後輩に嫌われる話。
無為憂
「先輩のこと、嫌いになりそうです」
「え?」
「嫌いになりそうなんです」
なんでだかわかりますか? 後輩の声は普段より半音高かった。
「……いや、わからない」
「……」
そうですか、と後輩は言った。
「嫌いに、なるって……」
「少しは考えてください」
そういうと、後輩は並べた椅子に寝転がった。器用にスカートを折り、腕枕をして目を閉じる。机越しの僕はそのまま押し黙る。
「えっと」
「……」
ここは二年二組の教室。この空間には僕と後輩だけ。二年二組は僕の教室で、後輩は一個下の一の三。加えて、後輩は中学のころから知った仲だった。
「楸さん?」
「なんですか、先輩」
「僕は、君に嫌われることをした覚えがないんだ。ごめん。でも君に好かれた覚えもないんだ。だから嫌われるはずがない」
「言いますね先輩」
後輩の刺すような視線が交差する。僕は咄嗟に俯いた。やはり違うらしい。
「好きになってなくても嫌いになることはありますよ。もう一度、よく考えてください」
そういわれても、と悪態をつこうとしたが後輩の眼がそれを許さなかった。
「わからないんですか?」
思い出せないんですか? とも言われた。
後輩は流れるように体を起き上がらせ、
「しょうがないですね」
「すまない」
「今日って何の日ですか?」
「今日?」
「そうですよ。それすらもわからないんですか?」
「いや、えっと……」
「先輩の誕生日ですよ」
「……ああ」
後輩は、はあと溜息をついた。
「それは『忘れていた』のああ、ですか」
「いや、僕の誕生日がそれほど重要だと思わなくて」
「呆れました。本当に嫌いになりますよ」
「嫌いにならないでください」
「どうだか」
また一つ後輩は溜息をついた。
「去年、私と会った時、覚えてますか?」
「去年って……?」
「入学式の時ですよ! それぐらいはわかってくださいよ!」
「少し言葉が足らないよ……」
「言い訳は聞きたくありません!」
「……」
「えっと──」
僕が黙ると、後輩は言葉をなくした。目が泳ぐ。
「別に謝んなくていいよ」
「そうですね!」
後輩は怒っている。けれど僕は気にせず、去年の入学式のことを回顧した。
「──私、告白しましたよね?」
呼吸する間を縫うように、後輩はそういった。ごく、と唾を飲む。
「したね」
「その時の約束は」
すると後輩は恐る恐る訊きだした。さっきまでの勢いを殺して、紡ぎだされたその言葉には、後輩の「僕のことを嫌いになる」という理由をひしひしと感じさせられた。
「覚えて、ないかもしれない……」
「っ──」
「ごめん、ごめん。そんなことないかもしれない」
「先輩」
「嘘じゃない。嘘じゃないんだ。覚えているはずなんだ。でも言葉にするのが怖いみたいだ」
「情けないですね」
「情けないな」
「中学上がってすぐの私は、当時好きだった先輩に告白したんですよ。けど、入学式、先輩にはそのとき彼女さんがいて。私、振られてしまったんですよ」
「──ああ」
「でも、その時の私もよくやってくれて、ある約束をとりつけてくれたんです」
そこで言葉はぷちんと切れる。後輩は僕のことを一心に見ていた。
「……」
「僕が彼女と別れた状態で誕生日を迎えたら、楸、君はその日にまた告白して僕と付き合う」
「先輩は、あの時言いました。なら誕生日まで別れることはしない。って」
忘れていたんですよね? 忘れていたんですよ。後輩は僕を見ている。
「約束、守ってくれますよね?」
「正直、」
「彼女さんのことまだ好きでいてもいですよ」
「どういうこと」
「先輩のことは必ず私で満たしますので」
「そういうの、よくないと思う」
「その発言はずるいです」
「わかっているよ。僕は薄汚い」
「いいんです。私はそこを狙っていますから。何のために一か月我慢したと思っているんですか」
一か月。その期間は、ちょうど僕と後輩がこうやって教室で話すようになった時期だ。
「先輩が彼女さんとそりが合わなくなったのも一か月前です」
「ずいぶん用意周到だ」
「先輩の女になりたいので」
なんだよ。なんなんだ。この後輩は。
「先輩がまだ彼女さんのこと好きで、好きなのに彼女さんに嫌われて別れることになって、それで私が現れて付き合ってほしいというのが、虫がいい話というのは私もわかっているつもりです。ですから、」
後輩は、髪を一つに結んだ。
「──どうですか。似てますか」
「やめてよ」
「一瞬でも、彼女さんのことと重ねましたか。今はそれでいいんです。幻影を追っていても。いつか、そのうち」
「わかったよ。君と付き合うよ」
そういうと、彼女は編んでいたゴム紐をとってしまった。
「あ」
「────変態」
後輩は妖艶に笑った。後輩は唇をそっと舐めると、唇はしっとりと濡れた。
「ほら」
また後ろ髪を一つに結って、僕を満足させようとする。
「はやくこれをとった私を好きになってほしいものですね」
彼女は少し悲しそうにそう言った。
「楸、こんなんじゃどのみち僕のことを嫌いになるだろ」
「なるかもしれませんね。あ、彼女になった今なら敬語とってもいいですか?」
「ああ、たぶん」
「もう一週間もしたらバレンタインだね」
「もうそんななのか。というか、切り替えが早い」
「先輩、疎いですね。あ、──くん」
「今なんて」
「先輩に上げるのなんてそこらで買ってきた市販のチョコですよーだ。その代わり、ホワイトデーはおいしいの頼みます」
「それは釣り合わないだろ」
「先輩?」
「ん?」
「ばーか」
後輩は、髪を解いた。不覚にも、可愛いと思ってしまったのはなんでだろう。僕はそんな簡単に心を入れ替えられるのだろうか。
僕は、そっと「彼女」の頬にキスをした──。
後輩に嫌われる話。 無為憂 @Pman
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