柳(02)この公園は、世界から取り残されてひとりぼっちなのです。
「やっぱり気になるよ、五月蠅さん。どこに向かってるんだろ」
「それでは、追いましょう。何か手がかりが見つかるかもしれません」
五月蝿さんは猫みたいに音も立てずに、するすると団地の隙間を抜けてゆく。向かう先は、第七団地のようだ。不如帰のお婆ちゃんの住んでいる、第七団地。そこは、鳥の巣と揶揄されていて、アナアキたちは一切住んでいない。彼女の好きなように、彼女のことが好きな住人だけが残った安住の地。それが、櫻町第七団地なんだ。
隣には、商店街や集会所などか集まっている第八団地。また、未だに建て替え工事が着工すらされていない第一団地にも比較的近い。
この辺りは彼女のテリトリー。
行動は慎重に取らないといけないけれど、びくびくしていても仕方ない。まちに馴染んで、ゆったりとした足取りで歩くしかない。散歩のふりをしているのだけれど、実のところは尾行。けれど、それを悟られるわけにはいかなかった。
「今日はどんな用事なんだろね」
「お金の無心じゃあないですか。まったく、気に入らないのです」
奏はたまに毒を吐く。わたしは苦笑して、彼女の頭に手をやった。ぽんぽん、と叩いてから、身体を引き寄せる。奏はにへらと笑って、わたしの手をきゅっと握った。
わたしたちは、手を繋ぎながら第七団地に向かう。五月蝿さんの背が角をするりと抜けた。距離を取りながら、その角を曲がる。と、
「あ、あれ?」
五月蝿さんの姿が消えた。一分ほども目を離してはいないはずなのに、どうして。横にいる奏も、「えっ?」と呟いて目を丸くしている。
「ど、どういうこと? ここって……」
角を曲がった先にあったのは、児童公園。小さな遊具と、用具入れにもなっている小屋だけの簡素な場所だ。今は児童がいなくなったために、ほとんど使われていない。この裏手に第七団地があるのだけれど、もうそこまで進んでしまったのだろうか。
小走りでいけば、公園を抜けて棟の陰に雲隠れすることも出来なくはない。それとも、身を隠すにはうってつけのこちらの小屋だろうか。とすれば、彼は尾行に気付いていたということになる。
「……ひとまず、通り過ぎよう」
公園をそのまま通り抜ける。経年劣化で表面がはげてぼろぼろになっている、りすやぞうやきりんたち。彼らに子どもがうれしそうに乗っかることは、たぶんもうない。打ち捨てられて、ただ朽ちてゆくのみなんだ。
「まったくもって、惑っちゃう光景よね」
「はい、何だか寂しいのです。この公園は、世界から取り残されてひとりぼっちなのです」
それは、あるいはわたしたちにも言えることかもしれない。わたしたちは、世界からぽつねんと取り残されていて。この古い団地に、無理矢理に閉じ込められてひとりぼっちになっているんだ。
こころを奪う、寂寥感。奏の手を、強く握る。脈拍が伝わるくらいに、ぎゅっと。ひとりで立っていると、地面がぐらぐらして頭が揺れて来てしまう。だから、彼女と一緒で良かった。わたしは、わたしでいていいんだ。
「……円、まどか。私はここにいるのです」
指から手へ、腕から肩へ。視線を辿ると、奏がすぐ隣で優しく微笑んでいる。この顔が向けられている限り、わたしはだいじょうぶだ。
「うん、ありがと」
わたしは微笑んで、それから前を見た。第七団地。その入り口で。
「また色々と嗅ぎ回っとるんかい、小娘ども」
不如帰柳お婆ちゃんが、たばこを吹かして立ちはだかっていた。
「あ、こんにちは、お婆ちゃん」
思わずぎょっとしてしまう。けれど、その気持ちをおくびにも出さずにわたしは友好的に微笑んだ。散歩、散歩。今は散歩の途中なのだから、何も後ろめたいことなんてない。
「ふん」
不如帰さんは、たばこの煙を盛大に吐き出すと、しかめっ面を作った。
「……白々しいの、円ちゃん。今日はなぁにを探しとるんや? 探偵ごっこも大概にしときや」
団地内は、専有部分でしか喫煙が認められていないことになっている。ベランダや公共スペースでは、たばこを吸ったらいけないんだ。けれど、ルールブックである管理組合のトップがこの体たらく。彼女に大っぴらに文句をつけるひとなど、いるはずもないけれど。
この構図が、この団地を端的に表しているとわたしは思う。
「お婆ちゃん、吸い過ぎは身体によくないんだよ」
「カカ。わてにそんな厭味を言うんは、孫とそれからアンタくらいやわ」
割と親切心からの注意をしたつもりなのだけれど。このひとは根っこからひねくれているから、素直にことばを受け止められないのかもしれない。まあ、お婆ちゃん、なんてわたしもわざとらしく媚を売ってはいるから、それが読まれているのだろう。
「ほんで? また散歩か? 凝りもせず? はあ、さよか、さよか。ほなアレやな、今日はアンタら暇やいうことやな」
厭な予感が身体を駆け抜ける。わたしはするりとかわそうと頭を下げて、
「あっ、それじゃあ失礼しますね、お婆ちゃん」
「待ちいや」
不如帰さんのドスの効いた声が響いた。まずいなあ、まずい。これはまた、あれか。あの集いに、行かなければいけないのか。
「さあ、行こか奏ちゃん」
たばこを携帯灰皿に放り込むと彼女は、わたしの陰で息を潜めていた奏に声をかけながら距離を詰める。纏わりつくたばこの不快な匂い。奏はびくっと震えて、その場でフリーズしてしまった。蛇に睨まれた蛙もとい、不如帰に睨まれた蝶だ。虫は鳥に、絶対に逆らえない。
不如帰さんは、奏の手首を無理矢理取った。それから強引に歩き出す。わたしは、ため息を吐いた。こちらをちらりと見た奏の眉根が寄っている。ああ、違うの。あなたにイラ立っているんじゃあないの。
渋々、ふたりのあとをついてゆく。向かうところは、第八団地にある集会所。あの奇妙な集いが開かれているところだ。
それにしても、五月蝿さんはどこに行ったのだろう。まったくもって、風のように不可思議なひとだった。
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