七章 大切な友達

 私は自分の考えた事をどうにか纏めて教授に相談してみる事にした。勿論これらは私の思いつきで正解かどうかは分からない。私にはそれを判断出来るだけの知識が無いからだ。


 王女と祖母マギーは立場を超えた友達、いわゆる親友だった。

 王女が逃げる事を選ばずに処刑台へ上がる道を選んだのはマギーの為だ。恐らく王女が処刑台に上がる代わりにマギーの安全が確保出来る手段があった。それで王女は処刑される事になり、マギーは生涯苦しむ事になる。しかしそれ以上に幸せとなる確信が王女にあった。だから王女は処刑の際、微笑んで見せたのでは無いか?


 勿論これにはかなり問題がある。一つ目はルーシア姫の立場だ。仮にも王族である十三歳の少女が友人の為とは言え、犠牲となる事を良しとするのか。

 二つ目はそんな王女の立場に対するロジャーの存在だ。守るべき王族が危機へ向かう事を果たして将軍の息子のロジャーが良しとするのか。

 そして三つ目。

 残った最後の王族である王女が処刑される事でマギーの安全が確保出来るのか。王女が死ぬ事でマギーとロジャーが安寧に過ごせる様になるだなんて事があるのか。

 最後に――そんな友人の死を垣間見ても祖母は幸せに成れるのか、だった。

 そんな私の疑問に教授は少し考え込むと「あくまで可能性としてだが」と口を開く。


「――二つ目は一つ目の問題が解決すれば消滅する。王族がそう望んだのであれば騎士ならばそれに沿う形で実現を目指すだろう。そして一つ目の問題だが何よりもルーシア姫は庶子であって王族として認知されてはおらん。当然権力自体を持っていないし後ろ盾自体が無い。王族と言う名を持つだけの単なる十三歳の少女だと考えた方が的確だろうな」


 それは実質王族として扱われていないから、もしルーシア姫が望めば好きにマギーの為だけに命を賭ける事が出来るだろうと言う事だった。

 何せ幽閉されていただけあって痕跡自体が殆ど何も残ってはいない。王族の血を引いてはいるものの悪用されなければ放置されていたかも知れない。革命という事態によって最後の王族として捉えられたルーシア姫は皮肉な事に『革命があった』からこそ王族として認知される事となってしまったのだ。


「さて、三つ目だが。ルーシア姫が処刑される事により二人が安全になるのかと言うと難しい処だな。王族が全て死亡すれば革命は成ったと言えるが追捕の手までは止まらんよ」

 それはつまり例え全ての王族が死んだとしても生き残った貴族を追い詰める動きは止まらずにむしろ加速すると言う事だった。

 過度な興奮状態にある民衆にとって『革命の成功』は沈静化する要素ではあるがその直後は最大に加熱するそうだ。それは例えば燭台の灯が消える直前に大きくなる様に。そうなってしまうと貴族である二人にとってはむしろ危険な状況が生まれてしまう。


「もしルーシア姫が生き延びれば恐らく、散った貴族達が今度は王女を中心に集結し革命を起こした民衆への報復を考える。リーゼンも交流のあった王族を支援し、革命者は反乱軍として粛清を受ける。結果として長期的な内戦で疲弊し国が内外に弱くなるだろうな」


 教授の話したのは歴史では有り得ない『もしも』でしか無い。歴史とは既に終わった物であってそれを覆す事なんて絶対に出来ない事だ。きっと教授もそれを踏まえた上で話してくれているだけなのだろう。

 ただ、それでもルーシア姫は生きていても内乱の種にしかならないと言うのは聞いている私にとっては忌々しい話でしかなかった。もし王女が生きていても悪い結末しか迎えないと言う予想はこの世界に彼女がいる場所が本当になかったと言う事だからだ。生きているよりも死んでくれた方が都合が良い――そんな事はとても私には受け入れられない。

 テーブルの上に置いたカップを取って教授は一口だけ啜ってからゆっくり話し出した。


「ただ、実際の歴史ではルーシア姫の処刑直後にリーゼン王国軍が状況の収拾の為に動いていたから、この国は苦痛を感じる間も無く速やかにリーゼンによって沈静化された。生き延びた貴族もいるだろうが民衆はリーゼンの庇護下で報復を恐れずに済んでいるから、民衆もそれにわざわざ逆らってまで追捕の手を広げようとはしなかったのだろうよ」


 それは……ルーシア姫が処刑された事によって二人が安全になったのではないか?

 貴族への追撃が無くなると言う事は王女からみて充分に利点となり得る話だ。もし王女自身が犠牲になれば内乱の長期化も無くなるしリーゼン王国軍の行動によって民衆の暴虐な行為も抑制されて貴族が追い立てられる事もない。

 マギーもロジャーも二人とも貴族の身だ。マギーの家は確かに零落したがそれでも元は貴族の娘だから危険は否めない。ましてロジャーはハワード家の嫡子であり、有名人だったのなら必ず狙われる。

 もし王女がこの二人を救う為に敢えて処刑される選択肢を選んだのだとしたら?

 祖父母は、特にマギーは王女にとっては臣下でも侍女でもなく、『友人』だ。マギーの手記に書かれた王女の言葉にもそうはっきりと書かれている。

 思わず口走った私の推敲の言葉に教授は僅かに顔を強張らせた。


「いや、しかし彼女は王族だぞ? それにリーゼンが動いた事だって偶然でしかないし、それによって早期解決が実現しても偶然に頼りすぎていて実現するには……」


 教授はそこまで言うと顎を手で押さえて考え込み始める。目が大きく開いて何かの可能性を考えている様でもある。それでも私はそのまま自分の考えを口にし続けた。

 王女が王族でありながら実質王族の名を冠するだけの少女と言ったのは教授だ。それに王女はロジャーの教え子でもある。私には分からないが女の身でありながら戦略的な思考が出来てもおかしくない。ならリーゼンがやってくる事だって予想していたかも知れない。

 私がそこまで意見を述べた瞬間、教授の大きく見開かれた目が私の方を見つめた。薄っすらと唇が開くが声を出さないままで身動きしない。


 流石にそんな状況が暫く続き、私が何をどう言うべきか悩み始めた頃だ。突然教授が自分のテーブルの上にある呼び鈴を掴みとると猛烈な勢いで鳴らし始めた。そこから書類に書き殴る様に何かを書き付けて承認印を押すと暫くして駆けつけた職員に数言の言葉を話す。やがて手にした書類を封筒に入れて封蝋を施すと手渡した。

 それを私は黙ったままで見つめていたが何をしているのかさっぱり分からない。書簡を受け取った職員が足早に退出した後も私は呆としてその光景を眺めていた。

 教授は溜息を一つ付くと呆気に取られたままの私の顔を真っ直ぐに見て何がどういう事なのかを説明をしてくれた。


「リーゼン王家に当時の記録について問い合わせを出したのだ。リーゼン王国軍の行動はリーゼン王家に記録がある筈だからな。軍事行動の記録だから必ず残っている筈だ」


 教授は早口で少し興奮した様にそう言うがやはり私には何の話か分からない。大体何故この話でリーゼン王国が関係してくるのか理解出来ない。私は王女の行動の可能性について推測した事を述べただけであって、リーゼン王国がどうと言った話をしたつもりもないし王家に問い合わせだなんて望んですらいないのだ。

 しかしそんな首を傾げる私に教授は興奮を挫かれてしまった様にがっくりとする。それでも教授は呆れながらも丁寧に私に説明をしてくれた。


「……だからな? もし記録があればお前の推測通りだと言う事だ。ロジャー氏は将軍の息子であり、当時から名前もそれなりに知られていた。例え王女が認知されていない王族だとしても、将軍の息子が後見人なら話は変わる。彼らが行動していなければリーゼンの行動の早さに説明がつかん。リーゼンの行動は偶然でなく、誘導だと言う事になる」


 グリゼルマ王国での革命は春先の頃に発生した革命だ。そしてその収拾はリーゼン王国指示の元に行われたが短期間で完了している。もしリーゼン王国が革命の前後に察知して行動したとしても余りにも早過ぎるのだ。

 軍隊を動かすにはそれなりの手続きが必要で、更に兵士の日常で必要な食料や資材と言った『兵站へいたん』と呼ばれる物を準備しなければ軍隊は正常に機能する事はない。もしそれらを準備せずに入国したとすればいきなり増加した人口に対して食料から飲料水、兵士達の駐屯施設が圧倒的に足りなくなると言う事だ。

 そう言う事に私は詳しくはないが教授の説明で何とか理解する事は出来る。

 私のそんな反応に教授は満足した様だった。


「つまりそれ以前に情報が伝えられていたと考えるべきだな。しかしお前は女の身であってもやはりロジャー氏の孫だったと言う事だ。どうにも締まらない話ではあるがな?」



 そこから一旦休憩と言う事となって教授が手ずからお茶を淹れてきてくれた。

 余程機嫌がいいのだろう、鼻歌まじりで珍しくとても愉しそうに見える。


「しかしまさか、ルーシア姫が友人の為だけに命を懸けたとはな。私も王族と言う部分に囚われ過ぎて気付かなかった。本当にお前は天才なのか阿呆なのか、よく判らんな」


 私が述べた推測をさも真実であるかの様に教授は口にする。

 しかし私としてはいまいちその繋がりが理解出来ていないので戸惑うしかない。

 そんな曖昧な笑みを浮かべる私に教授は私の目的について言及し始める。ルーシア姫の汚名を雪ぎ『悪姫』の童話を塗り替える事についてだ。幾ら歴史の上で真実が改訂されてもそれをどうにかしなければ意味がないのだ。


「しかし、伝承と言う物は相当に厄介だぞ? 親から子へ受け継がれる物語とは予想以上に強固な上、口頭伝承だから人の口を塞げん。一度成立すると拭えないし真実とは別物として存在し続けるからな。『消す』事は不可能と考えた方がいいとは思うぞ?」


 教授はそんな風に困った様に言うが私としては絶対に諦められない事だ。全く分からないあの状況からやっとここにまで辿りつけたのだ。今更後に引く事なんて出来る筈はない。

 祖母の手記は残り一つ、これを読み終えても母の手紙を待つ必要もある。他にもあの家に戻ってルーシア姫の遺品である遊技盤も確認しなければいけない。まだまだやる事や出来る事は沢山あってそれをこなすしかない。

 幼い頃から私は祖母を苦しめてきたのかも知れない。ならばその償いとしても祖父母と王女が安心して眠れる様にしなければならない。


 教授の話を聞く限り、どうやら歴史書の記述だけは少なくとも改訂出来そうな処まではきている様だから、このままどんどん進めていくのが一番いい。そうやって作業をしている間はまだ辛いと感じる暇もなくて私には丁度良い。

 私は教授にそう言うと最後の手記に手を伸ばした。教授は溜息をつきながらも私に付き合う様にテーブルに向かって座る。ここまできたらもう最後に辿り着くまで進むしかない。



○マギーの手記・その一四


 果たして私は幸せになっていいのだろうかと随分悩んだけれど、それでも同じくあなたの事を知っているロジャーと一緒になる事でとても救われたのよ。


 子供が生まれて、大きくなって、家を出ていって。

 そんな彼もとうとう一昨年の初めに先にあなたの処へ旅立ってしまったわ。きっとあの人の事だからさんざん道に迷う事になるんでしょうけれどそれでも最後にはあなたの処に、ルウの元にちゃんと辿り着けると思う。

 昔よく一緒に遊んだ王宮の花園の中でやった追いかけっこの時の様にね。

 あの人はきっとわざと私達を見逃してくれていたのだと思うわ。


 末の娘の子供、孫のアネットが最近よくうちに泊まりにやってくる。

 あの子を見ていると小さいあなたの事を想い出すわ。

 昔はただ辛かったのに、不思議な物で最近は懐かしいと思える様になった。

 ただ、アネットも幼かった頃のあなたの様に喘息持ちで身体も少し弱いから、丈夫になってくれると良いのだけれど。小さい内はそう言う事はよくありますからね。

 あなたが眠る時の様にアネットも愚図ってお伽話をよくせがんでくるからつい、誰にも話すつもりも無かったのにあなたのお話をしてしまうのよ。世間ではあなたはまるで悪者の様に酷い言われ方をしているのにね。


 だけれどせめて一人位には本当のあなたの事を知っていて欲しいとも思う。

 あなたを悪く言う人だらけでは悲しいものね。

 ルウ、本当にごめんなさいね。

 あなたが言った通りに私は愚か者だわ。




 一昨年に祖父が死んだ――と言う事は今から二十三年……いや、二十四年前だろうか。

 祖父が倒れてから亡くなるまでの間、私は母と共に祖母の家に赴いていた。私の家は家計が楽ではなく父親だけでなく母親も仕事に出る為だ。その為に預けに行かれた時マギーが祖父を看ていたのだ。私が幼い頃に喘息持ちだったのは知らなかったが、考えてみれば祖母の家は周囲が緑に溢れていて空気も良い事が理由だったのかも知れない。


 その頃といえば特にルーシア姫の物語を話して貰っていた頃だ。

 祖父のロジャーが亡くなった後で私が行ってもいつも二人だったから幼心に寂しそうだと感じていた事もあって余計に昔語りをせがんでいた憶えがある。

 それが実は余計なお世話だったのではないかと気を揉む事となった訳だがこの手記に書かれている印象ではむしろ祖母は私に話す事を望んでいてくれた様にも見える。

 もし祖母を苦しめていなかったのであればそれは私にとっては一番いい事だった。


 それよりも最後の二行の言葉が謝罪と自嘲の言葉だと言うのが気になった。あれから随分と時間が過ぎた様に見えるがこれは何に対する謝罪なのだろうか。

 ルーシア姫が『悪姫』と呼ばれる様になったのは祖母が王女の首を持って逃げた事が恐らく大きな理由となっているのだろうが、何もそれだけが原因と言う訳ではない。

 私に話してしまった事を謝罪しているのだとしたらそれ自体意味がない事だ。思い出を語る事が悪い事だなんてある筈がないのだから。何に対して謝罪しているのか分からずに読みなおした時、私はやっと気付いた。


――これはマギー自身が幸せを感じている事に対する謝罪だ――。


 これを書いた時にマギーが感じた幸せに対する自己嫌悪の言葉だった。王女が処刑されて命を落としたのに自分だけが幸せになって良いのか――恐らくそんな葛藤からくる懺悔の言葉なのだろう。

 ルーシア姫は確かにマギーを救いその為に自分の命を使ったのかも知れない。しかしそれはマギーに呪いを掛ける事にもなってしまったのだ。例えマギーが生き延びて幸せを感じたとしてもその瞬間に過去の記憶が蘇る。

 そうして幸せを感じると同時にルーシア姫の事が浮かんでしまっていたのだろう。

 今自分が感じている幸せは王女という友人の犠牲の上に成り立っている――そう考えて幸せに感じる自分自身を嫌悪してしまうのだ。


 私の推測が正しく真実だとしてもルーシア姫は最後の選択を間違えたのだ。

 マギーの話してくれた王女は『死ぬ事を誇りとするな』と言っている。それなのに彼女は自分で言った事と真逆の行動を取ってしまった。王女がロジャーに語った通りそれは生き残った者に呪いを掛ける。共に生きなければ生き残った方に必ず傷を残してしまうのだ。

 あの騎士の名誉についての昔語りがまさかそんな意味を持っていたと気付いていなかった私はこの考えに至って初めてその理由を理解したのだった。

 王女は十三歳で処刑されているからあの物語はそれより幼い頃の逸話なのだろう。それを幼い王女様が理解していたと言うのは驚くべき事だ。もしかするとルーシア姫は幼い内にそんな実経験があったのかも知れない。でなければそんな幼い頃に理解する事なんて出来ないだろう。そして私はやはり何も分かってはいない未熟者だと言う事だ。


「――まあ、分からんではないがお前は感情で物を見過ぎている。だから底が浅いのだ」

 余程酷く落ち込んで見えたのか、またかと言った様相で教授が溜息を付いた。


「騎士が死ぬ事を誇りにしていると言うのは結果論なのだ。最善を尽くすのは当然としてそれでもどうしようもない時、守らねばならない物の為にどうするかと言うだけの話だ」

 そういえば教授は元々リーゼン騎士の家の出身だった。だから私が話したこの騎士に関する逸話については思う処があるのかも知れない。


「もし、それが命を賭けてまで成す事でなければ誰も命を賭けんよ。ルーシア姫だって死にたくはなかったろう。しかしそれでも己の命を懸けてでも成し遂げたい事があったのだろうな。ほんの十三程度の娘が、勇気を幾ら振り絞っても追いつかなかっただろうに」


 それだけ言うと教授は何か感じ入った様に目を閉じる。しかし私にはそれでも納得が出来ない。王女が元々言っていた様に共に生きる努力だってする事が出来た筈だ。それにもし生き延びれば最悪を回避する方法が何か見つかったかも知れない。

 私にとってはまるで憧れていた王女様に裏切られた様な気分だったのだ。しかしそんな思いを口にした私は教授が見せた顔を見て言葉が出せなくなった。

 教授は本気で怒っていた。表情には感情の温度らしい物が全く見えない。いや、温度は見えるのだ。重く冷ややかな目の光がそれを物語っている。子供が大人に本気で叱られて黙り込み身を縮こませる様に私も何も言えない。そこに責める様な色は見えない。やがて教授は静かに口を開いた。


「お前は莫迦か。望み、願えば何でも叶うのか。叶えられるのは、覚悟をした者だけだ」

 教授の響く声に呼吸の為にすら動く事を許されない様な錯覚を憶える。それは本能的に感じる恐怖の様な物で頭の芯が鈍く痺れて全身が総毛立った。教授がこれ程怒ると言う事は恐らく私は取り返しの付かない事を言ったのだ。教授は暫く私を見つめると溜息をついた。それと同時に私は緊張から解放される。


「……命を懸けてでも成し遂げたい事がある時、人は覚悟を決めるのだ。それには成功も失敗もない。自分と言う存在を賭け、例えそこで自分という存在が潰えるとしてもせねばならん事があるのだ。ルーシア姫は命を賭けたのではない。覚悟を決めたのだ」

 それだけ言うと教授は黙って再びペンを走らせ始める。その前で俯いたまま私は震える肩を押さえている事しか出来なかった。


 先程言われた教授の言葉が私の頭の中でぐるぐると回り続けている。ルーシア姫は命を懸けたのではなく覚悟を決めたのだと教授は言った。

 覚悟を決めると言うのは『強い決意を以って物事に当たる』と言う事だ。

 だけど私はただ単純にルーシア姫に命を懸けて欲しくなかった。その為にマギーは深い心の傷を受けて生涯苦しむ事となってしまったから。


 じゃあもし、命を懸けて王女がマギーを守ろうとしなかったら――。

 そう考えた時私は自分の中の矛盾に気付いて項垂れた。もしそうすれば王女は助かったかも知れないがマギーは駄目だったかも知れない。それも私が考えた可能性と同じで絶対に無かったとは言えない。何よりそれは王女自身が望んだ事を否定する事になってしまう。

 たった十三歳の少女であるルーシア姫が死を恐れなかった筈はないのだ。民衆が王女に死を押し付けた様に、私は王女様に願いを押し付けていたのだ。

 王女様が私を裏切ったのではなく、私が自分の中の王女様を裏切っていたのだ。

 そんな私の姿をちらと見て教授も気不味くなったのか深い溜息をついた。


「まあ……私も悪かったな。お前が何とかなって欲しい気持ちも分かるがその時、それしか出来なかったのだ。ルーシア姫はお前の祖母君を救う為に覚悟を決め、恐らく誰にも出来ない最善の一手を打ったのだ。だから……ええい、もういい加減に泣き止まんか……」


 教授は困った顔をしながらそんな事を優しく言ってくれるが涙が止まらない。

 人間とは本当に恐ろしいものだ。何も知らずに知ったつもりで考えてしまう。王女が教授の言う『覚悟』を決めた事をさも分かった様に思ってしまう。ロジャーや教授が言う騎士や『覚悟を決める』とはそう言う事だったのだ。それを分かっていないと本当に大切な物を失くしてしまう気がする。だから私も二度とこんな事は考えまいと心に誓った。

 けれど謝罪の言葉を繰り返しながら涙を零す私を見て教授はまたしても溜息を付く。


「だからすまなかったと言っている……全く、これだから女と言う奴は……」

 教授はそんな風に悪態を付きながらもそれ以上は何も言わなかった。



 そろそろ夕暮れ時なのか司書院の中にある研究室にも鐘楼の鐘の音が聞こえる。長い時間建物の中にいた所為か時間感覚が少しおかしくなっているみたいだった。


 今日来た時に教授が言った通り、人の想いが宿る物は読む者の心もかき乱す。特に私は祖母マギーに強い思い入れがある所為かとても影響を受け易い。


 司書院で仕事をやる上では不都合の方が多い気もするが、教授曰くそう言った感性を持ちあわせて居なければ成立しない物事もあるのだと言う。今回の様な件がその例で、逆に男性の教授では気付けない事も多いそうだ。

 こうしてみると私の様に司書院で働く女性職員がかなり散見されるのもそういった感性や女としての性別の違いが必要とされる案件もあると言う事なのだろう。

 そんな事を考えていると女性職員が気を利かせて簡単に食べられる物を準備して持ってきてくれた。そう言えば昨晩から全く食事を摂っておらずお茶しか飲んでいない。

 座り続けて作業だから大丈夫なのだろうが立ち仕事なら保たなかっただろう。同様に教授も何も口にしていない筈だがどうしてこんなに太っているのだろうか。そんな取り留めもない事を考えていると教授が書類を纏めて話を切り出してきた。


「――さて、これで全ての手記を確認した訳だ。途中にも尋ねたな? これらの順番はお前が落とした結果で順番が入れ替わっている可能性がある。それで間違い無いのだな?」


 そう言われて私は短い返事と共に頷いた。この手記は祖母の寝室にある棚から落とした物だ。中で紐が解けてしまっていたのか床へ全てを落としてしまい私が拾って纏めた。

 手記を読む限りでは順番自体は間違っているとは思わないのだが教授から見るとどうやらおかしく見えるらしい。特に細かく確認の質問をされる事となった。

 こう言った物はその性質上、正しい順番が非常に重要だと言う事だった。


 そもそも手記とは日記とは違い連続して記述されていく物ではない。その分書き手の思考の変化が大きく、より顕著に現れてしまう。そこまでは私も研修で学んだ事だから判っているつもりだ。しかし教授はまるで学院の頃の様に私にレクチャーを始めた。


「良いかね。この手の物は正しい順番でなければ著者の精神状態が反映されん。今回の場合では内容の時系列より記述した時系列の方が重要だ。お前は全て読んでどう感じた?」


 私は教授に言われるままに正直に感想を考えて述べる。

 教授が言う程に内容は破綻していない様に読み取れたが感想として言えば祖母マギーの精神状態が最期まで後悔を残していて後味が悪いままで終わった印象が強い。最期の瞬間までマギーには王女に対する後悔と罪悪感を抱いている様にも見える。

 そんな私の感想を頷きながら聞き遂げると『では授業の開始だ』と教授は宣言して教授自身が書き写して注釈の書かれた倍以上の紙束がテーブルの上に置かれた。


 先ず手記の中で書かれている『ロジャー』に対する呼称がそれぞれ違っている。例えば『ロジャー』と『先生』という違う立場で呼称する物が混じっていた。これらはロジャーとマギーの結婚が区切りで、その前後で呼称が変わっている。未婚の時は『先生』、結婚後は『ロジャー』と表記方法に違いがあるのだ。

 次に書かれた内容。これは私も薄々気付いていた事だ。過去を思い出しながら書かれた物と現在進行形で記述された物が混在している。これは手記の特徴で書かれた時と内容が一致しているとは限らない為だ。


 この場合分類する為の判断基準が幾つか存在している。書かれた物、例えば『紙』の年代を分析する事が一つ。そしてもう一つが著者の文字の変化だ。

 マギーは十三歳の頃から記述を開始している為、筆跡の変化から順序を推測出来る。

 これらの事から正しく記述された順番を特定しないと正しく分析が出来ない。例えば私が読んだ順番は時系列は正解に近いが著者の精神状態がおかしくなる。逆に書かれた順番で見ていけばそういった精神状態の破綻が無くなるのだ。


「――さて。では私が分析した結果を見せてやろう。我々の仕事は普段は書類の整理が主体となるが、調査を行う場合はこういった手法が必要となる。憶えておくと良い」


 そう言うと教授は祖母の手記の順番を次々に入れ替え始めた。それと同時に教授が複写した物も同様に並べ替えていく。教授は何も私の感傷に付き合ってくれた訳ではない。この司書院で司書管理官の業務の実践としてマギーの手記で分析を教えてくれているのだ。


 教授の書いた書類を見てみると数字やメモが書き込まれている。

 二人で読みながら教授は順序に疑問を持って正常な順番を調べていたのだ。

 やがて幾らかの時間が過ぎた頃、教授の手の中には新しい紙束が出来上がっていた。

 テーブルの上で複製の方を揃えると何も言わずに私の前に置いて見せる。これは恐らく読めと言う事なのだろう。私は教授が新しく並べ直した手記の複製を新しい順番で目を通してみる。一度全てに目を透しているからすぐに読み終えたが私はとても驚いた。内容自体は順番が入れ替わっただけで変わらないが受ける印象が大きく違っていたのだ。


 大まかに言えばマギーはやはり苦悩している事実は変わらない。

 しかし感情の流れが緩やかに変化して後半に向かうに従って穏やかになるのだ。書かれた内容の時系列はばらばらだがマギーの姿がはっきりと見えてくる。

 私が最初に拾い集めて並べた順番――これまでに読んだ順で言うと、こうなる。


――六、七,八,十、九,十二、十一、十三、十四、一,二,三,四,五――。


 それが教授が調査を行って並べ直した手記の新しい順番だった。読み終えた時にちゃんと私が知っているマギーの姿へと変化していく。驚いた顔で手元の書面を眺める私を見て教授は満足そうに笑みを浮かべた。


「――エヴァンス、お前の順は内容の時系列は正しいが著者が躁鬱を繰り返す事となって不自然だ。元の順番が二つの流れに入れ替わっただけで違和感も生じにくい。新しい順番、つまり元の書かれた順であれば古い程辛く悲しい記憶だが、新しくなるに連れて楽しかった思い出や明るい話題へ言及する様になる。特にお前の名が出た処から顕著になった」

 そんな教授の解説を聞いて私は俯いていた顔を上げて教授の顔を見つめる。


――私の名前が出てから、マギーは穏やかになった?

 そんな愕然とした私の目を見返して教授は愉しそうに笑った。


「そう言えば、まだ答えていない質問があったな。確か『お前の祖母君は愛した友人の死を見た後でも幸せに成れるのか』、だったか? それにも答えてやろう」

 それだけ言うと教授はかつての研究室で見た様に胸を張って見せた。


「――愚かで泣き虫な『小さなアニー』。お前と過ごす事で祖母君は穏やかになり幸せを感じる様になった。王女との楽しい思い出を思い出せたのはお前がいたからだ。お前がいたお陰で祖母君は幸せを感じられた。最期に悪夢は見ているがそれでも逆に王女を責める余裕さえ見える。だから――ええい、何故また泣く!? いい加減にせんか!!」

 結局私は教授の説明を終わりまで聞く事が出来ないままで泣き出してしまっていた。


――嬉しい。本当に嬉しい。良かった。本当に。私はマギーを苦しめていなかった。

 マギーは私と同じだった。一緒にいて嬉しいと。そう同じ様に想ってくれていた。

 そう想ってくれていたんだ――。


 嬉しくてこんなに涙が出る物だなんて私は今まで知らなかった。

 私はとても怖くて悲しかったのだ。私がいた所為で最後までマギーは苦しみ続けたのではないかと怯えていたのだ。もし私が王女様の物語をねだっていなければ祖母は苦しまなかったのでは無いか、と。そんな考えが昨日の祖母の家で手記を目にしてからずっと今まで渦巻いていた。それは愛する者にとんでもない事をしてしまった後悔と自覚だ。


 私が祖母の元を初めて訪れたのは五歳になる頃だ。それから初等学舎へ上がるまでの間、ずっとあの家を訪れていた。三年弱の間、あの家にいる間は毎晩の様に祖母に昔語りをせがんでいた。それどころか学舎に通う様になった後も度々訪れては話を聞いていた。

 手記を読んでからその全てが大好きな祖母を苦しめ続けたのだと後悔していたのだ。


 ずっと泣き止まない私に教授はハンカチーフを差し出し、私はそれを借りる事にした。

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