誠(09)すべては擬態だったのだ。
「その効果は覿面だったね。ボクが診たところ、夕月夜くんと海底くんは明らかにほかのアナアキよりもアナの拡大が遅くなったのだから」
高麗剣先生が解説を挟む。
「ところが、いくつかの計算外の要素があったのだよ。そのうちのひとつが、植物そのものの性質の変容だ。いや、恐らくはそれは、意図的な変化だったのだろうけれどね」
父は先生が言ったようなことをもう少し長々と喋ったあとに、計算外のことが起こったのです、と言った。
『その計算外の要素は、私自身の研究成果に直結しました。もちろん表向きにはアナアキのことが最重要課題ですが、そもそもの出発点としては、その植物を観察することこそがそのときの私にとって最も重要な研究テーマでした。ところが、団地内で育てているマドカムラサキは、集団での移動行為などの奇異な行動を取らなかったのです。それどころか、条件によっては上手く生育すらされなかった。アマゾンやツンドラでも何の異常もなく育った花が、採取した土地のほど近い場所で上手く育たない。土などをその山から運んで来て、土壌環境まで合わせているにも関わらず、です。明らかにおかしい。――ということは、』
父は息を深く吸って、吐いた。
『彼らは擬態をしていると考えることが出来ます』
――擬態? つまり、いかにも普通の植物みたいな顔をして、周りの目を欺いていたっていうわけ? そんなことも出来るだなんて、それって完全に頭を使っているっていうことじゃあない。
『そして、そして――、そう。擬態。すべては擬態だったのだ。彼らは擬態をしていた。ひとの目を欺くために。あるいは、もっと大きな何かを――、そう、例えば世界そのものを欺くために!』
父の口調が変わり始めた。
擬態。そのことばに、何か深い意味があったみたいに。瞳も不規則に揺れ始めている。やっぱり、どこか平常心じゃあないみたい。
わたしは口にクッキーを放り込んだ。お茶でそれを流し込む。目の前の画面に映っている父は、苛立った様子で何度も机を叩き始めた。
『欺く。くそっ、そうだ、私もそうだった。私も欺かれていたのだ! 思えば、そのような不可思議な植物を飲み物の原料にしようと試みたこと――、その行為そのものが、どう考えてもおかしいことだったのだ!』
父の言動が、次第に支離滅裂になってゆく。行為そのものがおかしかったって、一体どういう意味なの?
彼の目はもはや、画面を見つめてはいなかった。そこを通して、もっと遠くに語りかけているかのような。世界そのものに話をしているかのような、そのような瞳の色をしていた。
「この辺りは分かりにくいだろうから、あとでボクが補足しよう。あの悍ましい植物の持つ、強い毒性と強烈な依存性の話はね」
高麗剣先生のことばに、わたしはさらに首を傾げる。
「……強い、毒性? 強烈な、依存性?」
『ああ、そうだ。私はそうだったのだ。私はとうに喪っていて……! とっくの昔に、世界から排斥されていた……! それを取り戻すための道程だった! そうだ、空を喪ったときから、私はとうにこの世界から……!』
――うつほ?
それは……、それは、わたしのお母さんの名前だ。
画面の中の父は、次第に半狂乱状態へとなってゆく。
『うつほ、ああ、うつほ……! ああ、まどか、まどか、ああ、まどう。惑ってしまう。駄目だ、やはり駄目だった。強い喪失感から、私は逃げることは出来なかったのだ。決して……、決して! ああ、取り戻せたら良かったのに。すべてを再生することが出来れば、あるいは。ああ、うつほ!』
強い喪失感?
お母さんを喪ったときに生じた喪失感、ってこと?
だとすれば。
だとすれば、まさか。
「――ね、ねえ、先生。これって、これってそういうことなの?」
「……察したかね。そういうことなのだよ、夕月夜くん」
「先生、いつからなのです? 一体いつから気づいていたのです?」
「それは、最初からさ。言っただろう? ボクには特別な色が視えるんだって」
奏の疑問に、先生は当たり前のような顔をして答える。
『私はもうその喪失感に耐えることが出来なかったのです。ですから――、今考えてもおかしい行動だったと思う。しかし、突き動かされるように私は動いていた。まるで何か自動的に、世界の思惑から逃れようとするために私は!』
「特別な色って、ねえ、まさか。そうなの? 先生、あなたは……」
わたしはもう、このままノートパソコンを閉じたかった。すべてを見ないふりをして、そのまま蓋をしてしまいたかったんだ。けれど、だめ。見てしまった。見てしまったものを忘れることは出来ない。そしてこのまま黙っておくことも出来ない。
「先生、あなたはアナアキのみが持つ特有の色が分かるんですか?」
「ああ、そういうことだよ。視ていると分かるんだ。真っ黒なのさ、諸君らは。アナアキから感じる波動は、世の中のすべてをアナの中に落とし込もうという漆黒の意志。それのみだ。原因不明の病、と言われるアナアキだがね……、アナアキの原因? そんなもの、とうの昔に完全に判明している。ただ、発表がされていないだけだ。なぜなら、どうしようもないからね。対策の取りようがないものを、わざわざ公表する馬鹿はいないのだよ」
アナアキの、原因――?
「アナアキになる要因は、ただひとつ。自らがもっとも大切にしているものの、喪失だ」
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