第33話 成長、したのかしないのか。

 こうして『天下御免』を手にした上にブランドル一家という協力者を得たメルツェデスは、退屈だと言っては王都に出るようになった。

 なお、ブランドル一家はメルツェデスの手下のつもりでいるが、メルツェデスはあくまでも協力者と言い張っている。

 そのため、彼らがメルツェデスの『退屈しのぎ』を手伝った後には、報酬を受け取る受け取らないの一悶着があったりなかったり。

 まあ、メルツェデスから「わたくしの気持ちが受け取れないんですの?」と悲しげに言われれば、拒否できる者はいないのだが。


 ともあれ。街の情報、という点ではプレヴァルゴ家の密偵よりも広い網を持つ、直轄の情報網を得たメルツェデスの『退屈しのぎ』は着実に彼女の退屈を奪い、街中にも浸透していった。

 そうなるとブランドル一家に困りごとを相談する者が出てきて、それをご注進されたメルツェデスが出張る、という循環も出来ていく。

 

「お姉様、いつもどこに行かれるのですか? 僕も一緒に行きたいです!」


 と、あまり頻繁に出かけるので、ついにはクリストファーまでついてくる始末。

 こうしてメルツェデスとハンナ、クリストファー、そしてブランドル一家による世直しにも似た活動が続くこと五年ばかり。

 いつ誰が呼んだかは定かで無いが、いつの間にやら『退屈令嬢』だとか『退屈のお姫さん』、あるいは『退屈のお嬢様』と言った呼び名が定着してしまっていた。


 メルツェデスからすれば「時代劇のヒーローではありませんのよ!?」と言いたくもなるが、実際やっていることは規模こそ小さいものの、そっくりそのままである。

 また、庶民人気を得てしまっているが故に、伯爵程度であれば表立ってメルツェデスに文句も言えない有様。

 いや、そもそもメルツェデスは道理に外れたことをしないよう自戒しているので、文句の付けようもないのだが。

 強いて言うならば、令嬢らしからぬ行状だと言えばそうなのだが……それこそ、今更である。

 そして、唯一止められるはずのガイウスは、まあ、ガイウスである。

 結果として、メルツェデスを誰も止めることが出来ないでいた五年。


「……相変わらずご活躍みたいね、メル」


 はぁ……と、ため息と共にエレーナが零す。

 春も終わり、広がる青空も色濃く、夏の色になり始めたある日の午後。

 エルタウルス邸の中庭にて開かれていた小規模なお茶会での一幕。

 エレーナの言葉を受けたメルツェデスは、それはもう晴れやかな笑顔で返した。


「あら、ありがとう、エレン。お陰様で、すっかり街の皆さんにも認知してもらえて」

「褒めて無いわよ!? 察しなさいよ、嫌みなのよ! なんで普段は鋭いくせにこういう時だけそうなの!?」


 思わず声を上げるエレーナに、メルツェデスは「あらそうなの?」と言わんばかりの不思議そうな顔。

 それを見てさらに言い募ろうとしたエレーナへと、横合いから声が掛かる。


「まあまあ、エレンも落ち着いて。メルも悪気はないのよ。……悪気だけは」

「わかってるわよ、よっくわかってるわよ! だから困ってるんじゃない、あなたもでしょ、フラン!」

「……それはまあ、否定はしないけれども」


 助け船を出そうとしたフランツィスカだが、エレーナから言われれば、困ったような笑みを浮かべるしかできない。

 ちなみに、メルツェデスの特訓が効いたのか、フランツィスカは今や、スラリとしていながら出るところは出ているという、どこに出しても恥ずかしくない、むしろ極上のプロポーションを誇っている。

 それと並び立つだけの美貌、プロポーションを持つに至ったメルツェデス、エレーナが同席するこのテーブルは、ある種の神域的扱いを受けていた。


 眺めているだけならば目の保養としてこれ以上はない。

 しかし、側に寄ってしまえば並び比べられ、羞恥のあまり自分の身を焼き焦がしてしまいかねない、そんな恐ろしい場所。

 もちろん三人とも見た目で人を差別したりするような事はしないのだが……だからこそ、なおのこと恐れ多いのかもしれない。


 ちなみに、普段なら同席している侯爵令嬢のモニカとエミリーは、本日用事のため欠席である。


「まって二人とも。まるでわたくしが、二人に迷惑を掛けているみたいに聞こえるのだけれど」

「迷惑は掛けられてないわ! でも、困らされてはいるのよ!」

「……残念ながら、エレンに同意せざるを得ないわ……」


 小首を傾げるメルツェデスに、がぁっと食ってかかるエレーナ。

 隣でフランツィスカは、やれやれ、と伏し目がちに首を横に振っている。

 確かに、メルツェデスは大概のことをそつなくこなすため、直接的に迷惑を掛けることは滅多に無い。

 だがその振る舞いの結果、あちこちでメルツェデスの人気が上がってしまったため、彼女とお近づきになろうとする有象無象を牽制し、あるいは紹介を願われてはお断りし、と二人はてんてこ舞いなのである。


 まあそれもこれも。


「なんてこと……わたくし、親友と思っていた二人をそんなに困らせていただなんて……」


 そう。この五年の間に、三人は互いを愛称で呼び合う仲になっていた。

 この国の貴族にとってそれは、家族や婚約者、あるいは恋人、親友といった親しい間柄にのみ許される。

 メルツェデスにとっては数少ない親友を困らせていた、というのは、看過できない痛恨の出来事でもあった。

 ……ちなみに、フランツィスカとエレーナの二人がどういう意味で愛称を許したのかは、ここでは触れない。


 そして、メルツェデスが悲しげにそう言えば、覿面に慌てるのがエレーナである。


「べ、別にそこまで困っていたわけでもないけどね!? ちょ、ちょっとこう、目立ちすぎてないかしら、って……あ、目障りとかそういうことじゃないですからね!?」

「ふふ、大丈夫、わかってるわ、エレン。あなたがわたくしのこと、目障りだなんて思うはずないって」


 そう言って、ふんわりと柔らかな笑みを見せるメルツェデス。

 途端、エレーナは覿面に顔を真っ赤に染めてしまう。


「そ、それはまあ、もう五年の付き合いですし? 色々お互いわかり合ってますけども? ぜ、全部わかった気にならないでよねっ!」

「あらあら、そうなの? なら、もっとエレーナのこと、よく知らないといけないわね」


 ここで、愛称で無い名前の呼び捨て。それはどうにも強烈で、エレーナは口をパクパクとさせるだけで、二の句が継げない。

 そんな二人を見て、フランツィスカは額に手を当て、力なく首を横に振る。

 長い付き合いだからわかる。メルツェデスは、何も含むところがない、素である。

 素で、これである。

 

 例えば弘子という女性を普段は「弘ちゃん」と呼んでいるのに、いきなり「弘子」と呼んだと考えて欲しい。

 それを、計算なしでやるのが、メルツェデスという女である。

 この五年間でそのことは嫌という程味わわされているのだが、だからといってその衝撃に慣れるわけでもない。

 今回は自分に直撃しなかっただけましである、とフランツィスカは諦めにも似たため息を吐き出した。


 そして、何とか少しエレーナが落ち着いたころ、ふと思い出したように、メルツェデスが口を開いた。


「そうそう、知りたいと言えば……ピスケシオス侯爵家のヘルミーナ様と一度お会いしてみたいのだけど……二人は会ったことあるかしら?」


 唐突な問いに、フランツィスカもエレーナも、揃って首を横に振る。


「何度かお茶会のお誘いをしたけれど、一度も来てもらったことがないわ」

「私は対立派閥だし、なおのこと、ね。……何、メルったらあの『マジキチ』に興味があるの?」


 エレーナの問いに、メルツェデスはコクリと首肯する。


「ええ、いえ、『マジキチ』という異名は知らなかったけれど……相当魔法の研究に没頭しているという噂を聞いて、一度会ってみたいなって」

「なるほど、メルはそういうプロフェッショナルというか、専門家気質な人が好きだものね」


 メルツェデスの答えに、フランツィスカが納得したように頷いた。

 ちなみに、エレーナ曰く『マジキチ』とは本当のキチピーという意味ではなく、魔法、魔術、つまりマジックに傾倒しすぎている人、という意味らしい。

 ……実際には、前者の意味も含んでいるのだろうが。


「まあ、ね。何かの専門家の持つ知見というのは、また別の方面にも活かせたりするから。

 わたくしの知っているところだと、剣の達人であると同時に絵の達人、という人もいたわ」

「そうなの? 剣と絵……手を使うくらいしか共通点がないと思うのだけど」

「流石にわたくしも、その人の境地には至っていないから、何故できたのかはわからないけど、ね」


 怪訝そうなエレーナに、メルツェデスは肩を竦めて返す。

 例えば宮本武蔵は剣の達人として知られて居るが、同時に優れた絵も残している。

 有名なのは、細く伸びた枝の上に一羽の鳥が止まっている『枯木鳴鵙図こぼくめいげきず』だろうか。

 縦長の画面に、静謐さと緊迫感、どこか寂寥とした空気が迷いの無い筆致で描かれた水墨画である。 

 超一流の剣客だからこそ捉えられた空気、描ける線、というものがきっとあったのだろう。

 それと同じように、超一流の魔術師、の卵から得られる知見もきっとあるに違いない。


 ……というのは、建前だ。

 そう、ヘルミーナもまた、『エタエレ』における悪役令嬢である。

 攻略対象である公爵令息、リヒター・フォン・エデリブラの婚約者であり、彼の攻略ルートにおいて立ち塞がる令嬢、なのだが……その動機がある意味酷い。

 政略結婚的な婚約者であるリヒターには愛情などないが、魔術の実験台として彼を必要としており、それを奪いそうな主人公に敵対し、なんなら魔術による攻撃まで加えてくるという、ゲームにおけるメルツェデス並みに迷惑な令嬢である。

 

 彼女との戦闘もまた幾度かあるが、いずれも彼女の超強力な魔術攻撃を防ぐための特殊な装備を揃えるか、逆に1ターンで沈めるだけの超火力を準備するかのどちらかで対処しなければ詰む。

 ちなみに、魔術攻撃力と防御力はゲーム中ダントツトップだが、物理は紙でHPも最低なので、物理でごり押しが効かなくも無い。


 ただ、性格的には決して悪人とも言えず、可愛い側面もあった。

 そのため、もし路線変更できるのならば、と接触を図っていたのである。

 残念ながら研究に没頭するあまりろくに外には出てこないらしく、今まで交流することはできなかったのだが。


「……それなら、また今度お茶会にお誘いしてみようかしら。

 ねえメル、あなたの名前を出してもいい?」

「え? もちろん、それは構わないけれど……わたくしの名前なんて、大して意味があるとは思えないのだけれど」


 フランツィスカの言葉に、メルツェデスは首を傾げる。

 公爵令嬢であるフランツィスカと伯爵令嬢でしかないメルツェデス、どちらの名前が強いかなど、火を見るよりも明らかだし、それがわからぬフランツィスカでもないだろうに、と怪訝そうに見ていると、当のフランツィスカがくすりと笑って見せた。


「メル、あなたはあなた自身の名声だとかに無頓着過ぎるわ。

 そうでなくても、『天下御免』だとか、『退屈令嬢』だとかの話題が多いあなただもの、きっと彼女の興味だって引けると思うの」

「そう、かしら? まあ、フランが言うのなら、そうかも知れないわね……?」


 まだ若干納得出来ていないメルツェデスは、怪訝な表情が拭えない。

 しかしフランツィスカは確信を持っているし、もう一人もまた、同様だった。


「ねぇフラン、その時は私も誘ってよね、絶対よ?」

「ふふ、もちろんよ。エレンと知り合うのも、きっと彼女にとっては財産になるでしょうしね」

「……待って、それだと私までメルみたいなトンデモ令嬢だって言われてる気分になるのだけど」

「それこそ待って、わたくし、トンデモ令嬢なんかじゃないわよ!?」


 フランツィスカとエレーナの会話に、思わず割って入ったメルツェデスだが、二人から、いや、周囲から向けられる視線に、あれ? と首を傾げる。


「「いや、それはない」」


 二人の声が、周囲の無言の同意に押されて、メルツェデスへと強烈に叩きつけられる。


「そ、そんな馬鹿な!?」


 ゆらり、思わず揺らいだメルツェデスは思わずそう叫ぶが、彼女に同意してくれる人は、一人もいなかった。

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