悪役退屈令嬢。~武闘派悪役令嬢に転生した結果、時代劇ヒーロー風になってしまいました~【7/5、コミカライズ第一巻発売!!】
鰯づくし
1章:退屈令嬢、事始め
第1話 悪役退屈令嬢、推参。
エデュラウム王国の王都、エデュリオン。
ジャピュナス大陸にあって揺るぎない地位を確立する王国の都であり、人口百万とも言われる程に多くの人々で賑わう街だ。
そんな街の休日、初夏の晴天とあれば当然市場などはごった返す。
普段出来ないゆっくりとした買い物。
家族で、夫婦で、あるいは恋人と出かけ、様々な品々や大道芸人達に目を楽しませる人々で市場は溢れかえっていた。
あるいはそろそろどこかで昼食でも、と人々の流れも変わりだしたその時だった。
「何をするこの無礼者!」
「きゃっ! も、申し訳ございません!」
突然、和やかとも言えた市場の空気を切り裂くような怒号と、悲鳴が響く。
何事かと人々が足を止めて見れば、五人ばかりの従者を引き連れた身なりのいい中年の男が、地面にへたり込んでいる少女を怒鳴りつけていた。
男は金髪碧眼で若い頃は美形であったろうが、その顔は今や丸いカーブを描き、あまり品の良くない怒りの表情を浮かべている。
着ている物、襟や袖に刺繍されている紋章を見るに、恐らく貴族なのだろう。
対して、地面にへたり込んでいる愛らしい少女は、質素なワンピースを身に纏った、いかにもな平民。
周囲に色とりどりの花が散らばっているのを見るに、花売りなのだろう。
この辺りでは良く見る色合いの茶色の髪に茶色の瞳。
普段は快活で愛らしいであろう顔は、貴族の怒りに触れたと悟り、恐怖に染まっていた。
「申し訳ないではないわ!
どうしてくれる、貴様がぶつかったせいで、この私の一張羅が汚れてしまったではないか!」
「ま、誠に申し訳ございません! せ、洗濯をして……あっ、直ぐに拭きます!」
そう言いながら少女が手ぬぐいを取り出したのを見れば、男はその手を払った。
息を呑み言葉を失った少女を、怒り、よりも侮蔑の色が濃くなった顔で睨み付ける。
「触るでない! 貴様のような庶民の手ぬぐいでなんぞ拭かれては、かえって汚れてしまうわ!」
「そ、そんな……い、いえ、申し訳ございません!」
あまりの言葉に反論しようとして、しかしすんでの所で言葉を飲み込む。
反論でもしようものならば、無礼と斬り捨てられても文句が言えない。
相手は貴族、悔しいが平民である彼女は、そして見ている周囲の人間は手が出せないのだ。
それを重々承知している男は調子に乗ったのか、徐々に下卑た笑みを見せてくる。
「そうだ、貴様には申し開きも詫びもできんのだよ!
それとも何か、この服を弁償するか? 貴様の稼ぎでは、百年経っても返せんだろうがな!」
男の言葉に、少女は顔を伏せて口を噤むしかできない。
流石に百年は言い過ぎとしても、貴族の着る服など、彼女の十年分の稼ぎに等しいことなどざらだ。
当然、そこから家賃に生活費と払った後を考えれば、返済など何年かかるかわかったものではない。
そのことをよく理解している男は、少女へとずい、と顔を寄せる。
「ああ、よくよく考えれば、貴様でもすぐに弁償できる方法があったななぁ。
こうして見れば、庶民の割には中々の器量よし。どうせ花売りとは言いながら、そっちの花も売っているのではないか?」
少女は、男の言葉が意味するところを理解できてしまうくらいには世間に擦れていた。
恐怖と怒りとで唇を震わせるも、男に向かってぶつけられるような言葉が出てこない。
言い返すこともできない少女の様子に、実に満足そうに、そして下卑た笑みを男は見せる。
「なぁに、扱いのいい店も知っているから安心せい。
いや、連れて行く前に味見をしてもよいなぁ……」
そう言いながら、震えて抵抗もできない少女の腕を掴んだ、その時。
「オ~~~ッホッホッホ!!
オ~~~~ッホッホッホ!!!」
突然、空気を切り裂くかのような高笑いが、それこそ高らかに響き渡る。
男は驚いたかのようにビクッと身じろぎして、思わず少女の手を離した。
周囲でやるせなく、あるいは怒りを滲ませて見ていた群衆は、あるいはとまどい、あるいは顔を輝かせる。
そして、そんな群衆の一部が割れるようにザッと開けば、そこからやってくる一人の令嬢。
年の頃は十代半ば、あるいはもう少しか。
まず目を引くのは、背中まで届く濡れたように艶めく長い黒髪に紅の瞳。
前髪はやや右寄りで分けて、それが左目を半ば隠すかのように流されている。
細面の整った顔立ちの真ん中にある二重の瞳はややつり上がってキリリと凜々しく、それでいてどこか揶揄うような視線を男へと向けていた。
口元を隠す白い扇はやや大ぶりで、精緻な模様の入ったもの。
着ているドレスは外歩き用なのか装飾こそ抑えめだが、その色合いは黒を基調として袖や襟、裾とポイントに深紅という、社交界での流行を全く無視した人目を引く姿。
そんな令嬢が高笑いとともに登場したのだ、嫌でも男の意識はそちらへと向かってしまう。
と、侮蔑と揶揄を込めた形に令嬢の眉と目が歪んだ。
「あらあら、折角の気持ちいい初夏のお昼に、随分とみっともないものを見せられてしまいましたわ」
唐突に、そしてあからさまに向けられた侮蔑の言葉に、男はカッと顔を赤くする。
どこの令嬢だか知らないが、娘ほどの年若い女に馬鹿にされて黙っていられるような寛大さを、男は持ち合わせていない。
「き、貴様、この私に対してなんて言葉を!」
指を突きつけながらの怒鳴り声に、しかし令嬢は涼しい顔で受け流す。
むしろ、挑発的な表情を深めてすらいた。
「なんても何も、服が汚れた程度で大の男が大騒ぎ。これがみっともないと言わずになんと言いましょうか」
「なっ、しかしだな、これを見ろ! 花の花粉、しかも落ちにくい百合の花粉だぞ!?」
そう言いながら男が指し示す胸元は、確かに花粉らしき粉で汚れていた。
決して目立つものではないが、気になる人間は気にするかも知れない、程度のものだが。
一瞥した令嬢は、ふ、と小さく鼻で笑う。
「その程度、『あなたのように可憐な花に口づけられて、光栄です』くらい言えばよろしいでしょうに。
そうすれば、あなた様の男ぶりも上がったものを。それとも」
そこで一度言葉を切ると、ジロジロと無遠慮に男の着ている服を眺め回して、小さくため息。
「あなた様の男ぶりは、そのお召し物よりもお安いのでしょうか?」
呆れたような、あるいは哀れむような言葉に周囲からは失笑が漏れる。
当然、言われた男は堪ったものではなく、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「貴様ぁぁぁ! どこまで私を愚弄するつもりだ、無礼にも程があるぞ!」
怒り心頭の男に、しかし令嬢は揶揄する表情を隠そうともしない。
「無礼だなどとおっしゃられましても、わたくし、あなた様相手に憚る言葉はございませんもので」
「なんだと!? こ、この私に、子爵である私にそんな生意気な口を……貴様どこの家のものだ、名を名乗れ!」
彼とてそれなりに社交界に出入りしている貴族、有力貴族の令嬢の顔は大体把握している。
その彼が知らない顔なのだ、大した家の者ではない、と高をくくっていた、のだが。
男の言葉に、すぅ、と楽しげに令嬢の目が細められた。
途端、周囲の空気が何かを期待するようなものに変わる。
なんだ? なんだ? と訝しげに男が周囲に視線を走らせた、その時。
「オ~~~ッホッホッホ! 問われて名乗るもおこがましゅうございますが、ご存じなければ教えて差し上げましょう!」
再び、令嬢の高笑いが響き渡った。
と、パチン、と白い扇を顔の前で左手に打ち付けるようにして畳めば、唇がにやりと弧を描く様が見える。
そしてそのまま左手が顔の前、左目に掛かっていた前髪に触れて。髪をゆっくりとかき上げていけば、その額に見えるは、深紅の三日月。
生々しく残る傷痕を、令嬢としては致命的なまでに目立つそれを、しかし彼女は誇らしげに見せつけた。
「恐れ多くも陛下より直々にお許しを賜った、この『天下御免』の向こう傷。
エデュラウムの黒獅子が息女、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ。人呼んでプレヴァルゴの退屈令嬢とはわたくしのことですわ!
ご存じなければ、どうぞお見知りおきくださいませ! オ~~~ッホッホッホ!!」
芝居がかった口上の締めに響く高笑い。それに合わせて「いよっ! 待ってました!」などの声が飛ぶ。
その声を背負って揺るぎない彼女は、看板女優などと言われても遜色ないほどにその存在が凜として際立っていた。
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