泉(01)夜が大きくなるのを、見届けることが出来るかもしれませんわね。

「あら、このお茶……、とっても美味しいですわ」


 烏羽玉うばたまのいずみさんは、上品な仕草で口元に手を寄せながら、感嘆の吐息をそうっと漏らした。

 櫻町第二団地にある泉さんの家のリビングルーム。少し時代がかった調度品は完璧に整合性が取れていて、美しいロココ様式には一分の狂いも見当たらない。

 自分の家と同じ団地にあるものとは到底思えない、こだわりに満ちたインテリアだった。


 櫻町団地は、全部で十三区画に分かれている。

 けれど、第二、第三団地はいわゆる昭和に建てられた団地の佇まいじゃあない。既に建て替えを済ませて、マンションタイプの住居に変貌している。この大規模工事は、わずか一、二年のうちに竣工された。そのため手抜き工事じゃあないかって揶揄されている。

 彩都の中心にあるタワーマンションほど豪華じゃあないけれど、それでもしっかりとしたマンションタイプの巨大団地は、団地の中では憧れの的だ。

 現在は第四団地が閉鎖されていて、建て替え工事が急ピッチで進められていた。


 そんな第二団地に住んでいるアナアキのひとりが、烏羽玉泉さん。三人家族で、非アナアキで外に働きに出ている旦那さんと、非アナアキの七歳になる息子さんと一緒に暮らしている。

 アナアキは泉さんだけ。彼女がアナアキになったのは四年ほど前で、初期の方に当たる。原因ははっきりとは分からないけれど、その頃にお腹の中の子どもを流産してしまったそうなので、もしかしたらそれと関係があるのかもしれない。スマホにもかなり依存していたそうだ。

 アナアキのアナは拡大して、一定のラインを超えると喪失感によって心肺機能が停止するって聞くけれど、今のところ彼女はその心配はないみたい。それって、たぶんお茶を飲んでいるおかげだと思うんだ。

 お茶というのは、わたしが普段から愛飲している飲み物のことで、団地内で栽培している新種の植物、マドカムラサキを原料としている。マドカムラサキは仮称で、本当はまだ正式な品種登録がされていないそうなのだけれど、そういうことは植物学者である父の仕事だ。


 このお茶は、非アナアキでアナアキを敵視している管理組合のひとたちにも好評なのだけれど、彼らには秘密にしているとある効果があった。

 それは、アナの拡大を抑えること。

 アナは放っておくとゆっくりと拡大するのだけれど、その進行を抑える効果が期待出来るのが、このお茶の最大の特徴だったんだ。現在、アナアキになったひとでこのお茶を飲んでいるのがわたしと、失踪した環。それから、こちらの泉さんだった。


 今のやり取りは、その一番最初のときのものだ。彼女にお茶を初めてご馳走したときの。

 それ以来、彼女はこのお茶を気に入って、しばしばお茶会に誘ってくれるようになった。特別な効果があるかもしれないって話をしたのは、三回目のお茶会のときだ。わたしの告白に彼女は驚いた様子だったけれど、すぐに微笑んで、


「それなら……、うふふ。ないとが大きくなるのを、見届けることが出来るかもしれませんわね」


 と、惑っちゃうくらいに魅力的な顔をつくったんだ。

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