第53話 一件落着、と言えるのか。
廃倉庫を後にしたメルツェデス一行は、途中で馬車を借りてヘルミーナとリヒターをそれぞれの家に送っていった。
当然、拉致されたことを知りながら何もできなかったエデリブラ家では使用人一同が集まり手厚く感謝され、流石のメルツェデスも困ったような笑みを浮かべるしかできなかった、などという場面もあったが。
「今回は、本当にありがとう。後日父を通して正式に……いや、すまない、正式には難しいな。
非公式な形にはなるが、礼をさせてもらう」
「いえ、どうぞお気になさらず。元よりそのつもりで、このようにしたのですから」
申し訳なさそうなリヒターに対して、メルツェデスは軽く応じる。
あの時、衛兵隊長に対して本当のことを言わなかった理由。
貴族の子女が拉致などされてしまった、と公になってしまえば、大事になってしまう。
リヒターはまだしも、結婚前、成人前のヘルミーナが拉致されたとなれば、下衆な憶測が流されるだろうことは想像に難くない。
ヘルミーナ本人は気にしないだろうが、ピスケシオス家に与える影響は、貴族社会では小さくない。
まして彼女を婚姻相手として迎える予定のエデリブラ家としては、汚された嫁との話がつきまとい、仮に子供が生まれればその血統も疑われる。
となれば、彼女らの婚約が白紙に戻される可能性は十分にあった。
それが、あの時メルツェデスが立て板に水とばかりに語った嘘でなかったことになったのだ、リヒターとしては感謝しても仕切れないところだろう。
ヘルミーナとしてはどうなのかはわからないが。
そのヘルミーナは、リヒターが降りるまでは悪態を吐いたり言い合いをしたりしていたのだが、降りた後ピスケシオス邸へと向かう間は、なんとも神妙な顔で静かになっていた。
ガタゴトと揺れる馬車の窓から、どこか遠くを見るような目で景色を眺めている。
「ヘルミーナ様、どうかいたしましたか? リヒター様がいなくなって寂しくなったとか」
「変な冗談言わないで、そんなわけないじゃない」
沈黙が重かったのかメルツェデスがそんなことを聞けば、キッと振り向いたヘルミーナが鋭い目つきでメルツェデスを見る。
だが、その視線はすぐに弱くなり、すっと下に落ちた。
「だけど、あいつが関係しないわけでもない。あいつに借りを作ったのがムカつくとかそういう話なんだけど。
……それでも、あの時あいつは動けた。私は、何も出来なかった。
魔力は十分あったのに、私の魔術は大規模、あの場では使えないものばかり。
唯一役に立ったのが、氷を作る魔術だったのだもの……色々考えてしまう」
そう言ってヘルミーナは小さくため息を吐く。
元々、昼間に氷の嵐を掻い潜ったメルツェデスに接近された時から考えていたことが、ジルベルトに一瞬で接近されたことで確信に変わった。
彼女の魔術は、隙が大きすぎる、と。
実際のところは、あんな芸当が出来るメルツェデスとジルベルトがおかしいのだが、それでも、本当に出来る者がいたということは、今後本気で害意のある相手に同じ事をされる可能性もある、ということ。
であれば、それに備えるべきではないのか、と考えていたのだ。
「そうですわねぇ……ヘルミーナ様の大規模魔術は既に十分な威力がありますし、小回りの利くものや単純な攻撃でない魔術を覚えてみるのもいいかも知れません。
元来、水属性はそういったところが得意なわけですし」
例えば水属性の魔術には、毒を生成するものもあったりする。
それ以外にも、地面を凍らせて相手を滑らせるものもあれば、水を相手の身体に纏わり付かせ身動きを鈍らせるものもある。
今回であれば、巨大な水の玉を死なない程度の勢いでぶつける、などの手もあっただろう。
しかし、それらはいずれも、ヘルミーナがろくに習熟していなかったもの。
結果、彼女はリヒターを巻き込むような真似ができず、その間に魔封じの首輪を付けられ何も出来なくなった。
であれば、そういった魔術に目を向けさせるのもいいのだろう。
それに何より、ゲームでのヘルミーナは火力一辺倒のごり押しでリヒターの心を折ったはず。
ここで火力以外に目を向けさせるのは、悲劇の回避にも通じるのではないか。
そう考えたメルツェデスは、搦め手の有効性を説く。
「なるほど……メルツェデス様がそう言うのなら、一考に値するね……」
どうやら今日一日のあれこれで、すっかりヘルミーナの信頼を獲得したらしい。
であれば、これを利用しない手もないだろう、とメルツェデスは笑顔の裏で思う。
「ええ、きっと。選択肢は多いに越したこことはありませんから」
一芸を極めて一点突破、というやり方も実戦においてはなくもない。
なにしろ実戦であれば、弱点を補うだけの人員を配置すればいいのだから。
だが、選択肢が多い方がいい、という場面も確かに存在するし、今のヘルミーナには視野の広さが必要だとも思う。
「ヘルミーナ様には今更かも知れませんが……魔術師は、その場で最も冷静でなければならない、と聞いたことがあります。
攻撃魔術を叩き込むしかない、という思い込みは、きっと冷静さとは真逆にあるものだと思いますわ」
「冷静……ちょっと今日ばかりは耳が痛い」
メルツェデスの言葉に、ヘルミーナは渋面を作る。
腕試しと言うには激しすぎる立ち会いでリヒターの魔力を使い果たさせた。
その結果、魔力さえあれば何とかできた場面でリヒターは何もできなかった。
腕比べ、であれば、あそこまでムキになる必要はあったのだろか、と今更反省する。
「きっと冷静さを身に着けられたら、ヘルミーナ様は無敵だと思いますよ」
「……あなたにそれを言われると、色々複雑なのだけれども」
それこそ冷静に、作戦を立ててあの場を仕切り、見事二人を救出せしめたメルツェデスこそ無敵に思えて仕方ない。
あるいは、彼女にも冷静でなくなる時があるのだろうか。
何となくそれは、興味をそそられた。
「いずれにせよ、あなたから学ぶことは多いと見た。今後もどうかよろしく」
「ええ、こちらこそ色々学びたいと思いますから、よろしくお願いいたしますね」
そう笑い合えば、どちらからともなく手を差し出して、握手。
その手に込められた力に、きっともうヘルミーナは大丈夫だ、となんとなくメルツェデスは思った。
そうしてヘルミーナを送り届けて、馬車の中にはハンナとメルツェデスのみ。クリスは密偵の一人と一緒に、先行してプレヴァルゴ邸に戻っているはずだ。
静かになった車内で、メルツェデスは考える。
ジルベルトが使った魔封じの首輪。あれは、ゲームにおいては後半に差し掛かったころのダンジョンで手に入るもの。
とあるモンスターのドロップ品なのだが、そのモンスターは中々に強敵な上ドロップ率も低く、余程運が良くなければ相当数狩らないと手に入らない。
そして、そんなマジックアイテムは当然滅多に出回らないし、売っていても価格は相当なものになる。
そんなものを彼らは惜しげもなく使ってきたわけだが、一体どうやって手に入れたのかと考えれば。
「ねえハンナ。シャラクギィ渓谷の魔物をわたくしとハンナ、クリスで狩ろうと思ったら狩れるかしら」
唐突な問いかけに、ハンナはしばし考え、頷いて返す。
「狩るだけならば可能かと。ただ、長時間の滞在は危険かと思われます」
「そう、やっぱりそうよね……」
そう返すメルツェデスに、ハンナははい、と返すのみ。
何故急にそんなことを、などと言わないのは、メルツェデスが何かする時は説明してくれる、という信頼があってのもの。
「今すぐにシャラクギィ渓谷に行くつもりは毛頭無いのだけれど……いえ、まだ考えがまとまらないわ、いずれ説明します」
困ったようなメルツェデスの言葉に、やはりハンナは首肯する。
彼女達の信頼関係は、それくらいで揺らぐものではないと、心から信じ切っている顔だった。
そんなハンナの信頼を受けながら、メルツェデスは考えに沈む。
シャラクギィ渓谷で、魔封じの首輪を手に入れられるだけの魔物を狩るには、ジルベルトだけでは難しいはず。
もし今回騒動を起こした連中が魔物を相当数狩ったのだとしたら、彼と同等かそれ以上の敵が、少なくとも二人はいるはずだ。
そもそもそれ以前に、彼らはシャラクギィ渓谷で魔封じの首輪が獲得できるのを知っていたことになるわけだが、その情報は一体どこから。
もちろん、購入したという線もまだ残っているが、だとすれば相手の資金力は大貴族並みである可能性すらあることになってしまう。
今回捕まえた連中が、果たしてその入手経路を知っているだろうかと考えて、望み薄だと小さく頭を振る。
「それはお父様を通じて調べていただくとして。……今後も、油断はできませんわね……」
窓の外の夜景を見ながら、メルツェデスはぽつりと呟いた。
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