第37話 お菓子がないなら作ればいいじゃない。

 ヘルミーナがエレーナと言葉の応酬を繰り広げながら、めげることなくケーキをかなりの数消費したところでメルツェデスがくすりと満足そうに笑った。


「ふふ、ピスケシオス様のお口に合ったようで何よりですわ。私も、拙い腕を振るった甲斐がありました」


 途端、フランツィスカとエレーナが、もの凄い勢いでメルツェデスを振り返る。


「え、ま、待ってメル、このケーキ、あなたが作ったの……?」


 そっと、自分のケーキをキープするかのように身体に寄せながらフランツィスカが問えば、エレーナはこっそりとバスケットからおかわりをゲットしていた。

 あまつさえ、おかわりをしようとしたヘルミーナの手をそっと抑えたりすらしている。


「ええ、僭越ながら。流石にお菓子はあまり作らないので、心配でしたけど、それなりのものが作れたみたいね」

「待って待って、お菓子は、って、料理はしているの?」


 ヘルミーナと静かに激しい攻防を繰り広げながらエレーナが問いかければ、メルツェデスはこっくりと頷いた。

 なお、その二者の争いの間に、そっとフランツィスカもおかわりをゲットしている。


「訓練……もとい、お稽古の一環で、野外活動をすることもあるのよ。

 そういう時は流石に料理人とかはついてこないし、自分で作れないとね。単独行動の可能性だってあるんだし」

「それもう、行軍訓練とかそういうレベルよね!?」


 思わずツッコミを入れたエレーナの隙を突いてヘルミーナがケーキを奪おうとしたところを、フランツィスカがそっと妨害。

 何やら静かな争奪戦が繰り広げられているのを、張本人であるメルツェデスは楽しげに眺めている。


「あら、エレンったらそんなこともわかるの?」

「わかるわよ、っていうかちょっと想像したら理解できると思うのだけどっ!

 野外で自炊とか、想像しただけで……だけで……」


 野外、開けたキャンプ地。軍装に身を包み、焚き火の側で作業をしているメルツェデス。

 日も落ちた暗がりの中、普段よりも更に凜々しい表情が焚き火に照らされている、ところまで想像した。


「……ありね」

「何がどうありなの、戻ってきて、エレン」


 ほわんほわんと脳内で妄想を膨らませているエレーナの袖を、くいくいとフランツィスカが引っ張る。

 それでも直ぐには戻ってこなかったが、幾度か引っ張られて、やっと戻ってきた。

 その頃にはもう、おかわりは全てヘルミーナによって略奪されていたのだが。


「いえね、何でも無い、何でも無いわ。変な妄想なんてしてないわ?」

「してたのね……一体何を考えていたのやら……」


 エレーナはキリッとした顔を作って見せるが、言っていることはどうにも怪しい。

 そんな彼女を見てフランツィスカは小さくため息を吐き、紅茶を一口。

 それから、大事そうに小さく切ったケーキを口に運んだ。


「それはそうと、プレヴァルゴ様。これを、あなた自身が作ったと」

「ええ、確かに私が作りました。多少はこのハンナも手伝ってくれましたけどね?」


 ヘルミーナに問われて背後に控えるハンナを手で示せば、彼女はそっと小さく頭を下げる。

 実際のところ、前世でもそれなりに料理をしていたメルツェデスとしては、材料さえあればシフォンケーキやパウンドケーキくらいは作れてしまう。

 幸い、というかなんというか……この世界は乙女ゲーム補正があるのか、リアル中近世のように砂糖が手に入りにくい、ということもない。

 まあ、だからヘルミーナの『甘い物好き』という設定ができた、とも言えるのだが。


「なるほど……そうか、確かに自分で作れば、わざわざ人に用意させるまでもなく、好きなだけ食べられる……」

「実際に作るとなると、それなりに手間がかかりますけれど、ね?」


 などとメルツェデスは笑いながら言うが、実際は相当に大変である。

 特にシフォンケーキでメレンゲを作るだとか、パウンドケーキで砂糖と卵を混ぜ合わせるだとかは、ハンドミキサーの無いこの時代、相当な重労働。

 鍛えているメルツェデスは問題無いが、ヘルミーナの細腕ではどうだろう。

 残念なことに、経験のない三人と無自覚に腕力のあるメルツェデスでは、誰もそのことを指摘できなかった。

 

「甘い物のためならば、多少の苦労は惜しまない」

「……そうねぇ、作ったのをメルに食べてもらうのも悪くないし。きょ、今日のお礼にね?」


 かなり乗り気なヘルミーナに便乗するエレーナ。

 だが、フランツィスカは思案げだ。


「まって二人とも。メルは行軍訓練の一環でお料理もしているから、厨房を使うことも難しくないでしょうけど……あなた達は、多分違うわよね?」


 冷静な指摘に、思わず二人は顔を見合わせる。

 それから、料理長だとか両親だとかの顔を思い浮かべて。同時に首を横に振った。


「確かに、許されないと思う……」

「うちの料理長なんか特に、厨房を聖域と思ってる職人気質だしね……」


 自宅でのパーティなども多いエレーナのギルキャンス家は、特に料理には力を入れている。

 その総責任者である料理長ともなれば、責任感とプライドの塊であることは想像に難くない。

 であれば、厨房を利用する事は容易なことでは無いだろう。


「我が家の厨房も同じく、ですし……流石に、私達まで野外訓練など、とても無理ですしね」


 ただでさえプレヴァルゴ流で鍛えられ、少々お転婆が過ぎるのでは、と目されているフランツィスカとしては、これ以上令嬢らしからぬ所業を重ねたくはない。

 しかし、手料理を食べてもらいたい、という欲求も少々出てきてしまってもいた。


「まあまあ、野外活動自体は、学園に入ったらするはずでしょう?

 お料理は、その時に練習してもいいのではないかしら」


 ぽんぽん、と手を打ち合わせながら、メルツェデスが三人を宥めるように言う。

 実際、彼女達が入学を予定している王立魔術学園では、魔物との戦闘訓練やそれに伴う野外活動もカリキュラムに含まれている。


 この国の王侯貴族は、高い魔力を持つ者が多い。

 そのため、対人間の戦争では軍務に就くことのない侯爵・公爵の人間も、国内での対魔物、対魔族を想定した訓練を学園で実施することになっているのだ。

 もっとも、魔物を相手どった本格的な戦闘は長らく起こっていないため、かなり形骸化はしているのだが。

 それを危惧したクラレンスが改革に手を付けているのだが、まだその効果も十分ではない、と言う。


「しかし、それではこの盛り上がった、お菓子を作りたいという欲求をどうすれば……」


 昂ぶる情熱の行き先を失い、うるうると瞳を潤ませたヘルミーナがじぃっと見つめてくれば、メルツェデスも絆されてしまいそうになるし、その行き先を用意もしていた。

 こほん、と小さく咳払いをすると、改めてにっこりと笑顔を見せる。


「大丈夫、ピスケシオス様ならば、厨房を使わずともお菓子を作ることができるのです」

「厨房を使わずに?」

「そんなことできるの? ……いえ、メルが言うなら、できるのでしょうね……想像もつかないけれど」


 聞いていたエレーナとフランツィスカは、半信半疑といったところ。

 だが、希望を持たされたヘルミーナの顔は、先程までの落ち込みはどこへやら、すっかり明るく輝いている。


「そうなの!? できるなら教えて、早く、早く!」

「まあまあ、では今度実際に作ってみましょうか」


 ぐいぐいと迫り来るヘルミーナを押しとどめながら、メルツェデスはこくりと頷いて見せた。

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