終(03)善意の押し売りは、宗教家のすることだ。

「し、新人類の……、教祖?」


 泉さんの家での出来事を思い返す。確かに、環は言っていた。教祖さまもまだ君臨されていないって。

 それが――、わたし?


「はは。そんな、馬鹿なことばっか言わないでよ」


 笑いは空っぽになって、雨に溶ける。何て馬鹿馬鹿しいんだろう。わたしは団地の怪しげな集いでも妙な復唱をしていないし、ていうかどちらかと言えば無神論者だ。神様なんて信じていないし、神様になるつもりだってまったくもってないのだから。

 そんなわたしが、あろうことか教祖さまだって? この先生はちょっと変わっているとは思っていたけれど、何のことはない。単にイカれてるだけだ。


「わたしが、新人類? あろうことか、教祖になるべきものだなんて。そんな馬鹿な――、莫迦なことばっかり言うなっ!」


 わたしは傘を叩きつける。それは泥濘にまみれて。まるで、今のわたしのこころみたいに。ぐちゃぐちゃで、汚い。まっすぐに見ていられないんだ。


「きょ、きょきょ、教祖だって? ねえ、何よそれ! 言うにこと欠いて、そんな下らない……っ、巫山戯るな! わたしは、わたしは――!」

「君は、自らが何者か考えたことがあるかね?」

「わたしは――、は?」


 高麗剣先生は、おもむろに言った。何者って、どういう意味かしら。ああ、何だかずうっと惑ってばかりいる。まったくもって、惑っちゃうことばかりだ。

 雨が髪の毛を濡らして、しずくが目に染みる。瞬きを何度か繰り返してから、わたしは先生を睨むように見つめた。彼は涼しげな顔をして、傘の下で薄ら笑いを浮かべている。


「君は、本能的に感じているんじゃあないかね? 自らが、いわゆる物語における〈主人公体質〉だと。ひとから信頼を得て、彼らを引っ張ってゆく人格であると。自分自身が円の中心にいるべき人物であると、確信して疑っていないのではないのかね?」


 彼は、わたしに再び剣を叩きつけようとことばを続けた。彼のことばは、日本刀のような切れ味鋭いものじゃあない。高麗から渡って来た剣のように、どこか鈍重で、粘っこく、回りくどい。だからこそわたしのこころを深く抉って来るんだ。


「は? 何? 急に何の話? あんた、何の話をしているの?」

「君の性格――、いや、産まれ持った性質についての話だよ。アナアキとなる前には多くのひとを寄せつけていた君は、自らが物事の中心地にいないと我慢出来ない、そういう星に産まれついていたのではないのかね? 例えば文化祭や体育祭における実行委員長や応援団長のような役回りのことだ。夕月夜円くん。名は体を表すのだよ。アナアキとなってからも、君は父を上手く利用しながら団地内で確固たる地位を築いて来た。そうは思わないかね?」


 父を、利用しただって? 違う、あのオトコがわたしを使ったんだ。わたしのビョーキにかこつけて、あのひとは団地に花を植えた。それが、そもそもの元凶だったじゃあないか。わたしは関係ない。父の栽培プログラムを率先して先導したことだって、わたし、父のためにやっただけだわ。それなのに、こいつは何を、一体何を言っているのだろう。


「団地における絶対君主に巧みに近づき、母親たちの女王と対等に渡り合い、アナアキたちの道標となった。団地中を駆け回り、父の姿を追い求め、状況の改善に奮闘するアナアキたちのシンボル。既に君は、そういうポジションに立たされている。気づいてはいないのかね? 海底くんを筆頭として、君を崇拝するアナアキは多いのだよ。それが君の産まれ持った素質だ」


 崇拝するアナアキだって? 確かに、わたしは団地中に知り合いをつくって来た。悩んでいるひとがいれば、率先して話を聞きに行ってあげた。お茶を飲ませてあげることもあったし、慰めてあげることだってたくさんあった。けれど、決して打算からしたわけじゃあない。見返りを求めて行ったものじゃあないんだ。


「しかし逆に今のような窮地に陥ったとき、君は相手を抑圧するように恫喝をして自らの地位を保とうとする。今までもそうではなかったかね? 君は、アナアキになったときのことを覚えているのだろう? あるいはそれすらもすでに、都合良く改変しているのかもしれないが。よくよく思い出してみたまえ、君は確か、スマホを取り上げられそうになったがために、教師や友人を恫喝したのではなかったかね?」


 二年前の秋に、わたしはアナアキになった。そのときのことを思い出す。


『せんせ、それセクハラだよ。上のひとらに言いつけてもいいんだよ』

『ス、スマ、スマホはか、関係ないってい、言ってるじゃん!』


 確かにわたしは、そのようなことを言ったかもしれない。けれど、それは当たり前じゃあないの? 自分のことを、わたしはわたしを守っただけ。それの何が、いけないの?


「夕月夜くん。君は本当の意味において、ひとのこころを推し量ったことはあるかね? 君の行っていること、それは君にとっては120%の善意だったのだろうね。しかしながら、善行ではなかった。。それどころか、

「あ、あ、あ、悪? わたしが? わたしはアナアキのみんなのために、環境を良くしてやった! お茶を振る舞って、管理組合の連中にだって、へーこら頭を下げてやったじゃあない! それを言うにこと欠いて、悪の行為だと? 巫山戯るんじゃあない!」

「せ、せ、せんせ、い。ねえ、先生。やめ、やめてく、ださい」


 奏だ。あの子はわたしのための子だ。わたしのためにあの子は存在している。あの子はわたしを分かってくれている。


「ね、奏。あんたは分かっているのよね? わたしは、あんたの友だちでしょ? あんたは、わたしの友だちなのよね?」

「円、まどか。そうです。そうなのです。円は私の友だちなのです」


 奏は熱に浮かされたように、とつとつとことばを溢す。


「円は私の友だちなのです。円、まどか。あなたが帰って来てくれたとき、私がどれだけ嬉しかったか。だから母も帰って来ると思っていたのです。コクーンは割れたのです。世界にそれは、流出したのです。戻らない。母はもう、二度と帰らない! そのような哀しみに比べれば……、円、あなたが生きていてくれている。それだけで私は、満足なのです。コクーンは、円なのです。母は逝ってしまった。けれど、あなたに私は触れるのです。私は、円なのです。そして円は、私なのです。う、うう……」


 彼女のことばは、明らかに支離滅裂だった。こころがばらばらになってしまっている。けれど、伝わる。私のこころを打つものがある。想いがそこにあるから。奏の想いが、そこには存在しているから。


「いい加減に決断をしたまえ、恋蝶くん。ボクは正直なところ、君たちふたりを敵に回したっていいんだ。しかし君はまだ立ち止まれる。君のことを、ボクは信頼しているのだよ。恋蝶くん、君はひとのままでいてくれたまえ。世界が形を変えてしまったとしても。そのときに君はひとの未来であってくれたまえ。アナアキのシンボルが彼女ならば、我々のシンボルは恋蝶くん、君なのだからね」

「はあ? し、信頼? シンボル? はっ、信じているふりがお上手だこと! 巫山戯るんじゃあない! 奏はわたしの友だちだ! 奏はわたしを分かってくれている! 奏はわたしを、絶対に裏切らない!」

「ことばで縛るか。うむ、それも仕方あるまい。永きときに渡り、君は恋蝶くんを虫籠の中に入れて来たのだからね。それではしばしの間、眠ってもらうとしよう。なあに、ここまで打ち明ければ、君も流石に忘れないだろう?」


 高麗剣先生が、指を鳴らした。わたしは首を傾げる。


「――眠る?」

「――ごめん、円ちゃん」


 耳のすぐ後ろから、声。男性の。これは――、

 わたしは後ろを振り向きかけて。真っ黒い傘の下。黒いパンツにフーディを纏った、全身黒ずくめの男性の姿を目に捉える。このひとは。

 このひとは、泉さんの家でわたしたちを助けてくれたひと。そして、この声は――、


「さばへ……、あっ、」


 びり、と身体が痺れた。ちらり、と見える。黒づくめのひとは、手に何か四角いものを持っていた。これは、も、しかし、あ、もしか、して、スタ、ンガン……?


「さあ、それじゃあひと勝負しようか。諸君と我々、どちらが次の世界を担うべき存在なのか、を賭けて」


 高麗剣先生の声が、脳裏に反響して。

 そしてわたしは、意識を喪った。

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