繁殖期のアラクネ
北山双
繁殖期のアラクネ
目障りだ、という理由で今日も酷く痛めつけられた。とりわけ今日は酷かった。
最終的にはいつもの様に体育倉庫に放り込まれ、僕はそのまま蹲っていた。頭も体も痛くて動けない。
しばらくすると、奥から衣擦れのような音が近づいてきた。体を起こそうとしたが痛くてどうにもならない。そのうち、何かが僕の体を掴み倉庫の奥へ引きずりこんだ。
「かわいそうに、こんなに痛めつけられて」
低く優しい声が耳元で聞こえる。言葉は理解できるが、声の響きがヒトのそれとは違う気がした。薄く目を開けると、6個の黒光りする目らしきものと視線がぶつかった。
―蜘蛛の目?
不思議と怖さは感じなかった。体の輪郭を取るように触れる脚は羽のように優しく、横たえられた糸の褥は、ひやりと吸い付くようで心地よい。
ぼんやりしたまま目を瞑っていると、8本の脚にそっと抱きしめられた。頭上から降りてきた触肢と大きな牙が首と頭を固定する。
首に牙の切っ先が触れ、僕は震えた。
「大丈夫、安心して。傷を治してあげるから」
また優しい声がした。そして、触肢が唇をこじ開けて入ってきて、喉の奥へ温かく粘ついた液体が注ぎ込まれた。
口腔に甘い匂いと味が溢れ、唇の端から涎がこぼれてしまう。僕は与えられた液を飲み下しながら陶然として呻き、両腕を支えている前脚にしがみついた。彼女は、いけない子、そんな淫らな顔をして、と笑った。
「ほら、もう痛くないでしょう」
触肢を引き抜きながら彼女が言った。鳩尾へ下っていった温かさが全身へ染みわたり、痛みが薄れていく。僕は頷きながら深く息を吐いた。
巣の中は薄暗くてはっきり見えないが、確かに彼女は蜘蛛のようだ。まだ僕を抱えている脚はふさふさしたプラチナ色の毛で覆われている。指先を毛に埋め、そのまま毛並みに沿って指を滑らせてみる。くすぐったい、と耳元で笑い声がし、また深く抱きしめられた。
「ヒトの男の子なんて、って思っていたけど…この子なら……」
半ば独り言のように呟く彼女に、どういうこと?と尋ねてみる。
「私のために美味しいごちそうを持ってきてくれたら教えてあげる」
「ごちそう?虫とか?」
「いいえ。貴方と同じくらいのヒトがいいの」
彼女のために、ごちそうを調達するのは簡単だった。
翌日、僕は毎日僕を痛めつけるクラスメートに何か話があるふりをして倉庫へ誘い出した。
相手は大方、僕が復讐のために何かしようと思っていたのだろう。4人の仲間まで連れてやってきた。僕は苦笑いをしつつ一緒に中へ入り、奥に呼びかけた。
「ねえ、連れてきたよ。ごちそう」
微かに衣擦れのような音がし、銀色の光が奥から飛び出す。煙のように糸が宙を舞い、一瞬で4人は絡めとられて一塊と化した。それを大事そうに彼女は抱え、巣穴へと引きずっていく。
繭状になっている白い巣の中を覗くと、彼女は塊を太い牙で抱え込んで消化液を溢れさせ、ゆっくりと味わっている所だった。悲鳴も聞こえず、血も流れない。聞こえるのはなまめかしささえ感じる濡れた咀嚼音だけだ。
「美味しい?」
「ええ、とっても。久しぶりだもの」
それから、3日後にきっと皮を脱ぐから、またいらっしゃいと言われた。
言われた通り三日後に巣へ行くと、入り口近くに脱ぎ捨てたばかりの皮があった。触れてみるとまだ柔らかい。
―本当に来てくれたのね。嬉しい
後ろから彼女の脚が絡みついてきた。触肢が頬を撫で、顎をくすぐる。うなじに生温かい息を吐かれて思わず呻いて身動ぎすると、絡んでいる脚が僕の体を躊躇いがちに愛撫しはじめた。
その感触で彼女が何をしようとしているのかわかった。
「ね……ぜ、全部終わっても……僕を食べたりしない……よね?」
喘ぐように息を吐いて尋ねると、彼女は6つの黒く輝く目に、優しげな笑みを湛えて答えた。
―大丈夫よ。わたしは普通の蜘蛛とは違うもの
僕は湿り気を帯びた毛並みを撫でながら、彼女の脚に身を委ねた。
繁殖期のアラクネ 北山双 @nunu_k
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます