第4ステージ コイは見間違い!?
第4ステージ コイは見間違い!?①
さいたまスーパーアリーナに行ったことは過去に何度かあったが、そのひとつ上の駅に来たのは初めてだった。
「ここが大宮か」
駅前は大きなビルが立ち並ぶ。新幹線も通る大きな駅だ。見た目は町田や立川と似たような感じで『郊外の都会』とでも呼べばいいだろうか。ここも都内といっても問題ないぐらいに栄えている。
近辺に住む分には便利な駅だろう。
だが、オタクの俺がわざわざここを訪れる理由は少ない。ライブ会場に行くなら別だが、推しの声優が今までこの地でライブをしたことはなかった。
そんな俺が、今日は大宮にいる。
携帯を見ると、待ち合わせ時間になっていた。そろそろ来るかな、と顔を上げるとちょうどやってきた人物と目が合う。
前にも会ったオタクの女の子、
「やぁ、ハレ氏!」
「よお、灰騎士!」
ではなく、ザ・オタクのネット友達だ。
名古屋のライブに一緒に行ったぶりの再会だ。だが、互いにSNSで会話しなくても、毎日呟きを見て生存確認をしている。久しぶりな気がしない。SNSは時空を超えているな~。
「元気そうですな」
「あぁ、唯奈さまに会えるんだぜ? 元気じゃないわけがない!」
「いいでござるな……、拙者は緊張して震えているでござる」
本当に手足が震えていた。まだ緊張するには早い。それに俺以上に耐性はあるはずなのだ。
「灰騎士はリリイベに何度か来たことあるんだろう?」
「唯奈さまは3回目、他の声優さんを含めれば10回以上はありますが……」
「ベテランじゃん! 俺なんて初めてだぜ。生まれたての小鹿みたいな状況だ」
「何度行っても慣れないものは慣れないでござる! ライブと違って、目の前で1対1で会うのは違う」
リリイベ。リリースイベントの略語だ。
CD、BD、写真集などの発売に合わせて行われる販促イベントで、ミニライブや握手会、サイン会やハイタッチ、ミニトークショーなどが特典として催される。
1つの購入にだいたい1枚の抽選券が手に入り、当選してやっといけるイベントだ。そう、絶対にいけるとは限らないのだ。
「当たってよかったよなー」
「ええ。それもハレ氏と同じ場所になるとは巡り合わせが良いでござるな」
「ああ、おかげで気が楽だ。隣に緊張している人がいると見て安心できる」
「ひどいでござる、ハレ氏!」
今回の唯奈さまのリリイベは、千葉、埼玉、東京、神奈川の順に行われる。俺は東京の秋葉原を優先的に応募し、そして大宮をサブでおさえたのだ。何枚買ったかは聞かないでくれ。唯奈さまに会えるなら惜しくない。
無事に秋葉原と大宮を当て、2か所に行けることになった。
先日あずみちゃんから連絡がきて、約束したのは秋葉原のリリイベ無事にだ。無事に二人とも当たることができた。その秋葉原のリリイベは来週に行われる。
いわゆる今日はその『予習』というやつである。
唯奈さまが目の前に来て、平常心でいられるのだろうか、平常心でいられるはずがない。その場で泣き出すかもしれないし、ひれ伏すかもしれない。あずみちゃんにそんな情けない姿を見られたくない。
そう思った俺は事前に慣れていくことにした。
いや、予習といいながら本物の唯奈さまに会うのだから、本番もいいところなのだけど、今日あずみちゃんはいない。
事前の慣れだ。オタクにとって予習は大事。2回目なら俺もどうにか普通でいられる……はずだ。
「そういえばハレ氏、彼女さんとはうまくいってるんでござるか?」
「か、彼女?」
歩きながらリリイベの会場に向かう俺に、隣の灰騎士さんが変なことを言う。
「名古屋でハレ氏を呼び止めた女性でござる」
「あー」
あずみちゃんのことか。
あの時、入口付近であずみちゃんに捕まった俺を、灰騎士さんは空気を読み、さっと離れていった。空気の読めすぎるオタクだった。その後謝罪の連絡はいれたが、あずみちゃんについては説明していない。
「あずみちゃんは彼女じゃないよ」
男と勘違いされて告白されたが、振ったので彼女とは違う。違うんだ。
でも、そんなこと説明したら面倒なので詳細には話さない。
「えーそうなんでござるか。お似合いでしたが」
「お似合いってなんだよ。違う違う、あずみちゃんは……同志だよ」
「同志? 同じ志を持つ者?」
「まぁ、そうだよ。……自分で言っていてよくわからんな。要は友達だよ友達」
その友達と会うために、わざわざ予習をしにきている。
普通の友達ではないよな、それ。
よく見られたいと思っている。せっかくできた同志だからだろうか。確かに同性の、それも女性声優を推すオタクの友達は希少で、貴重だ。何よりあずみちゃんはすごくいい子で、
「つきましたよ、ハレ氏」
考えているうちに着いてしまった。
「さすがに緊張するな」
「ええ、でも逃げはしないですぞ」
「当たり前だ」
ビルの入り口がなんだか光って見え、その光に向かって足を踏み出す。一般人にしたら小さな一歩だが、オタクにしたら大きな一歩を踏み出したのだった。
× × ×
中は混雑していた。
整理番号で案内され、小さなフロアに入る。
大宮ではミニライブやトークショーはなく、CDオリジナルジャケットに目の前で唯奈さまがサインを書く、サイン会の形式だ。書いている間は唯奈さまとお喋りできるため、普通のイベントに比べて話せる時間が長く、言いたいことが言えるとのことだ。
「なぁ、灰騎士」
「緊張してきましたか、ハレ氏」
「緊張は当然あるんだけど、あのさ、いったい唯奈さまと何を話せばいいんだ?」
整理番号が10番台なので、俺たちの出番はすぐに来てしまう。
「思っていることを話せばいいんでは?」
「いきなり大好きです、神です、天使ですと言ったら引くだろ?」
「そんな常識がハレ氏にあったとは!?」
「なんだと思っているんだよ。灰騎士だって滴る汗がいい、ナイス二の腕とか言わないだろ?」
「あくまで紳士にですぞ、ハレ氏」
言葉の意味はわかるが、紳士にはなれないんだよな俺……。淑女と言えばいいのだろうか。
「唯奈さまの立場になって考えるでござる」
「なれっこない。だって天使だぞ?」
「それもそうでござるな……」
「何をいっても不敬罪で捕まる」
「それも我が人生。今日で終わるのも運命だったのでござる」
「嫌だ、今日で終わりたくない。だって武道館が待っているんだぜ」
「はっ、拙者としたことがうっかり。では、武道館楽しみにしていますでいいのでは?」
「無難だが、困ったらそれだな」
方針が決まったところで、スタッフが声をあげる。
「これから橘唯奈、ニューシングルリリース記念サイン会を始めます」
皆さま、拍手でお迎えくださいとスタッフが言うと、BGMが流れ出す。それに合わせ、俺たちも手を叩く。
そして、天使が同じ目線に現れた。
「こんにちは、橘唯奈です」
唯奈さまが近い。ライブ会場よりも断然に近い!
「わ~たくさんの人ね。今日は短い時間だけど、皆とお話できるの楽しみにしていたわ。よろしくお願いしますー!」
これ以上、さらに近づくことになるのか?
心臓の鼓動が早まる。
こうして、俺の初めての唯奈さまのリリイベ、接近イベントが始まったのであった。
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