第2話 退屈裁き。

 盛り上がる周囲の空気とは反対に、青ざめてガチガチと歯を打ち合わせているのは子爵と名乗った男だ。

 何しろ、プレヴァルゴ家の爵位は子爵よりも上の伯爵。

 それも、軍の要職を歴任する武門の名家で、国王からの信頼も厚い上級伯爵だ。

 おまけに現当主は、隣国との三十年の長きに渡る戦を終わらせた英雄である。

 当然昇爵の声もあったが、エデュラウム王国において公爵および侯爵は、万が一があれば国へと及ぼす影響が多大であるため軍務につくことができない。

 故に、戦場に留まりたいからと話を蹴った程の戦狂いの伯爵。

 その血を引く、令嬢である彼女ですら武勇伝に事欠かない家柄だ。


 そんな家に比べれば、彼の家など社会的にも物理的にも吹けば飛ぶようなもの。

 

 おまけに、彼ですら彼女のことは知っている。


「ま、まさか、お前が……いやっ、あなた様がっ!?」


 正式な社交界デビューは数ヶ月後。これまでの間、子息令嬢向けのお茶会にもほとんど顔を出していない謎多き伯爵令嬢。

 故に彼も顔を見たことはないが、それでも『天下御免』の噂はあちらこちらで耳にしていた。

 陛下の覚えもめでたき、王子殿下の命の恩人。

 かつ、彼女の父、プレヴァルゴ家当主であり当代きっての剣豪と言われるガイウス・フォン・プレヴァルゴとその細腕で互角に打ち合える凄腕。

 ……実際のところはまだまだ互角などではないのだが、噂とは無責任なものだ。


 ともあれ。まともに敵対すれば、どうあがいても貴族の一族として致命傷。運が良ければ彼だけで済むかも知れない、曰く付きの令嬢。

 そんな相手に、知らずとはいえ喧嘩を売ってしまったのだ。この後に訪れる悲劇がどれほどのものか、想像に難くない。

 子爵の恐怖を見透かしたかのように令嬢、メルツェデスの目が細められて。


「ご安心なさいませ。この程度のいざこざに、わざわざ我がプレヴァルゴ家の名を使うつもりはございません。

 自身で白黒付ける、それが故の『天下御免』でございますから」


 カラカラと快活に笑い飛ばす姿は、令嬢にあるまじきものであるはずなのに、何故か好ましい。

 今にも断罪されかねない立場である子爵ですら、そう思う。

 であれば、周囲を取り巻く庶民が盛り上がるのも宜なるかな。

 最早ここに来て弁明の言葉など浮かぶはずもなく、がくりと肩を落として沙汰を待つ。

 そんな子爵の様子を見て取ったか、メルツェデスは先程よりも少し柔らかい笑みを浮かべ、つい、と扇を子爵に向けて突きつける。


「さて、子爵様。ここで彼女に謝罪した上で潔く退けばよし。

 さもなくば……僭越ながら、一手ご教授差し上げましてよ?」


 その言葉に、子爵もその護衛達もびくっと背筋を伸ばす。

 一手ご教授。つまりは指導の名の下、物理的にフルボッコにするぞという宣言である。

 そして、護衛の反応を見るに、この人数であっても彼女には敵わないらしい。

 力量は読めずとも空気は読める子爵は。


 膝を衝いて地面に擦りつけんばかりに頭を垂れた。


「も、申し訳ございません! 私の不見識故にご迷惑をおかけいたしました!

 あ、あなた様は元より、そちらのお嬢さんも! 全て、全て私の至らぬが故!」


 必死の言葉に、メルツェデスは見定めるように少しばかり目を細める。

 この世には、敵対してはならぬ存在がいる。子爵は、そのことをよくわかっていた。

 そして、まさに目の前に居る彼女は、そんな存在だ。

 であれば、恥も外聞もかなぐり捨てることに躊躇は無く、メルツェデスは元より平民である少女にも頭を下げることは厭わない。

 

 そんな子爵の必死な様子に、メルツェデスは一つ頷いて見せる。


「その謝罪、確かに受け取りました。あなたも、よろしいかしら?」


 視線を向ければ、はっと我に返ったのかこくこくと頷いてみせる少女に、微笑ましいと思う気持ちそのままに微笑んでみせた。

 それから、おもむろに子爵へと向き直る。


「では、今後あちらのお嬢さんに関わらなければ、不問といたしますわ」

「はっ、あ、ありがとうございます!」


 メルツェデスの言葉に、ついに子爵は額を地面に打ち付けた。

 彼自身の、そして一族の首が繋がった。それは、僥倖と言って差し支えないだろう。

 そんな必死の言葉に、メルツェデスは鷹揚に頷いて見せる。


「いえいえ、誠意には誠意を持って遇するのが、プレヴァルゴの流儀でございますから。

 故に、非礼には相応の対応もいたしますが……子爵様であれば、問題ございませんよね?」

「も、もちろんでございます! この身命に賭けまして!」


 許された、らしい。その実感に、身震いしてしまう。

 最悪、この場で手打ちにされても文句の言えない状況だった。

 そして、今目の前にいる彼女は……帯剣していないというのに、気が向けば軽く彼の首を落とせる、そんな気配を漂わせていた。

 そんな中で見逃してもらえたのだ、ありがたさに涙さえ滲んでくる。


「そこまで背負わずともよろしいのですが、覚悟の現れと受け取っておきます。

 さて……子爵様もお忙しいのでしょう?」

「は、はいっ、この後も予定が……申し訳ございませんが、これにて失礼させていただきます!」


 メルツェデスの言葉は、子爵にとって福音であった。

 このいたたまれない空気の中から、口実と共に逃げ出すことができるのだから。

 そんな配慮ができる十代半ばのメルツェデスに空恐ろしいものを感じながら、子爵はバタバタと慌てていずこへと走り去っていく。


 子爵の姿が見えなくなれば、途端に湧き上がる歓声。

 周りで見ていた観衆は口々に、「流石っ、退屈のお姫さん!」「退屈のお嬢様、素敵っ!」とはやし立てる。

 そんな周囲へとしばし手を振って応えたメルツェデスは、未だ地面にへたり込んだままの少女へと歩み寄った。


「大丈夫ですか? お怪我などございません?」

「えっ、あ、あのっ、大丈夫です、全然!

 そ、それよりも、助けていただいてありがとうございます!」


 それこそ地面に額を擦り付けんばかりに頭を下げて礼を言う少女の肩に手を添えて、メルツェデスはやんわりと微笑む。


「あなたが気にすることはございません。あれは、あの子爵様に非があるのですから。

 ですが……ふふ、あなたの心も助けられたのならば、これ以上のことはございませんね」


 そんな言葉と柔らかな笑みの直撃を受けた少女は、覿面に真っ赤になった。

 噂に聞き、淡い憧れもあった退屈令嬢。その本人からこんな言葉と笑顔を向けられたのだ、高揚しないわけがない。

 あわあわと慌てふためく様子を微笑ましげに見ていたメルツェデスは、何か思いついたような顔になって、指をパチンと鳴らした。

 途端、その背後に一人のメイドが現れる。

 先程まで、全く存在を感じさせていなかったというのに。

 驚く周囲を尻目に、当たり前のようにメルツェデスがメイドに向けて手を差し出せば、言われずともわかっていた、とばかりにその手に真っ白なハンカチが置かれた。

 受け取ったメルツェデスは、少女にそっとそのハンカチを握らせる。


「釘は刺しましたが、先程の子爵様が逆恨みをして、あなたにまたちょっかいをかけてくるやも知れません。

 もしも困ったことがあれば、このハンカチを持ってプレヴァルゴの別邸までおいでなさい。

 わたくし、メルツェデスに取り次ぐよう言えば通じるようにしておきますわ」

「そ、そんな恐れ多い! こんなにもご親切にしていただいて、これ以上は過分でございます!」


 ふるふると首を振る少女へと、メルツェデスはそれはもう和やかな笑みを見せた。


「ふふ。そんな、節度というものをわきまえるあなたにこそ、わたくしの名を使ってもらいたいのです。

 あなたは、わたくしが認めたお方。その評価を受け取ってはもらえませんか?」


 そこまで言われてしまえば、流石に受け入れざるを得ない。

 少女は深々と、また地面に額を擦り付けるほどに深々と頭を下げた。


「か、かしこまりました……もしもの時は、お訪ねさせていただきますっ!」

「ええ、是非に。もちろん、そんなことがないよう願っておりますけど、ね」


 そういうと、パチリと器用に片目をつぶってみせる。

 間近の距離でのウィンク。それは、どうも少女には刺激が強すぎたらしい。

 うっとりと、あるいはふわふわと。いずれにせよ、現世でないどこかを見ているような少女を見て、メルツェデスは少しばかり困ったような顔になった。


「あらあら? すみませんが、彼女のお知り合いの方はいらっしゃいませんか?

 どうも、気が抜けたのかぼうっとしてらっしゃいまして……ご自宅へ送っていただきたいのですが」


 呼びかけに、すぐにいくつもの声が上がる。

 その中から、やはり同性が、ということで女性を三人ほど指名して、少女のことをお願いした。

 直々にご指名され張り切った女性達が意気揚々と少女を運んでいく様子に、ほうっと安堵のため息を一つ。

 それから、きりっと表情を作り直す。


「なにやら退屈の虫が騒ぐから顔を出してみれば、退屈しのぎにもならない有様。

 まったく、退屈で退屈で仕方ありませんわ! オ~~~ッホッホッホ!」


 メルツェデスが高笑いを上げれば、またどっと沸く観衆。

 「流石!」「いよっ、王国一!」「お嬢様、抱いてっ!」などの声が飛び交う中、彼女は笑顔を浮かべていた。


 内心で、『どうしてこうなった』と愚痴るように呟きながら。

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