、しかしなおもすすり泣きながら、遠くへと離れていく。転んだことに傷心して、家にでも帰るのだろうか。私には見向きもしなかった。少女はすぐに彼方へと消えていった。
私の記憶の端緒がこれであることから、私は自我の発芽要因はその少女であると推理した。少女と私が接触したことで、彼女の知識が私に転写され、自我が生まれたのだろう。では私に知識が移った瞬間はいつだったのだろうか。彼女の膝が触れた時か、はたまた彼女の血が付着した時か。その当時はこの問いへの答えははっきりしなかった。だが今ならある程度分かる。血が出るすんでの所、少女の体重を一身に請け負ったその時に、ある程度の情報が私にコピーされた。そして、彼女の血が私に塗られた時、更に多大・濃密に情報が伝えられたのだ。これは今までの経験から鑑みて恐らく間違いない。
ここから、私が人間の知識を得る条件としては、その人間と強く接触することが必要なようだ。だから、単に私を蹴り飛ばしただけでは知識は貰えない。貰えても微々たるものだ。
ちなみに、人間から得られる知識は、語彙や人間が持つ感情などの経験則(旅行に行くと楽しいなど)のみであり、個別の具体的な経験・思い出、その人間の自我などは複製されない。だから私は多分あの少女と異なる価値観・性格であるし、言葉遣いも違う。彼女が泣いている理由が本当に転んだためかどうかも分からない。彼女の感情が手に取れるわけでは全くない。つまり彼女自身のことはさほど知らないままだ。彼女が恵という名であることなどを辛うじて得ただけだ。変わらず私にとっては未知のままだ。人間から知識を得るときは、接触具合が密なほど膨大に得られる。血が付着するのは私が知る限りでは最も伝達量が多い場合だ。踏みつけられた時も結構知識が貰える。人間関係において密であるほど相手のことをよく知ることができるように、私もよりその人に触れることで多くを学ぶことができるのだ。
また、この得た知識の困ったところは、人によってその情報が異なるということだ。つまり、語彙などの場合は、その意味に誤りがある時がある(未だに気が付いていないものもあるだろう)。誤りを発見するのは、二人以上からそれについての情報を得たときに、明らかな認識の差があるからだ。どれが正解かは、多数派を選ぶほか仕方がない。たとえそれが間違っていようと、人間社会と同じで、多数こそ正義なのだ。ちなみに、経験則については、たまに真逆の感情が伝えられることもあり、時々その事象に遭遇すると感情の戦争が始まってしまう。雨が好きな者はそれを喜ぶが、嫌いなものは不機嫌になる。私は雨が降ればその両感情が同時に生まれる。最初の内は、いったい何のエラーが発生したのかと焦ったものだ。これも最終的には私の中の多数派処理を施せば何とか一元化できるので、大体の出来事は大丈夫にはなった。先の雨の話でいえば、私の中の多数派は「喜び」だ。だから雨が降れば、今日はいい日だと思う。だが周りの人間は浮かない顔をするので、恐らく人間界ではこれは少数思想なのだろう。
そういえば、これは少女の血に触れたせいかもしれないが、私はその時に生物的要素である触覚・痛覚を得た。だから蹴られると痛いし、踏まれると苦しい。知識などを得られたことは私にとって喜ばしいことであったが、この感覚の獲得だけは少々余計だったように思う。これさえなければこれまでもう少し快適に過ごせたのに…。まぁそれと一緒に付いてきた視覚・聴覚・嗅覚はそれなりにいいもので、随分楽しませてもらっている。蹴り飛ばされるのは勿論痛くて堪らないが、その度に新しい景色を望めるのはいい娯楽だ。自力で移動できない私にとっては、ちょっと飛ばされるだけでも大移動になる。その時ついでに、私のことをわざわざ蹴り飛ばす不届き小僧の面を拝んでやったりもする。人間には退屈に思われるかもしれないが、暇を持て余すとこれも案外楽しめるものだ。忙しさにかまけて盲目的になっている人にはまず理解できないだろう。
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