第46話 なけなしのプライド。
メルツェデスが何かを掴んだその頃。
リヒターとヘルミーナの二人は、廃倉庫の隅に敷かれたカーペットの上に座っていた。
埃臭い上に生地も悪く、さらに薄すぎて地面の凹凸をじかに感じられてしまうそれは、貴族である二人には耐えがたい。
それでも、立っているのと比べればまだ体力が温存できると考えて二人は大人しく座っている。
いや、大人しくしているように見える。
「……それで、何かできないの、小器用なだけが取り柄でしょう」
「煩いな、お前のせいで魔力がすっからかんになってるんだ、そうそうあれこれできるか」
「あなたが突っかかってきたせいでしょう」
「お前は、ほんっとに口が減らないな……」
小声でやり取りをした後に、はぁ、と小さくため息を吐けば、リヒターは自分の体内に意識を集中する。
一度すっからかんになった魔力は、じわじわと回復してきてはいた。
大技は使えないが、それこそ小器用なものくらいは使える、と会話の振りをして小さな声で詠唱すれば、あちらこちらの話し声がリヒターの耳に届き始める。
『声寄せ』と呼ばれるその魔術は、文字通り風を操り、本来聞こえないはずの声まで拾い集めるもの。
それを今、この倉庫内に展開して狼藉者達の会話から少しでも情報を集めようとしているのだ。
「さすが、ボスの言うことに外れはねぇ」「これでまた、一稼ぎさせてもらえるってわけだ」「迎えが来るのはもうじきか?」
聞こえてくる言葉に、リヒターは思わず眉を寄せる。
どうやら相手のボスとやらは、相当な情報収集能力があるらしい。彼らはそのおこぼれに預かるならず者、だろうか。
そして、迎えが来る……これ自体は予想していた。
ここで何かするつもりならば既に始めているだろうが、その気配はなかったからだ。
などと冷静に考えていたのだが、すぐに落ち着いてなどいられない言葉を拾ってしまった。
「それにしても……あっちのお嬢ちゃんはちぃと若いが、それでもいい顔と身体してんなぁ。ちょっとくらい味見してみてぇもんだ」
それだけでも暴れ出したくなるほど噴飯ものだが、さらに聞き捨てならない言葉を聞いてしまう。
「馬鹿野郎、ボスから言われてるだろうが。あのお嬢さん達は儀式に使うんだから、絶対に手出しすんなって」
儀式に、使う。
それが意味するところはつまり、ヘルミーナを生贄か何かにして魔術的な儀式を行う、ということなのだろう。
リヒターは、己の考えの甘さに思わず歯噛みした。
連中は、彼のことをよく知っていたのだから、当然ヘルミーナのこともよく知っているはず。
であれば、彼女の本当の価値は侯爵令嬢という立場などではなく、その魔力、魔術の才能にあることも把握していたはずだ。
そんな連中が、ヘルミーナを金銭目的の誘拐などするわけはない。
つまり。
このまま連中の思うままに運ばれてしまえば、ヘルミーナは生贄となり、当然命はない。
そこに思い至ったリヒターは、身体の内から熱のような何かが沸き起こるのを感じた。
折悪しく。あるいは、折良く。
「おい、迎えの馬車が着いたぞ!」
途端、男達の動きが慌ただしくなる。
倉庫内に入ってきたのは、複数の馬車。
一台だけ貴族も使いそうなしっかりとした馬車で、残りは荷馬車を少しばかりよくしたようなもの。
恐らくは、しっかりとした馬車にヘルミーナとリヒターを乗せて、後は荷馬車に詰め込まれるのだろう。
そして、運ばれた先で彼らは生贄にされる。そんな予測に、思わずリヒターは身震いした。
「……どうしたのリヒター、顔色が悪い」
「そりゃ悪くもなるさ、こんな状況だ」
いつもの口調を作ろうとしながら、少しばかり声が揺れた。
リヒターに声をかけてきたヘルミーナの顔が不安で塗りつぶされ、その声も儚げに震えていたから。
そんな、今まで見たこともない顔を見せられたリヒターの中で、何かが揺れ動く。
「お前こそ、顔色が……」
と、気遣うような声を掛けようとしたところで、ずかずかと先程の中年男が近づいてきた。
「お二人ともお待たせしましたな。迎えが来ましたので、あちらの馬車に乗っていただきましょうか」
ニヤニヤと下卑た笑みを見せるその男に、リヒターもヘルミーナも、嫌悪感から眉をしかめた。
この男には好きになれる要素など欠片もないし、この男の言う通りにして良いことなど、僅かたりともないだろう。
「……断る、と言ったら?」
低く、しかし力を込めたリヒターの言葉に、中年男の顔が更に歪んだ。
「あなた達に拒否する権利などないのですよ。大人しく言うことを聞いていただけないのなら……おい」
中年男が合図をすれば、後ろに控えていた男達が四人ばかり、リヒターとヘルミーナへと近づき、手を伸ばしてきた。
……先程の、ジルベルトと呼ばれた男は中年男の傍で控えている。
であれば。こいつらならば。
覚悟を決めたリヒターは、素早く詠唱を完成させた。
途端。
リヒター達に向けて伸ばされていた男達の手が、吹き飛ぶ。
「……ぎゃああああ!?」
「お、俺の手が、手がぁぁぁぁ!?」
ほんの僅かな空白。
あまりに予想外な、そして痛烈な痛みを、ようやっと彼らの脳が認識したらしい。
泣き叫びながら地面に転がるその様はまさに阿鼻叫喚。
その様相を、この場のリーダーらしい中年男は、呆然と見ているだけだった。
「この野郎、よくも!」
横で見ていた男達の中でも血の気の多いらしい一人が、剣を抜いてリヒターへと斬りかかる。
と、リヒターに届く直前で響き渡る、耳障りな金属音。
その音に度肝を抜かれた男が右手を見れば、ひしゃげて折れ曲がった剣。
あまりに非現実的な光景に、思わず男はへたりこんでしまう。
「ば、馬鹿な、なんで、なんでこんな魔術が使える! お前の魔力は尽きているはず!」
取り乱した中年男へと、リヒターは精一杯不敵な笑みを作って見せた。
「はっ、お節介なご令嬢からお茶に誘われてな、そのお茶菓子で少しばかり回復してたんだよ」
あの時、お茶に誘われて苦笑交じりに参加し、アイスクリームなど甘い物を食べた。
そのおかげかいつもより魔力の回復が早く、先程の魔術も使え、今こうして結界を張れている。
ヘルミーナの氷の嵐をある程度はじき返した、攻勢防御結界を。
「そして、教えておいてやろう。この結界は、この底なし魔力相手に開発したものだ。そう簡単には、崩れないぞ?」
言い放ちながらリヒターは腕を組み、へたり込んだ男を見下すような表情を作る。
もちろんハッタリだし、腕を組んだのは手が震えているのに気付かれないためだ。
それでも。虚勢でもハッタリでも何でも、彼は自身を奮い立たせる。背後にいる、ヘルミーナを守るために。
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