第2話 ユースの菩提樹氏
金がなくなったので、我々は、翌日日本人バックパッカーが集まる宿泊費の安いユースホステルに移ることにした。その名を愛隣ユースホステルといい、
一泊千円で、二段ベッドが四台あるドミトリーに部屋に入った。ドアを開けるとお釈迦様がその下で悟りを開いたとされる
「はじめまして」、と長いあごひげを撫でながら、菩提樹氏は私たちに語りかけてきた。
「はじめまして。俺たちフェリーで知り合いになったんです。それで、昨日釜山に入ったんですよ。韓国人のサラリーマンと一緒に飲んで睡眠薬強盗に遭いましてね」と、医学生。
「アジアじゃ、現地の人と一緒に飲みに行って、お酒に睡眠薬入れられて、昏睡したスキにお金盗まれることよくあるよ」
「実は、俺たちも昨日それは、頭の片隅にあったんですけどね。睡眠薬というより、麻酔薬に近いものだと思うんですよ。しかし、トイレに行ってる短い時間に仕込むとは思いませんでしたよ」と、また医学生。
「まあ、俺も結構東海岸では、ボラれたけどね。でも、ダメだと思うんだよね」
「反韓感情でしょう?」と、またまた、医学生。
「そう。若い奴らに、そんな感情抱かせるのって、これからの日韓交流の芽を摘んでいるようなもんじゃん」
「そうですよね」と、医学生と私は、深くうなづいた。
「ところで、俺、アーミージャケットにジーパンって、カッコしてるじゃない。それで、バスの中で多分、徴兵に行っている韓国人と勘違いされて爺さんに韓国語で話かけられたんだ。でも、韓国語分からないから、日本語で返事したのね。そしたら、ものすごい剣幕で怒っちゃってさ。多分、日帝時代の恨み言だと思うんだ。やはり、対日感情悪いね。でも、ソウルは良かったんだよ。富田靖子に似た日本語通訳の女の子と仲良くなってね。富田靖子だぜ、富田靖子!信じられないだろう、君たち!」
北海道出身の菩提樹氏は、当時27才だった。大学受験に失敗し、代々木予備校に通っていたが、半年たったところで、突然「こんなしてちゃイカン」と思い、旅に出た。私が、「どうしてですか?」と聞いたら目を三角にして、「18、19の一番楽しい時期に、詰込み型の受験勉強するほど、バカげたことはないと思うよ。それより、世界を二年放浪したら大学に入れてくれるとかさ、そういうのが良いと思うんだよね」と答えた。
彼は、アルバイトでお金を稼ぎながら、日本と世界を長い間放浪した。特にインドは、長く一番大きな影響を受けたという。結局、2年前に帰国し、愛知県の日本福祉大学の学生になった。私は、この後、アメリカに行くのだが、なぜインドに行かなかったのか今も悔やんでいる。
「あーあ、俺も就職のころには、30か。でも、一般企業には入らない。公害出すから」、と菩提樹氏。
私も、ちょうど、そのころ環境問題について考えており、就職をどうするか悩んでいたので、この人は、面白い人だなと思った。そんな菩提樹氏だったが、驚くことに釜山にも、女子大生の女友達をつくっていたのだった。
「これが、その彼女」と言って、見せてくれた写真の中で、階段に腰かけたロングヘアーの若い清楚な女性がほほ笑んでいた。
「どうやって、知り合いになったんですか?」、と私。
「いや、横断歩道を渡ってたんだよ。そしたら、彼女がすれ違いざまに笑ってね。それで、追いかけて行って、なんで笑ったんだって聞いたんだ。それから仲良くなってね」
私は、菩提樹氏はハンサムだからいいな、と思った。とにかく、彼は私にとって、強烈なインパクトを与えた人だった。
夕方になったので、モツ鍋を食いに行こうよ、となり菩提樹氏、医学生、天理大学で朝鮮語を専攻していた学生と私の四人で、ユースを出た。すると、併設された建物の中から、聞き覚えのあるハード・ロックの曲が大音量で流れてきた。ボーカルをとっていたのは、女性だった。
“HERE I AM”
“ROCK YOU LIKE A HURRICANE”
“COME ON, COME ONE, COME ON‼”
菩提樹氏と私は、顔を見合わせた。
「スコーピオンズだ!」
キャラレリ、キャラレリ、キャラレリ、キャラレリ、クォーラ、クォーン♪
「おっ、ギターソロ、頑張ってる、頑張ってる!」
会場を覗いて分かったのだが、結婚式の披露宴でこの曲を演奏しているようであった。韓国では、ハードロックが演奏されボーカルが絶叫している。私は、熱い国民性を見たような気がした。
まちに出て、みんなで、店先に出ているテーブルでビール飲んでモツ鍋を食べた。甘辛いスープがうまかった。その後、政府公娼の緑町を見に行った。ガラスウィンドーの中で、チマ・チョゴリを着た若い女性が、お茶を飲んだり、爪にマニュキアを塗っていたりした。
客引きのおばちゃんが、関西弁で「お兄ちゃんら、どこから来たの?」と嬉々とした顔で両手をひろげて抱きついてくる。すると、菩提樹氏が彼女に捕まり、店の中に引きずりこまれてしまった。オイ、どうするよコレ?とみんなで相談していたら、10分ほどして出てきた。中の様子が見たかったとの事だった。
ユースに戻って、ビールを飲みながら、タバコを吸っていると、菩提樹氏が、「さっき俺がおばちゃんに捕まって中に入れられた時、みんな俺の事どうしようと思ってた訳?」と、少し怒った口調で聞いてきた。
他の二人は、答えに困ってうつむいてしまったので、私がとっさに「10分経っても出てこなかったら、もう帰ろうと相談してたんや。菩提樹さんの意志もあるし」、と言ったら彼は笑っていた。
また、菩提樹氏が「ところでさあ、朝、俺がユースを出る時に、日本人の女の子が二人公衆電話で『おかあさん、大丈夫だからね、大丈夫だからね』って言って泣いてるのを見たんだ。俺、あれ多分、ホラ、あの新興宗教の統一教会の合同結婚式じゃないかと思うんだよね」、と言って真顔になった。私は統一教会をまったく知らなかったので、合同結婚式があることも知らなかった。
飲んでいたビールの酔いを少し冷まそうと、窓を開けてベランダに出ると山の斜面から港にかけて無数のブルーライトが、暗闇に浮かんでいた。それを見て、私は思わず息を飲んだ。うわっ、外国だなと思った。
もつ鍋を一緒に食いに行った天理大学の学生は、韓国のエキスパートだった。次の日、医大生と私のガイドをしてくれた。彼は、違法なのかどうかは分からないがコピーされたテープを売っている店に連れて行ってくれた。そこで、私は、グローバー・ワシントン・ジュニアとアル・ディ・メオラのテープを購入した。また、彼はサムゲタンという鶏肉の入ったスープを出す食堂にも連れて行ってくれた。薬膳料理で辛くなく、おいしかった。
菩提樹氏は、写真を撮るために単独行動をしていた。旅慣れた人は、違うなあと思った。帰国は、確か天理大学の学生と私で一緒に釜山から大阪へのフェリーを利用したと思う。フェリー内で。お土産に買ったキムチが発酵していて大きく膨れ上がっていた。
私が、帰国して数日後、菩提樹氏から電話があった。大阪に着いたので会わないかとの事。私は当時乗っていた、ヤマハのオフロード・バイクですぐさま出かけた。菩提樹氏や天理大学生、そして医学生は、なんとも魅力的な人であった。彼らとは、また、ぜひ会ってみたいと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます