泉(03)ぱあっと楽しみましょうね。
「お昼、まだでしょう? 今日は少し多めに作りましたの。そろそろ円ちゃんがいらっしゃる頃なんじゃあないかなって、そう思っていたのですわよ」
リビングに設えられた豪奢なテーブルには、ところ狭しとお料理が乗っかっていた。ローストビーフやミートパイに、サラダやキッシュ、パスタにミニグラタンにちっちゃいお寿司。中心にはアンティークのお皿に乗ったマカロンタワーもあって、何だかお茶会っていうよりは……、
「わ、パーティみたい!」
「そうでしょう? うふふ、ちょっと張り切っちゃいましたの」
「……泉さん、少し、よろしいでしょうか?」
「あ、はあい」
キッチンから声が聞こえた。女性の声。たぶん、さっきのショートブーツの。わたしたちは手持無沙汰になって、リビングの真ん中で泉さんを待つ。奏が小さくため息を吐いた。
「……お茶、だけじゃあないのですね」
ああ、確かに彼女の食欲では、この料理を食べるのは難しいかもしれない。
「ごめんなさいね、少しテーブルを空けてくださる?」
しばらくすると、泉さんがキッチンから戻って来た。後ろに冴えない女性を引き連れて。そのひとはおぼつかない足取りで、お酒のボトルやグラス類をキッチンから運び出している。
「あ、円さん。いらっしゃい。奏さんも」
「ああ、お久しぶりです、
テーブルの真ん中にスペースを開けながら、わたしはボトルを何本か受け取った。
弱竹
団地の管理組合で、しばしば下っ端扱いとして雑用を押しつけられることの多い彼女は、体調を崩していたとかでしばらく顔を見ていなかった。けれど、復活したのかな? 噂ではアナアキになってしまったって聞いたけれど、本当だろうか。
彼女は首のところがよれよれになったブラウスに、カーキのカーディガンを羽織っていた。それから間に合わせのスカート。いかにもショッピングモールの端っこで叩き売りをされている感じの。
「お久しぶりね、円さん、奏さん。今日は、もうひとかたいらっしゃるそうよ? パーティだと思って、ぱあっと楽しみましょうね」
ぱあっとって言うわりには、彼女の表情は冴えない。――それにしても、もうひとかた? 一体、誰だろう。何か思わせぶりだけれど、それ以上の答えを彼女は口に出さなかった。
「さ、それじゃあひとまず、始めますわ」
泉さんのひとことで、わたしたちは席についた。わたしの隣には奏、前には泉さん。泉さんがグラスにお酒を注ぐ。ワイン、かな? わたしは未成年なので、飲まないけれど。そこで、わたしは気づいた。
「あれ? そういえば、
泉さんの息子さんである、夜くんの姿がない。お茶会であれば呼ばなくてもいいのだろうけれど、食事ということであれば一緒に食べたほうがいいんじゃあないだろうか。
「ああ、最近急に冷え込んだでしょう? それで、ちょっと風邪気味なのですわ。体調管理をしっかりね、ってあれほど言っていますのに……」
「あ、そうなんだ」
体調不良か、それなら仕方ない。あとで部屋を覗いてみよう。
「それでは……、ああ、そうでした。始める前に、お茶をお入れしなくてはいけませんでしたね」
「あ、そうだった。はい、これ、持って来たから」
わたしは、いつものお茶っ葉を泉さんに渡す。彼女はそれをじいっと眺めてから、にこやかにひとつ頷いた。
◆
「――それでね、その先生が仰るのですわ」
泉さんは上機嫌にワインをぱかぱかと空けてゆく。その横で、弱竹さんがわたしたちにせっせと料理を取り分けていた。まるで給仕さんみたいだ。
「数多いる医者の中でも、最も偉大な医者は時間である、とか」
彼女は弱竹さんからお皿を受け取ると、上品な仕草でパンを一口大にちぎって口に運んだ。このひとは、ただ食事をしているだけで絵になるなあ。
「それって、自分たちの無知をさらけ出してるだけじゃん」
わたしはキッシュを口に放り込む。たぶん上品さのかけらもないけれど、放っておいてって感じ。豆が歯で砕かれて、柔らかな生地とともに口内で攪拌された。嚥下して胃へ。美味しさで胃が喜んでいるのが分かる。次はローストビーフ。こちらもとびきり柔らかくって、何だかとても高そうな味がした。
「ですわ。とはいえ、アナアキの奥底は深謀遠慮。深みを覗き過ぎると、自らも引きずり込まれると言いますから……。解析には、まだまだ時間がかかるのかもしれませんわね」
「無知を言い訳にして解決を先延ばしにするだなんて。高麗剣先生に言いつけておくよ」
マカロンタワーの上段を崩しながら、わたし。わたしの主治医の高麗剣先生は、団地内の医者の中で確かいちばん地位が高い。全身真っ白という胡散臭い見た目なのに不思議な話だけれど。泉さんもマカロンを少し齧って、
「そうですわね……、ただ、あの先生、わたくしにはどうにも合いませんわ」
「泉さんの主治医って、誰だったっけ?」
「環ちゃんと同じ方、ですわ」
環? ああ、そうだ。そうだった。彼女の手がかりを得るために、わたしはここに来たんだった。リラックスし過ぎだっての、わたし。
ただ名前がするりと出たってことは、彼女は環を覚えているってことになる。お茶で喉を湿らせてから、わたしは泉さんに向き直った。
「えっとさ、泉さんは、環のことを覚えているんだよね?」
泉さんはきょとんとして、人差し指を唇に当てる。
「――え? ええ、もちろんですわ。どうしましたの、藪から棒に」
「環が、この間から失踪しているのって、知ってる?」
わたしは、切り込む。けれど、泉さんは怪訝そうに首を傾げた。
「失踪……? あの、何のことかしら。わたくし、聞いておりませんことよ」
「え?」
当てが外れた。とすれば、彼女は環の身に起こったかもしれない何か異常な事態を、まったく知らないことになってしまう。
「ああ、そう、なんだ」
環のことを覚えていない人間と、覚えている人間がいる。その条件の違いは、何だろう。環のお母さんや、幾人もの非アナアキ、それから不如帰のお婆ちゃんたちは、環のことを覚えていない素振りだった。けれど、奏やわたし、泉さんは覚えている。
「えっと、弱竹さんはどう? 何か、聞いていない?」
「あの……、しばらく臥せっていたもので、何も」
成る程、伏せっていたと来るか。これは、追及を諦めざるを得ない。
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