第3話 まだ退屈していない頃。

 彼女がこうなってしまった大元は、数年前に遡る。


 時に、メルツェデス十歳の頃、まだ、額に傷のない時分の話。

 彼女は、国王直々の詔勅により、父に連れられて王城へと訪れていた。

 メルツェデスと同じ黒髪、赤い目の美丈夫である父ガイウスは、黒獅子と呼ばれる程の猛将。

 そんな彼が先頭を切って歩けば、城内の耳目を引くのは仕方が無いところ。

 ざわめく城内の空気に、若干居心地の悪さを感じたメルツェデスは思わず、といった風に父へと声をかけた。


「お父様、このような場所にわたくしが同行するなど、よろしいのでしょうか」

「心配は要らぬ。お前を伴うようにとの、陛下からのお達しだ」

「はぁ……なぜ、わたくしなどに……」


 小さくぼやきながら彼の後ろに従うメルツェデスは年相応にまだまだ小柄な少女。

 艶やかな黒髪はまだ背中に届くかどうかほど。

 幼くも整った顔立ちは、成長した頃に比べて凜々しさよりも愛らしさを醸し出している。 

 しかし、その姿を見る騎士や衛兵の一部は、訝しげな顔をしていた。

 どうにも、その動きが洗練されすぎている。いや、鍛えられすぎている。

 ピンと伸びた背筋とその歩く姿は、明らかに体幹が鍛えられたもの。

 普通の令嬢、それも幼い令嬢のそれではない。


 しかし身体は鍛えられているようだが、流石に精神面は年相応らしい。

 視線は時折、周囲を窺うように彷徨っていた。

 慣れぬ王城の空気に若干居心地の悪さを感じながら案内されたのは、近衛騎士達が普段の鍛錬に使用している訓練場。

 そこには、メルツェデスと同じ年頃の少年が、ふんぞり返るような姿勢で待ち構えていた。

 金髪碧眼、くっきりとした二重の目を彩る長いまつげ、細いおとがいの上には鮮やかな紅の唇と、整った顔立ちの美少年。

 のはずだが、その得意げで小憎たらしい表情は生意気盛りな少年のもの。

 そのせいか、美少年度は大幅に下がって見える。

 着ているのは、青を基調とした仕立ての良いチュニックで、その襟元には、銀糸で刺繍された王家の紋章。


 ということは。しかし、なおさら何事だろう、と訝しげに思いつつも、令嬢としてそれなりに躾けられていたメルツェデスは顔に出さない。

 父が片膝を衝く臣下の礼を取ったのを見れば、何も聞かずに彼女もスカートの裾を捌きながらそれにならう。

 偉そうにしている少年も何も言わない。

 であれば、臣下であるプレヴァルゴ家の人間も口を開かない。

 そんな沈黙が生じてから、ほんのしばし。

 

「国王陛下のおなりです、一同お控えなさいませ!」


 先触れの声に、少年も慌ててぎこちなく礼の姿勢を取る。

 どうやら、まだまだ行儀作法は十分でないらしい。

 などと思いながらも顔を伏せていれば、数人の大人が入ってくる気配。

 どうやら、と思えば、直ぐに声がかかった。


「一同の者、大儀である。面を上げよ」


 許しを得てメルツェデスが顔を上げれば、その視線の先に居たのは自然体であってなお威厳を溢れさせる男。

 青年、というには歳がいっており、しかし中年というには若々しい。

 三十台前半だろうか、豊かに流れる金の髪と碧い目を輝かせた貴公子がそこにいた。


 クラレンス・フォン・エデュラウム。

 エデュラウム王国の国王であり、幼なじみでもあるガイウスを重用して隣国との三十年にも渡る戦争を終わらせた、名君の誉れ高き男である。

 ガイウスも一目置き敬意を払う彼は、しかし親しみのある砕けた笑みをメルツェデスへと向けた。


「忙しいところにすまないね、ガイウス。それから、そちらの可愛らしいお嬢さんがメルツェデスかな?」

「はっ、陛下のお召しとあらばこのガイウス、何を置いても参上いたしますとも。

 そして、ご明察の通り、これが我が娘、メルツェデスでございます。

 さ、メルツェデス、陛下にご挨拶を」

「はい、お父様」


 ガイウスが促せば、メルツェデスはすっくとその場で立ち上がり、スカートの裾を持ち上げて端正なカーテシーを披露した。


「僭越ながら、はじめて国王陛下にご挨拶申し上げます。

 ガイウス・フォン・プレヴァルゴが息女、メルツェデスにございます。

 お見知りおきいただければ幸いにございます」


 その動きに、護衛の騎士達の一部が目を見張り、あるいは感心したように目を細める。

 立つ姿、不安定であるはずのカーテシーの姿勢、いずれにおいても全く体幹がブレていない。

 この年にして、そして令嬢であるのに、よく鍛えられている。それが、わかる者には一目で見て取れた。

 それはクラレンスもまた同様であったらしく、うんうんと満足そうに頷いている。


「うん、ありがとう。流石ガイウスのご息女だね、とても良く鍛えられている」


 恐らく、敢えてであろう。『躾けられている』ではなく『鍛えられている』と言ったのは。

 そのことを察したメルツェデスは、自分がこの場に呼ばれた理由に、もしや、と思い当たる。

 ちらりと横目で父を窺えば、珍しく困ったような色を滲ませていた。

 であれば、恐らく自分の予想は当たっているのだろう、と小さく息を吐く。


 そんな彼女の表情を、あるいは心情を読み取ったのか、クラレンスの笑顔は若干申し訳なさそうなものになる。


「さて、今日ガイウスだけでなくメルツェデス嬢にも来てもらった理由なのだけど。

 メルツェデス嬢に、私の息子、そこに居るジークフリートと、剣の手合わせをしてもらいたいんだ」


 予想通りだった言葉に、メルツェデスは一瞬眉を寄せそうになった。

 踏みとどまれたのは、日頃の訓練の賜物であろう。


 ジークフリート・フォン・エデュラウムは、この国の第二王子だ。

 聞くところによればメルツェデスと同い年であり、年相応にやんちゃな性格である、らしい。

 その彼が剣を学び始めたのはいいが、当然教官は大人であり、ジークフリート相手に本気を出すなどあり得ない。

 おべっか、ではないが、気を遣われた指導に不満をため込んだ彼が、本気で向かってくる相手を求めた結果、令嬢でありながら剣を習い、その才能をガイウスに認められたメルツェデスに白羽の矢が立てられたというわけだ。


 説明を聞いたメルツェデスは、小さく小首を傾げる。

 それを見たクラレンスが、その意味するところを汲んで申し訳なさそうな顔になった。


「すまないね、メルツェデス嬢。本来は女性である君に、こういった役割をお願いするのは気が引けるのだが……」

「いいえ、陛下。私は陛下の臣下でございますれば、お心のままに。

 ですが……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 問いかけに、おや、と小さく眉を動かしながらも、クラレンスは頷いて返す。


「うん、もちろん。こんな要請を出すんだ、質問にはできる限り答えるよ」

「陛下の寛大なお心に感謝いたします」


 と答えて深々と頭を下げてから、ゆっくりと顔を上げていく。

 その面に浮かぶ表情に、クラレンスは僅かばかり背筋をゾクリと震わせた。

 あ、この子はもうこの年でプレヴァルゴだ、と、知る人ぞ知る感慨を覚えながら。


「それでは、お伺いいたしますが……これは、あくまでも剣の手合わせの要請。

 ということは、全力でお相手をし、その結果王子殿下をボコった挙げ句泣かせても問題無い、ということでよろしいでしょうか」

「なっ、何を!?」


 メルツェデスからの質問に、悲鳴のような声を上げたのはジークフリートただ一人。

 国王であるクラレンスを始めとして、周囲を取り巻く護衛騎士や侍従達はどこか悟ったような笑みを見せている。

 

「ああ、もちろん構わないよ。むしろそのつもりでやって欲しい」

「ち、父上!?」


 慌てるジークフリートに、しかし誰もフォローを入れることがない。

 もしや、とメルツェデスが父ガイウスをちらりと見れば、うむ、と大きく頷かれた。


「存分にやるがよい。私もよく、陛下相手に全力でお相手したものだ」

「ガイウスは冗談抜きに全力だったからね……何度死を覚悟したことか」

「お言葉ですが陛下。一応あれでも、一時期は抑えておりました。

 陛下が上達なさり、凌いでいただけると判断してからは全力でございましたが」

「いや、本当に文字通り、凌ぐしかできなかったけどね?」


 朗らかに、あるいはあっけらかんと。

 どう考えても物騒な話題を楽しげに、あるいは懐かしむように語る二人を見て、ジークフリートは絶句する。

 聞いた当のメルツェデスは、納得したように幾度も頷いていたが。


「お答えいただき、誠にありがとうございます。それでは、ご下命、しかと承りました」

「お前もあっさりと頷くなよ!?」


 困惑するジークフリートを尻目に、あっという間に話がついていく。

 最高権力者であるクラレンスと、それに次ぐガイウスも承認したとあれば、王子であっても未成年であるジークフリートに拒否権などない。

 焦り喚くジークフリートをちらりと見たメルツェデスは、また頭を下げてお伺いを立てる。


「陛下、不躾ながら、もう一つお伺いしてもよろしいでしょうか」

「うん、なんだい?」


 気さくに答えるクラレンスに、メルツェデスは顔を上げて答えた。


「殴られる覚悟も無しに稽古相手を要求するなど、甘いにも程があります、と王子殿下にお伝えしてもよろしいでしょうか」

「ああうん、それは是非とも言ってあげて欲しいな」

「既に聞こえておりますが! 私は殴られる覚悟もあります!」


 二人の会話に、思わず、と声を上げるジークフリート。

 その威勢は、しかしすぐに、ニヤリとした笑みを浮かべるメルツェデスを見て、霧散した。

 

「殿下のご了承も、確かに賜りました。

 それでは、わたくしの全力を持ってお相手いたします」


 言いながら、彼女は恭しくまた頭を下げる。

 自らの失言を悟ったジークフリートは、その様子を、半ば呆然としながら見ていた。

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