第45話 転機。

 門前に付けられた馬車に乗ったヘルミーナは、ぶつぶつと小さく文句のようなことを言いながらも、同乗した怪しい男に対しては何も言わず、大人しく馬車に揺られていた。

 何とも言いがたい空気の中、馬車が走ること1時間ばかりだろうか。

 王都の外れ、様々な商会の交易用倉庫が建ち並ぶ一角へと馬車は辿り着く。

 

 それから間もなく、一つの大きな、しかし古びた廃倉庫へと入っていった。

 入り口から少し入ったところで馬車が止まれば、扉を開けて同乗していた男が降りるように促す。

 ふぅ、とため息を一つ吐いたヘルミーナが馬車を降りれば、漂う埃っぽい空気に思わず顔をしかめ、手で口元を覆った。

 と、そこへ揶揄うような男の声がかけられる。


「ははは、お嬢様のお口に、ここの空気は合わないらしいや」


 そちらへと目を向ければ、どうにも性格の悪そうな笑みを見せる中年男と、護衛だろうか直ぐ傍に控える鎧姿の男が一人。

 歳は三十過ぎだろうか、どこかくたびれた様相だが、目には鋭い光が宿っている。

 さらにその向こうには、青年から中年から、様々な年齢層の男達が三十人ばかり集まっていた。


「……女一人に、随分な歓迎だこと」

「そりゃぁ、魔術の使い手として名高いあんた相手に、数はいくらでもいるに越したことはないだろ?

 おっと、妙な気は起こさないでくれよ?」


 男の台詞に、思わず魔力を溢れさせ始めたヘルミーナに対して男が忠告をすれば、後ろの方から縛られたリヒターが男二人に連れてこられる。

 その姿を見てヘルミーナは小さく舌打ちをすると、諦めたような顔で魔力を解放した。


「……なんで来たんだ、バカヤロウ!」

「……煩い、むざむざと捕まった間抜けに言われたくない」

「間抜け!? くっ、いや、確かに捕まったのはそうだが、しかしっ」

「言い訳する気? 見苦しいったら」


 リヒターの罵倒の声に、ヘルミーナが言い返し、いつもの舌戦が始まる。

 その様子を男達はポカンとした顔で眺めていたのだが。


 カシャン。


 小さな音と共に、ヘルミーナの細い首に鎖のような物が嵌められた。


「……いつの間に」

「悪いね、これも仕事なんだ」


 ヘルミーナの問いかけに、どこか苦みのある笑みで護衛らしき男が答える。

 一人だけ、二人のやり取りに調子を崩されることの無かったこの男は、ヘルミーナも気付かない内に忍び寄り、鮮やかな手際で彼女へと首輪を取り付けたのだ。


「趣味の悪い首輪」

「そいつはすまないが、魔道具にデザインを求めるもんじゃぁないよ」

「……まさか、これは」


 魔道具、と言われてヘルミーナは、まさかと思いながら魔力を操ろうとするが……阻害され、上手くいかない。

 事態を理解したヘルミーナはギロリと殺意の籠もった視線を向けるが、男は微塵も揺るがないでいる。


「そう、魔封じの首輪。つけた奴は魔術が使えなくなるって触れ込みだったんだが……お前さんみたいな奴にもちゃんと効いてよかったぜ」


 冗談めかしながら、男は額を拭う振りをする。いや、実際僅かばかり、冷や汗も出ていた。

 ほんの一瞬でも、彼の数倍以上はある魔力をあっという間に練り上げてしまうヘルミーナの力を垣間見ただけに、きちんと抑えられるのかは半信半疑だったのだから、仕方もあるまい。

 

「ふははは、流石だな、ジルベルト。腕は鈍っていないらしい」

「よしとくれよ、こんな子供だまし、自慢にもなりゃしねぇ。

 ほれお嬢様、そちらのお坊ちゃまと一緒に仲良くしてな」


 想定通りに進んだせいか中年男は得意げに安心しきった顔で笑っているが、ジルベルトと呼ばれた男は未だ油断をしていない。

 その顔をちらりと見て、ヘルミーナもリヒターも、今は大人しくしているべきだ、と判断した。

 普段なら怒るであろうお坊ちゃま扱い、乱暴にリヒターの隣へと引っ立てられる不躾さにも、二人は一言も文句を言わない。


 まだ、終わっていない。

 奇しくも、ヘルミーナとリヒター、ジルベルト。敵味方三人の思考は一致していた。






 その頃。王都へと繰り出したメルツェデスとクリス、ハンナ達は夕方の散歩を楽しんでいるように見せかけて、情報を集め、必死に頭を動かしていた。


 リヒターが誘拐された場所、ヘルミーナを乗せた馬車が向かった方向。

 目撃者の情報を集めて、恐らく大胆にも王都を横切ってどこかへ向かったことはわかりながら、まだまだ決定的な情報はない。

 これだけ広い王都、方向だけわかっても特定できなければどうしようもないとあって、メルツェデス達には若干の焦りがあった。


 焦っても仕方がない、とはわかりつつ、しかし焦らずにはいられない。

 そんな精神状態のメルツェデス達に、横合いから不意に声が掛けられた。


「メルツェデスのお嬢様、こんな時間にどうなすったんでぇ?」

「おっと、クリス坊ちゃんも……いやさ、クリス様もご一緒で。あ、ハンナさん相変わらずお美しい」


 大通りに出ている屋台の一つから、聞き慣れた声がかかったので目を向ければ、そこにはブランドル一家の若い衆が二人。

 確か、名前はサムとジム。二人合わせてサジムというコンビ名でメルツェデスはひっそり覚えてたりするのだが。

 大柄で人相も悪い、しかし笑みだけは人なつっこい二人の呼びかけに、メルツェデスも思わず足を止めた。


「あら、サムとジムじゃないですの。お勤めご苦労様」

「お嬢様、その言い方だとあっしらが刑罰か何かでこうしてるみてぇじゃねぇですか」


 言いながらサムは、器用にくるくると串焼きの角度を変えて、満遍なく火を当てていく。

 ちなみに、ジムがハンナへと向けたお世辞、に見せかけたアプローチを、ハンナは容赦なくスルー。

 

「確かに、言われて見ればそれもそうね。では、挨拶はまた今度考えるとして……それだけで呼び止めたわけじゃないでしょう?」


 メルツェデスの問いかけに、こっくりとサムが頷く。

 以前はただのチンピラだったサムだが、この五年ばかりの間に、すっかり成長していた。

 今ではブランドル一家の中でもかなりの事情通、メルツェデスの情報源として役に立ってくれている。


「へぇ、ついさっき、妙な話を耳にしたもんでしてね」


 そう前置きしてから、サムがその『妙な話』とやらを語った。

 それを聞き終わったメルツェデスは、いや、聞いている途中から、目の色が変わる。

 

「サム、お手柄ですわ。よくそんな話を拾ってくれました」

「へ、へい? いや、お嬢様のお役に立てたんなら幸いでやすが、こんな話が?」


 メルツェデスの喜びように、語った当のサム自身は困惑の色を隠せない。

 彼自身としては、ちょっとした噂話程度のつもりだったのだが……まさかそれが、メルツェデスの探していたものにドンピシャだったとは、想像もできなかった。


「そうと聞いたらこうしていられませんわね。ありがとうサム、ジム。

 申し訳ないけれど、時間が惜しいので行きますわね。

 クリス、ハンナ、行きますわよ」


 サムとジムに軽く会釈をすると、メルツェデスは身を翻し、人込みを縫うようにするすると歩き出していく。

 後ろに続くハンナとクリスも同様に急ぎ行く様を、二人はしばらくぽかんと見ていたが、不意にジムが我に返った。


「な、なあ、サム。お嬢様、五年前に粗相したのが俺たちだって、ご存じなんだよな?」

「ああ、あのお嬢様だから、それは覚えてらっしゃるはずだ」

「だよなぁ……だけど、俺たちにもありがとうとか言ってくださるのかぁ……」


 ジムの胸に、命を見逃してくれた恩義以外の何かが沸き上がってくる。

 その何かが暴れ出しそうで、ぎゅっと抑えるように胸のあたりを掴みながら、ジムはメルツェデスの背中を見送った。

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