第51話 過去と今との交錯。

 キィン、と澄んだ音を立てながら刃が食い合い、火花が飛び散る。

 袈裟に斬り下ろさんとメルツェデスの左肩を狙った一撃が、しっかりと受け止められた。

 一瞬だけ押し込もうと力を入れたジルベルトは、しかしその感じた手応えに、あっさりと引き、一度距離を取る。


「いやはや、なんでその細腕でその力なのかねぇ」

「あら、お褒めにあずかり恐縮ですわ?」

「褒めてねぇ……いや、褒めてるっちゃ褒めてるが、普通喜ばねぇだろ、お嬢様は」


 呆れたように言いながら、ジルベルトは力みのない自然な動きでスルリといきなり踏み込んできた。

 息を吐き出すように自然な動きで繰り出された突きは、並みの剣士では反応もできないものだったが、カキンと小さな音を立てて払われる。

 

「あら、嬉しいですわよ? これだけ修羅場を踏んできたらしい方に言われれば」


 涼しい顔で言いながら、メルツェデスは軽やかにステップを踏み、ジルベルトの右手側に回る。

 呆れの色を深めたジルベルトは両手で剣を構えながら、右足を引いて正対するように向き直った。


「お前さんに言われても、今一ピンとこねぇなぁ……何だいその熟れた立ち回りはよ」


 そう返しながらジルベルトは、慎重に間合いを計る。

 両手で剣を持った場合、実は利き手側に回られると若干窮屈で動きにくい。

 横に払うにしても、片手にならなければ意外と振り回せないものだ。

 もちろんジルベルトの腕力ならば、長剣程度片手で軽く振り回せる。

 しかし、メルツェデス相手に余裕を持って、あるいは避けられた後に体勢を崩さず構え直せるかと言われれば、疑問が残る。

 そして恐らく、メルツェデスはそこまで読んで、敢えて利き手側に回り込んだ、とジルベルトは見ていた。


「熟れていますかしら。お父様にお相手いただく時は常に頭を使っていますから、そのせいかも知れませんわね」

「……なるほど、ガイウス将軍と、か……。ちなみに、何回打ち合えてる?」


 問いかけに、おや、とメルツェデスは小首を傾げた。

 そうしていながらも、ジルベルトへと向けた剣先はぴくりとも動かないのだが。


「最近ようやっと、五回ばかり、ですが。……もしやあなたにも経験が?」

「そうかい、そりゃぁ大したもんだ。俺が稽古を付けてもらった時は、三回が限度だったわ!」


 しかもその時のジルベルトは二十歳前、今のメルツェデスよりも年上だった、とは口にしない。

 流石にそれを口にするのは情けなく、その気持ちを刃に込めてまた踏み込む。

 大きく振りかぶってからの振り下ろしは、やはり苦も無く受け止められる。

 と、それを予測していたジルベルトはぶつかった勢いで剣を小さく斜めに振り上げ、今度は腰と身体の回転で右から左へとメルツェデスの刃の下を通り横に払う動きで首を狙った。

 だが、既に後ろに下がる準備をしていたメルツェデスは、その一撃も易々とかわして見せる。


 見られている。

 ここまで攻勢に出ているように見えるジルベルトだが、その実自分が主導権を握っているわけではない、と気付いていた。

 自分の剣を見定めるかのような、メルツェデスの目。

 その目を見れば、ここまでの攻撃は全て見切られていたのだろうと嫌でも思い知らされる。

 さてどうしたものか、とジルベルトが思案していると、不意にメルツェデスが口を開いた。


「お父様が稽古を付けるなど、騎士の中でも見込まれた者にしかしないはずですわ。

 それだけ見込まれたあなたが、なぜ今こんなことを?」


 静かな問いかけに、ジルベルトは一瞬言葉に詰まる。

 その気になれば、あるいは誤魔化すこともできるだろう。そもそも答える必要もないだろう。

 だというのに。昔を思い出してしまったからだろうか、ジルベルトの口は開いてしまった。


「よくあることさ。元は平民で一般兵からの叩き上げ、幸か不幸かそれなりに魔力もあって頭も回ったらしい俺は戦時に騎士へと取り上げられた。一代限りのだがね。

 だが戦乱も終わっちまえば、腕っ節はあれど後ろ盾も由緒もない平民出身の俺は邪魔だとばかりに冷遇された。

 いや、むしろ腕っ節があるから邪魔だったんだろうなぁ。

 そんで、ちょっとしたことで資格剥奪。帰ろうにも故郷は荒れ果て、家もなくなってて行く当てもなかった。

 ほんとにさ、よくある話さ」


 ジルベルトの目に宿る暗い炎に、揺らぐ声に、聞くべきではなかったとメルツェデスは悔いる。

 だが同時に、知らないでいるべきでもなかった、とも思う。

 二つの感情に揺らぐ間にも、ジルベルトの話は続いていた。


「だから、そんなよくある連中が集まって、世の中ひっくり返して一泡吹かせてやろうって考えても不思議じゃねぇだろ?」

「……その経緯自体は理解できなくもありませんが」


 もちろん、実感できているわけではない。

 それでも、命を賭けて戦った挙げ句に待っていたのがその扱いとなれば、その悔しさは、屈辱の重さはいかばかりか、想像はできる。

 しかし、あくまでも想像でしかないし、それは何よりメルツェデスも、ジルベルトもわかっていた。


「ははっ、経緯は、か。あなたの気持ちもわかりますが、とかは言わないんだな」

「それはもう。残念ながらあなたの気持ちは、あなたにしかわからないでしょうから」


 恐らく、この男に中途半端な同情は通じない。むしろ火に油だろう。

 であれば、この男に言うべきことは。


「無駄であろうことはわかっていて聞きます。あなた、プレヴァルゴに来ませんか?

 破格、までは言いませんが、それなりの待遇で迎えますわよ?」


 それでも、彼の腕は惜しかった。

 唐突で率直な勧誘に、ジルベルトは一度瞬きをして。

 それから、苦笑を零す。


「有り難いお申し出だがね、悪いが遠慮しとくわ。

 こんなんでも一応仲間だったんだ、俺一人が抜けてお世話になりますってわけにゃぁいかんだろ」


 周囲を見回しながらの言葉にメルツェデスも釣られて周囲を見た。

 斬られて転がる男達の亡骸は、なるほど、確かに彼から見ればそう映るのだろう。


「わたくしとしたことが、無粋なことを言いましたわ、申し訳ございません」

「いや、気にしちゃいねぇよ。将軍の娘に誘われたとありゃ、男が上がるってもんだ。……軍にいたらな」

「……これ以上は語るも野暮ですわね。決着を付けましょう」


 きっと、彼にとっても軍にいた時代は、輝かしい思い出と共にあるのだろう。

 だがそれは、それ以上の屈辱で塗りつぶされてしまった。

 そのことを慰める言葉は、説得する言葉は、メルツェデスにはない。

 であれば。


 ずい、と左足を前に踏み出し、それに合わせて、両手で持ち中段に構えていた剣を胸元で立てる。

 一見窮屈で、ややもすれば防御的に見える彼女らしくない構え。

 感じる違和感と、必殺の気が感じられる威圧感にジルベルトは目を細める。


 数度剣を交わしただけだが、彼女は守ってよしとする性格では決してない。

 であれば、この構えにも何か意図があるはずだ。が、それを考えている間にも、仲間は倒れていく。であれば。


「こっちもこっちで、全力でお相手しますかねぇ」


 見る限り、突きは払われる。横の払いは止められたばかりだ。

 彼が選択したのは大上段からの打ち下ろし。

 防御をかなぐり捨てて大きく上段に構えたジルベルトは、じり、じり、と間合いを詰めていく。

 剣の長さと腕の長さを考えれば、彼の間合いで仕掛ければ彼女の剣が届く前に捉えることができるはず。

 また受けられるだろうが、その受けた剣ごと斬ってしまえばいい。

 彼の意思を受けて、刀身が魔力に覆われていく。

 

 それに呼応するようにメルツェデスの剣も淡い光を放ち、鋭い瞳を輝かせる美貌を浮き上がらせた。

 呼吸すら悟られぬように抑え、一歩、いや半歩よりも短い距離を詰めて。

 ジルベルトの間合いに入る、と思われた瞬間だった。

 

「せぇぇいっ!!」


 仕掛けよう、とジルベルトが決断する半瞬前に響いた裂帛の気合と、同時に額を襲う感じる熱く冷たい、鋭い感覚。

 腕や脚に受けたことは幾度もあるその感覚が、額に。その致命的な感覚に、ジルベルトの膝が揺らぐ。


「何、が……」


 間合いは、間違いなく自分が有利だった。しかし、こうも見事に一撃をもらったのはなぜか。

 崩れ落ちながらメルツェデスを見やれば、何があったかの答えはそこにあった。


 先ほどまで左足前で構えていたメルツェデスが、今は右足前に構えている。

 あの、仕掛けようとした一瞬。そのタイミングを読んだ彼女は、右足を踏み出して右足前の構えにスイッチ。

 ジルベルトの見立てていた間合いよりも半身分距離を詰め、彼女の間合いにしてしまった。


 さらに、両手を前に突き出すようにしながらの、突きのような最小限での振りで額を捉えた一撃。

 普通ならば浅く額を切るだけであろうそれは、右足を踏み出す際の体重移動とやや体を沈めるような重心操作によって、彼女の体重が乗った一撃となりジルベルトの額を割ったのだ。


 相手との間合いを測る洞察力、呼吸を掴むセンス、あの一瞬でそこまで体を操作しきる修練。

 どれが欠けても実現しない、神速の一撃。

 それを、今目の前の少女は、彼相手にやってのけたのだ。


「はは……さすが、将軍の娘、だ……なんてぇ技だよ……」

「これを使うことになったのは、お父様以外ではあなたが初めてですわよ」


 床に仰向けに倒れたジルベルトが小さく笑えば、未だ油断することなく剣を構えたままのメルツェデスが答える。

 顔に汗をしたたらせ、小さく息が弾んでいるのを見れば、それだけ集中力を要する技だったのだろう、と見て取れた。

 一瞬だけ目を見開いたジルベルトのくしゃりと歪ませ見せた顔は、笑っているのか、泣いているのかわからない。


「そりゃぁ……名誉な、こって……にしても、まあ……」


 ジルベルトの目から、光が消えていく。

 その様を、メルツェデスは目を逸らすことなく見つめている。


「親子揃って、三合、か……恨めしいぜ」


 つぶやいたジルベルトの体から、完全に力が抜けた。

 それを見て取ったメルツェデスは小さく息を吐き出し、ひゅん、と小さな風切り音を立てて刃から血を払う。


「……これで、生半可な相手には三度も打ち合えなくなりましたわね」


 それが、せめて彼の名誉を守ることになるだろうか。

 そんなことを思いながら、メルツェデスは残敵を掃討するために歩き出した。

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