第38話 冷たさの力。

 それからまた数日後。

 あの日のメンバーが、ピスケシオス邸に集まっていた。


「さあ、それで何をどうすればいいの、早く早く!」


 ピスケシオス邸の中庭、三角巾とエプロンを装備したヘルミーナがぐいぐいとメルツェデスに迫る。

 いや、ヘルミーナだけでなく、フランツィスカにエレーナ、メルツェデスも同様の格好だ。

 目をギラギラとさせているヘルミーナに比べると、残る三人は若干引き気味だったりするが。


「まあまあ、落ち着いてくださいな、ヘルミーナ様。

 ひとまずは……そうですね、こちらの桶にたくさんの氷をできれば小さめの氷を大量に出していただけますか?」

「桶に氷? よくわからないけどわかった!」


 メルツェデスの言葉に頷けば、即座に詠唱を始めるヘルミーナ。

 唱え終われば、あっという間に山盛りの氷が桶を埋め尽くした。

 ちなみに、先日のお茶会の際、ヘルミーナは三人からの名前呼びを承諾している。


「……わかってはいたけれど、こうして改めて見せつけられると、やっぱりとんでもないわね……」

「ええ、本当に。あんな短い詠唱で、これだけ大量の氷を……まだ弱冠15歳だというのに、凄まじい力だわ……」


 それを見ていたエレーナとフランツィスカが、口々に言い、ため息を吐いた。

 彼女達とて公爵家の人間、魔力が高い自覚も、それなりに魔術を使える自負もある。

 だが、そんな自負などあっさりと打ち砕くだけの、圧倒的な差。

 こと魔術においては、彼女に敵うわけが無い、と思ってしまうだけの技量を見せつけられたのだから。


「特に私は、ヘルミーナ様とは争わないようにしないといけないわね」

「ああ……フランは相性の悪い火属性だものね。まあ、地属性の私だって、勝てる気は全くしないのだけど……」


 そもそも、相性優位であるはずのリヒターすら勝てないのだ。であればフランツィスカはもちろん、エレーナも分が悪いどころではない。

 であれば、彼女と何某か、戦闘になるような真似は避けたいところ。

 そして、今日の経験を踏まえれば、彼女を懐柔する方策はなんとかなりそうな気もしている。


「はい、ありがとうございます、ヘルミーナ様」

「これくらいたやすいこと。それで、次は? 次は?」


 これだけ、お菓子を作るという作業に興味津々、全力を尽くそうとしているのだから、お菓子を餌にすれば大体なんとかなりそうだ。

 二人はそれぞれにそんな算段をし、自分の属性ならばどんなお菓子を作れるか、などまで考えていたりする。

 

 そんな二人を尻目に、ヘルミーナとメルツェデスは次なる作業に移っていた。


「次は、こちらのボウルに水と、塩を入れてよく溶かして、それから氷をたっぷり入れます」

「塩を? なぜ?」

「ふふ、実はですね、こうしてかき混ぜますと……うん、ヘルミーナ様、ちょっとこの水を触ってもらえますか?」

「え? ……わっ、なにこれ、冷たい!」


 触れた水のあまりの冷たさに、思わずヘルミーナは慌てて手を引いてしまう。

 その様子に興味を引かれたのか、エレーナも側にやってきて手を伸ばした。


「そんなに冷たいの? どれどれ……って、ほんとに冷たいわね!?」


 驚いたように言いながら、同じく慌てて手を引いた。

 それから、ちらり、フランツィスカの方へと視線を向ける。

 いや、メルツェデスもヘルミーナも、何かを期待するかのようにフランツィスカを見ていた。


「え、ちょ、ちょっと待って、私も触らないといけないのかしら、この会話の流れ」

「これは是非経験すべき事だと提唱する」

「そうね、これは中々体験できない冷たさだと思うわよ」

「……そんなに? でも私、冷たいの苦手なのだけれど……」


 ヘルミーナとエレーナに促され、おずおずと言いながら、ちらりと縋るような視線をメルツェデスに向ける。

 だが、元々の言い出しっぺである彼女が、助けてくれるわけもなかった。


「そうね、わたくしとしても是非触ってみて欲しいわ。そうしたら、この先の工程もわかりやすいと思うし」

「……メルがそう言うなら仕方ないわね」


 そして、あっさりと豹変。

 渋々を装って、金属製のボウルへと手を伸ばす。


「……フランツィスカ様は、メルツェデス様の言うことに弱い?」

「あ~……まあ、ちょっと、そういうところはある、かもね?」


 こそりとヘルミーナがエレーナに小声で問えば、そっとエレーナは目を逸らしながら答える。

 何しろ、メルツェデスに弱いのはフランツィスカだけではないのだから。

 垣間見えた不思議な力関係に、はて? とヘルミーナは小首を傾げる。

 そうしている間に、フランツィスカもボウルの水へと手を触れていた。


「きゃっ、冷たいっ! ……ねえメル、これは普通の氷水の冷たさじゃないわよね?」

「流石ね、フラン。こうして塩を水に溶かすと、普通なら氷になる冷たさになってもまだ凍らないようになるの」


 前世の知識によれば、凝固点降下と言われる現象。

 何かが溶けた水は普通なら氷になる0度になっても凍らなくなる。

 それを利用して、0度よりも低い温度の氷水を作ることが可能なのだ。

 ちなみに、冬が旬のほうれん草なども、寒いほど細胞内の水分が凍らないようにするため糖分をため込むので、寒いほどに美味しくなる、などとも言われている。

 

「ここに、一回り小さいボウルをセットしまして、その中にこちらのオレンジジュースを入れます」


 言いながら、実際にメルツェデスは金属製のボウルをもう一つセットする。

 その中にオレンジジュースを入れれば、ゆっくりとかき混ぜ始めた。


「あ、ヘルミーナ様、こちらのボウルの氷水を動かすことが出来たりしませんか?」

「誰に言ってるの。そんなの朝飯前」


 メルツェデスに言われれば、即座に詠唱を開始するヘルミーナ。

 しばらくすれば、ぐるぐると氷水も流れ始める。

 そうすれば、程なくしてオレンジジュースに変化が現れた。


「……オレンジジュースが、凍り始めてる?」

「確かに、そう見えますね」


 エレーナの呟きに、フランツィスカも同意する。

 なにしろ、塩の入った氷水は-20度まで下げることが可能。

 これはほぼ家庭用冷凍庫の温度並みなのだが、空気に比べると冷たい水は熱を大幅に下げる力を持つ。

 さらに、氷水を循環させることにより常に冷たい水をオレンジジュースの入ったボウルに触れさせることができる。

 結果、驚くほど早くオレンジジュースを凍らせることができるのだ。


「ここからが肝心で、こうやって混ぜて混ぜて、空気を中に入れていくようにしていくの。

 そうすると柔らかくて口当たりの良い氷、シャーベットができるのよ」


 説明しながらも、メルツェデスの手は止まらない。

 その細腕に秘められた豪腕で、凍りかけたオレンジジュースをぐいぐいとかき混ぜ、中に空気を練り込んでいく。

 さらには、できあがっていくそれに目を輝かせたヘルミーナが、目を輝かせながら氷水を循環させる速度をアップ。

 氷が溶けてきたとみれば、そっとフランツィスカが氷を足してあげる。

 エレーナが仕事がないとおろおろしている間に、それはできあがった。


「さ、これがヘルミーナ様だからこそできるお菓子、オレンジシャーベットですわ!」


 高らかにメルツェデスが宣言すれば、側に控えていたハンナがそっとガラスの器を四つ並べる。

 それに盛り付けられたシャーベットは、日差しを反射してキラキラと、とても美味しそうに輝いていた。

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