第32話 情けは人のためならず。

 男泣きに泣くブランドルが、ようやっと少しばかり落ち着くのにどれくらいかかっただろうか。


「このブランドル、いやさブランドル一家全て、このご恩を決して忘れやいたしやせん。

 お嬢様の為とあらば、例え火の中水の中!」


 まだ泣きはらした赤い目のまま、しかし吹っ切れた爽やかな笑みを見せるブランドル。いや、悪党面ではあるのだが。

 一度死を覚悟したのだ、生まれ変わったような心持ちなのかも知れない。


「あら、あなたにそう言ってもらえるのは嬉しいですわね。もちろん、力を借りることがないのが一番ですけども」


 くすくすと笑うメルツェデスに、ブランドルは改めて惚れ直す。

 まだ十歳かそこらの少女が、この貫禄と言い回し。

 器が違う、という言葉の意味はこういうことか、と痛感させられる存在。

 そんな存在に出会えた彼は、きっと幸運なのだろう。


「へいっ、もちろんお嬢様が平穏無事なのが一番でっ!」


 にっかりと笑いながら、勘としか言いようが無いが、ブランドルは彼女のこれからが決して平坦ではない気がした。

 であれば、何かあればその時にこそ。

 そんなことを内心でひっそりと誓っていた。


 



 すっかりメルツェデスに心酔しきったブランドルが裏庭を辞してから、しばらくの後。

 メルツェデスは自室で紅茶を傾けていた。


「お嬢様、よく即座にお会いになろうとお思いになりましたね?」


 その紅茶を淹れたハンナが、ふとそんなことを尋ねる。

 質問に、はて、と小首を傾げたメルツェデスは、得心したように小さく笑った。


「ああ、そうですわね、確かにあのチンピラさん達の親分、というだけであれば会う気はありませんでしたけれど……あのお手紙に込められた熱量が、中々のものでしたからね。

 それで物は試しと会ってみればあの立ち居振る舞いですもの、我ながらいい勘をしていましたわ」


 満足げに言いながら、紅茶をまた一口。その味わいもまた満足のいくもので、流石ハンナと笑みを深める。

 と、そこへブランドルを送っていったジェイムスが戻ってきた。


「いやはや、全くその通り、流石お嬢様でございます。

 話に聞く『首出し』のブランドル、噂に違わぬ漢でございました」


 うむうむと満足げに頷くジェイムスに、メルツェデスは首を傾げた。


「ジェイムス、彼を知っていましたの? それに、『首出し』って……」

「ええ、直接会ったのは今日が初めてでございますが、話は度々。

 最近じわじわと勢力を伸ばしている一家の頭領で、知恵と度胸で世を渡り歩いている、と。

 その度胸の見せ所が、先程の『首出し』でございまして」

「……ジェイムス、まさか、ですけれど……彼は何度もあんなことをしていますの?」


 恐る恐る、まさかという気持ちと、もしやという気持ちとの間で揺れながら、メルツェデスが問いかければ……ジェイムスは、にっこりと楽しげな笑みを見せた。


「ええ、その通りでございます。私の知る限りで六度、今日のあれで七度目になりますね」

「よくそれで生きてこれましたわね、あの人!」


 それを聞いたメルツェデスは、思わず声を上げてしまう。

 裏社会において、相手に首を差し出す行為がどれ程危険なことか、メルツェデスでもわかる。

 縄張りだなんだあるのだ、これ幸いにと首を取るものはゴロゴロいるはず。

 なのに、彼は今日ああして生きていて、また今日も命を拾った。

 それは、どうにもとんでもないことに思えてならない。


「そこが彼の腕、と申しましょうか。何某か他の組織と軋轢ができそうな事態に対して、先にある程度手を打っているのです。

 そして、どちらかと言えば彼を生かしておいた方が利益となる状況を作っておいて、すっと首を差し出す。

 それも、相手の部下達の見ている前で。

 ここで感情を抜きにして利益も考えられず、さりとて心意気も汲めずな判断をしてしまえば、それこそ器が知れてしまいます。

 裏世界の親分衆にとってそれは、随分な痛手なのですよ」

「なるほど……道理で、あんなにも落ち着き払っていたわけですわね。

 ……あら? でもジェイムス、わたくし、彼のことなどまるで知りませんでしたし、価値もわかっておりませんでしたわよ?

 そのことは恐らく彼もわかっていたでしょうに、なのに首を差し出してきたんですの?」


 ジェイムスの説明に納得して頷いていたメルツェデスだったが、ふとした疑問に小首を傾げた。

 それを見てジェイムスは、笑いながら頷く。


「ええ、恐らくその通り、まさに大博打に挑んだのでしょう。

 あるいは、見知らぬ他人の困り事へと首を突っ込むお人好しさ加減ですとかを計算に入れたりはしたのでしょうが……それでも碌な勝算のないままにその身を賭けた。

 そこにしか生き延びる筋が無いと読み、感情をあれだけ抑えきっての振る舞い、中々にできることではありません」

「なるほど……確かに、読みは大したものですわね。どうやら一気に制圧しなかった意図を読み取ったようですし」

「おっしゃる通りです。あの状況、あの短時間で正解を選び取った判断力は賞賛に値します」


 メルツェデスやジェイムスは、今回の騒動に対して、ブランドル一家が取る行動を四つほど想定していた。


 一つ目は、一目散に全員散り散りに逃げる。

 二つ目は、恐れのあまり何もせず、ただ見逃してもらえることを願う。

 当然、この二つは悪手だし、下手をすれば裏方部隊が彼らを仕留めたことだろう。

 知らなかったとはいえ貴族令嬢に狼藉を働いたというのはそういうことだ。


 そして三つ目は、例の子分二人の首を差し出し命乞いをする。

 これも、決して良い手とは言えない。

 プレヴァルゴ家としては矛を収める形になるだろうが、そんな親分など信用できない。

 まして子分達はなおのこと。こちらが手を下さずとも彼の命は長くなかっただろう。


 残された最後の一つが、彼が自身の責任として背負い、潔く出てくること、だった。

 そしてまさにそれを、予想以上の形で披露してくれたブランドルの器は、確かに親分に値するものなのだろう。


「貴族として、ああいう態度を取られた以上何某か手を下さねば面子に関わりますが、しかし事故のようなものですから、無闇と命までは取りたくない。

 そこで考える時間を上げたのですが……本当に、子分さん達は幸運でしたわね」

「左様ですな、問答無用に、ということもあり得たわけですから。

 ある意味、お嬢様に因縁を付けたのが幸いだった、と。ま、二度目は許しませんがね?」


 そう言うと、ジェイムスがにっこりと微笑めば、メルツェデスもハンナも背筋がぞわりと震えてしまった。

 長らく仕えているジェイムスはプレヴァルゴ家への忠誠が深く、メルツェデスもクリストファーも溺愛している。

 その溺愛するお嬢様に狼藉を働いた連中など、と内心では思っていただろうことが、その笑みと共に溢れた殺気で伝わってきたのだ。

 

「だ、大丈夫、きっとブランドルならきちんと子分さん達を躾けますわ」


 若干声を震わせながら、メルツェデスは誤魔化すように紅茶を口にした。






 プレヴァルゴ邸を後にしたブランドルは、堂々たる足取りで大通りを歩いていた。

 死に装束を纏っている彼のことを奇異な目で見る者もいるが、それを全く意に介することなく。

 やがて彼の根城である下町へと向かうために曲がり角を曲がり、進み、曲がり。

 人通りが無くなったところで、大きく息を吐き出しながら壁に手を衝いた。


「くっは~……さっすがに、今回ばかりは死ぬかと思ったぜ……」


 そう言いながらブランドルは、己の首をさする。まだくっついていると確かめるかのように。

 しばらくそうして生きていることを実感していると……徐々に身体が震えだした。


「ほんっと、よく生きてたってーか、お目こぼししてもらえたな……あそこはほんっとに化け物揃いだ」


 メルツェデスの側に控えていたメイドもとんでもない凄腕だとはわかったが、それ以上に、彼を裏庭に通した老人はもう、ブランドルでは底が見通せないレベルだった。

 あんな二人が、当たり前に出てくる。であれば、裏方は……そう考えれば、また身体の震えが大きくなる。

 押さえ込んでいた恐怖心が全身を支配し、思わず膝を衝きそうになるが、それは必死に押さえ込む。

 ここでへたり込んでしまえば、二度と立てなくなる気がしたからだ。


「それでもなんとか拾った命だ、俺もまだまだツキが残っていたらしい。……いや、あのお嬢様の器だから、か」


 まさに捨て身で挑んだ大博打に、メルツェデスは笑顔で応えてくれた。

 これが狭量なお嬢様だったら、きっと彼はここにいないだろう。

 

「……我ながら馬鹿な生き方だたぁ思うが……たまにゃ良いこともあるらしい」


 男を売る商売、などと嘯きながら、入念な準備をした上で首を差し出しここまで来た。

 だからこそ閃いたこの一手、初めての、勝算の無い首出し。

 こんな大博打は、もう二度としたくはない。


「ったく、帰ったらあいつらをとっちめてやらねぇとなぁ」


 子分達の顔を思い出し、にやりと口角が上がる。

 ふぅ、と一息つけば膝にも力が戻ってきた。

 そして歩き出すことしばし。根城の酒場が見えてくる。


「おう、帰ったぞてめぇら!」

「お、親分!? よくぞご無事で!!」

「プレヴァルゴ家に行ったと聞いて、生きた心地がしやせんでしたぜ!!」


 帰ったと告げれば、途端に子分達が集まってくる。


「おいこら、押すな押すな、大の男が泣くんじゃねぇよ!」


 押し合いへし合いになりながら、そんなことを言いながら。

 彼もまた、目に光るものがあった。




 こうして、ブランドル一家は結束を強め、やがて王都でも一二を争う一家に成長することになる。

 その過程で、生き延びて成長できるのもメルツェデスのおかげ、と彼女に対する感謝と忠誠も留まるところを知らず大きくなっていった。

 やがて、あちこちに顔が利く彼らは、情報集めや人捜しなどでメルツェデスの『退屈しのぎ』の手伝いなどもするようになっていく。

 その結果、メルツェデスが『退屈令嬢』と呼ばれることになっていくのだが……当のメルツェデスは、まるで予想もしていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る