第3話 カンサス~エルパソ~ダラス~メンフィス
アムトラックの電車の中でトイレに行ったのだが、横のブースで、白人の若いの三人と白人のお爺さんが、話していた。そして、私が彼らの方を見ると、そのお爺さんは、いぶかしげな眼で「 お前、アメリカに何しに来た?」と言った。
私は、観光ですと答えようとして、"seesighting"です言ったら少し間が空いて、その若者の一人が人差し指を上に向けて”sightseeing"と言った。緊張してサイトシーイング(観光)がシーサイティングになった。すぐに席に戻ったが尋問みたいだと思った。あの年頃からすると朝鮮戦争に行っているかな。白人には、日本人も、韓国人も、中国人も見分けがつかない。ちなみにカンサスは、カンサスと発音しても通用しない、キャンザスと言う。
アムトラックの中では、カンサス大学の都市計画の先生と知り合いになった。彼は、ニューオリンズのマルディグラというバカ騒ぎのお祭りからの帰りであった。マルディグラについて知りたい人は、ググってみてください。
電車の中で、私は、先生にどうしてカンザスに来たのか?という問いにうまく英語で答えられなかった。答えは、アムトラックの座席の予約が満杯でカンザスで一旦、下車しなければならなかったことなのだったが、MTV(ミュージック・テレビ)で見ていたカンザスというバンドも好きだったので、それで来たと言っていた。
カンサスに到着後、先生に町を案内してもらった。ホールマーク(Hallmark)というグリーティング・カードで有名な会社の本社や、市場を案内してくれた。また、あるレストランを指さして「このレストランは、マフィアが経営していたんだけど、商売が上手くいかなくなり閉じたんだよ。そして、今、売りに出しているんだけど、買い手がつかない」、と言って笑っていた。
ホールマークでは、本社の受付の人の良さそうな女性のところに二人で行き、先生が話しかけた。都市計画の先生をしているので面識があるのかなと思ったが、そうでないのかもしれない。分からないが、先生は「彼は、バンドのカンサスが好きでカンサスに来たんだよ」と、言ってほほ笑んでいた。女性も、あら、そうなのといった感じで笑顔でこたえていた。ハートランドと呼ばれる中西部は、人々が、ほんわかしていていい。そんな印象を持った。
長距離バスのグレイ・ハウンドにストライキが起こり、バスの利用者がアムトラック鉄道に流れてきていた。そのため、アムトラックのチケットを押さえるのが困難になっており、私は、行く先々で長時間の電車待ちを余儀なくされた。
先生と別れて、カンサスの待合室にあるコンビニで、サンドイッチを買っていると、黒人のおっちゃんに、俺の分も買ってくれとせがまれた。もう、何日も食べていないのだと言う。じゃあ、仕方ないから買ってあげようとすると、おっちゃんの嫁ハン、子供も現れて私らの分も買ってとなった。
えっ、そんなにいっぱい?ちょっと、ちょっと聞いていないよ、どうしようかなと迷っていると、私の後ろの白人の若いビジネスマンが、彼らに買ってやる必要はない、だから店としても売らないでくれと断りを入れてくれた。その後、その若いビジネスマンの家に招待された。800万円くらいで一戸建ての新築の家を購入しており、うらやましく思った。彼は、クレジット・カードの会社で働いていたが、生活にゆとりがあるように見えた。新婚の奥さんとレストランへ食事に行って、私たちはハンバーガーを食べた。
当時の日本は、土地バブルでサラリーマンが一生働いても家は買えない時代だった。私はカンザスの人柄の良さ、また、彼の家を見てアメリカに将来的に移住する気持ちを持ち始めていた。と言うか、アメリカで裸一貫やりたいという気持ちは以前からあった。
今度は、テキサス州のエルパソに移動。 グレイハウンド長距離バスを利用したのだが、フロントガラスには銃弾の跡があった。バスは、管理職員が運転していたが、運行に抗議した従業員が抗議して撃ったのだ。従業員は、依然ストライキを続行しており、再度撃ってくる可能性もあったが我々のバスは問題なく出発できた。
しかし、エアコンが故障して冬なのに暖房が入らず冷房が入っている。ただでさえ寒いのに、冷房入れてどうするんだ。一晩中、寒さと戦いながらのバスの旅だった。また、後部座席からマリファナの香りがしてくるという何ともワイルドな旅でもあった。しかし、不思議なのは、私は初めてマリファナの香りを吸ったが、それがマリファナだと分かったことである。
エルパソでは、安いホテルに一泊し再度グレイ・ハウンドを利用して、次いで、ダラスへ。 ダラスは、ケネディ元大統領が凶弾に倒れた街だ。ここでは、高層ビルの屋上に上がり、町の全体を
ホテルに泊まる金をセーブするためにバス停に長時間滞留した。ホームレス風のブラザーが多く、私がイスに座っているとこのイスは俺の席だと文句を言ってくる人もいた。そして、テネシー州メンフィスへ。ここでは、公民権運動の中心的役割を担っていたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが凶弾に倒れている。このメンフィスでは、駅でレベッカと言うヨーロッパから来た女の子と知り合いになった。
「僕は日本から来たんだけど、君は?」
「私は、ベルジウムからよ」
「ベルジウム?」
「北ヨーロッパの国なんだけど」
「知らないな」
ベルギーなのであった。彼女とは、エルビス・プレスリーのグレースランドへ遊びに行った。 ピンク・キャデラックの前でお互いの写真を撮ったり、フランス人の女の子も二人合流してランチを食べに行った。しかし、南部でアジア系の私が白人女子3人と食べているのは、やはりタブーだった。
あたりを見回すと、店の料理人も食事していた客も、案の定こちらの方へ厳しい視線を向けていた。ただ、彼女たちは、そんなことを気にせずに食事をしながら、英語でしゃべりまくっていた。ヨーロッパの女の子だから、南部の事情にうとかったのかもしれない。
メンフィスは、ブルースが盛んなのだが、私はこの時点ではまだ目覚めておらずライブハウスには行かなかった。これは、実に惜しいことをしたものだと思う。ここも一日宿泊して今度は、ワシントンDCへ移動するため向うため明け方駅へ向かったのだが、ヒッチハイクをした。ドライバーは、年配の中年の白人男性だった。
「お前、どこから来たんだ?」
「日本です」
「お前、駄目だよ。ヒッチハイクなんか気軽にしちゃ。アメリカでは、誰も信じるな!信じられるのは、自分だけだよ。分かった?」
「分かりました。ありがとう」
まあ、言いたいことは、分からんでもないが。そして、私は彼がハイウェイに戻るのを見届けて、駅の中に入った。
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