悲眼

芳村アンドレイ

第1話

新暦1395年。

俺が十五歳になった年だ。

誕生日に友達が空を見あげてみろと言ってきた。もう十五歳にもなったんだから、それぐらい出来るだろと。他のみんなも十五歳になるとやるんだから、俺だけやらないのは卑怯だと言ってくる。ちゃんとやれば死亡率は少ないから心配するなと。

俺は手で眼の上を覆いながら完全な青空の方向を探した。そして、手をどかしてみた。

太陽は俺の頭の後ろあたりにある。俺にただ見えるのは宝石のような青空が広がる景色だけ。海よりも神秘的。希少だから。

初めて見る。


友達は笑いながら俺と同じ動作をして、同じ青空を見上げた。引っ張って薄くした綿のような雲がゆったりと上空の海に浮いている。しばらく何も言わずにそれを見た。春の心地良い風が雲を措いて下りてきた。だが、俺達は雲のように軽くないから動かない。しばらく突っ立った。


太陽が真上に到達したら友達が肩を叩いてくれて家に帰った。



新暦が始まってから人は太陽を見る事が出来なくなった。いや、正確に言えば逆か。新暦の始まりは大変な時期だったと歴史の教科書に書いてあるが、今ではこれが普通でしかない。

今の人類は視力が凄まじい。

全てが見える。遠くの物でも近くの物でも。それに美しい。光の万華鏡が瞳孔の前で開花したような。眼と脳が一体化した結晶だ。

唯一の欠点と言えば、太陽のように眩しすぎる存在を見てしまうと脳回路が焼かれて死ぬという事だ。

新暦が始まって死ぬ事がとても簡単で楽になった。血を流す必要もないしお金もかからない。いつどこでも逝ける。

それでも、これは新暦が始まってからの事ではない。西暦からも人はアヤメやすい。ただ新暦が始まってからみんながそれを意識し始めるようになった。

新暦からわずか百年でみんながこうなった。


進化ではない。自然淘汰はいつも生きる者を優先するから、死にやすい眼は当てはまらない。

学者はそもそも今の人が進化以前の段階だと考えている。西暦の人が進化の最終地点で、新暦を境にそれがゼロへと戻ったんだ。洞窟の中で怯える最初の人間は皆、新暦の眼を持っていたんだ。そして徐々にそれが消えた。


新暦が始まってから世界の総人口が一割減っている。

地球が怒ったんだ。


俺は大して気にしていない。家に帰れば壁と天井に囲まれていて、本当に危なかったら専用のサングラスを買える。かけている人を見た事がないが。視力がもたらす絶景は隠し難いし、自分だけを死ねない状況に置くのは恥ずかしい。

それに、太陽は昔からも見る物ではない。

西暦と新暦、俺達の生活はさほど変わらないと思う。


それでもやっぱり、十五歳になったあの日から太陽について考える事が止められない。


太陽ってどんな感じに見えるんだろう?

最近見てみたい衝動が強い。

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悲眼 芳村アンドレイ @yoshimura_andorei

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